2話 バレてないでしょ(笑)
「…………なんで俺、あいつとマッチしてんの?」
新聞配達のバイトを終え、帰宅してシャワーを浴び、朝食をとりながらスマホを確認。
昨晩の単純作業の甲斐あってか、一件の〝マッチ”が成立していた。
さてさて俺と会話してくれる女の子は誰かな、とか思いながら確認して、思わずスマホを落としそうになった。
プロフィールの写真を見ただけで、冷や汗がつーっと首筋を流れる。加工はしているが、見覚えのある顔だ。しかも名前は『ゆう』。
三条悠羽。『ゆうは』を略して『ゆう』にしたのだろう。
俺のことが嫌いな誰かのイタズラじゃない限り、ほぼ確定で妹である。
「だめだ、昨日の〝いいね”とか、もう誰にしたか覚えてねえ」
酔っていたのもあるし、気分は最悪だった。
適当にスマホをタップしまくっていたから、顔写真を確認しない人も何人かいた。きっとその中に、ヤツも混ざっていたのだろう。
「にしたって、悠羽はなんで俺に〝いいね”を返したんだ……?」
プロフィール写真、格好よすぎたかなと思って確認。いや、普通に俺でした。
でも、もしかすると。
高校までとは髪型が違うし、服も全然違う。
「サブロー」という名前だって、別に珍しいものではないと思う……思うことにすると、悠羽はこれが俺だとわかっていない可能性がある。
そうとしか考えられない。
なぜなら俺と悠羽は、二年前に大喧嘩して以来ずっと疎遠になっているのだ。
俺はあいつが苦手だし、あいつも俺が嫌いだろう。マッチングアプリで見つければ即ブロック。気がついた上で〝いいね”してくるなんて、絶対にありえない。
なるほどねえ。
なるほど、ねえ……。
「これは使えるな」
我ながらゲスい笑いが出た。コーヒーの入ったマグカップを揺らして、気分は悪の参謀だ。
悠羽はこれが俺だと知らない。俺は相手が悠羽だと知っている。
つまり、ここでのトークであいつの恥ずかしい黒歴史を引き出せば、今度会ったときにボコボコに言ってやれるじゃあないか!(満面の笑み)
そう考えたら急に目の前が明るくなってきた。
人の幸福は泥の味、人の不幸は蜜の味。
うきうきで皿を流しに持っていって洗う。鼻歌なんかも歌っちゃう。その間にどんなメッセージを送ろうか考える。
考えた結果、最初はシンプルに。
『よろしくお願いします!』
とだけ送ることにした。
◆
「ねえキモいって!」
兄からの『よろしくお願いします!』メッセージを見て、悠羽はスマホを投げた。
長方形の物体はベッドの上にぽすんと収まり、それ以上の反応を示さない。
何度か深呼吸をして、悠羽はスマホを拾い上げる。
これは悪夢なのか罰なのか、画面にはサブローからの『よろしくお願いします!』が依然としてへばりついている。
「キモいキモいキモすぎ無理ヤバいってこれあいつなんのつもりなの……?」
マッチングアプリ初心者にありがちな、簡素すぎる最初のメッセージ。こんなシンプルな一文では、有象無象から選ばれることなどできない。女性側には、常に大量の〝いいね”とメッセージが送り届けられているのだ。その中で一歩前に出るためには、多少なりとも工夫が必要になってくる。
三つも歳上である六郎がそのようなウブな面を見せるところに、悠羽は激しいキモさを感じているのだ。
あんたの歳ならもうちょっと手慣れた感じで来いよアホ! みたいな感情である。
おでこを触って深呼吸を三回。冷静になった頭で考え直す。
果たして、自分の兄は悠羽にこんなメッセージを送るだろうか、と。
三条六郎という人間は性根がひん曲がっており、人の不幸を栄養素に生きている。
友人に仲のいい女がいると知れば駆けつけて邪魔をし、クリスマスのイルミネーションがあると聞けば停電を祈り始め、『結婚したら取りに来ようね』と書いてある南京錠の錆び具合を見ては「絶対に別れてるねこいつら」と嘲笑う。そんな最低最悪のクズ人間である。
そんな六郎が、妹に向かってこんな醜態をさらすだろうか――否。そんなはずはない。
「さては、気づいてないな」
電流が流れるようにピンときた悠羽。プロフィール写真をチェックすると、ばっちり加工が施され、通常よりも二倍ほど可愛い自分がいる。
なるほど確かに、これでは判別も難しいだろう。「ゆう」なんて名前の利用者だって他にもたくさんいるに決まっている。
つまり今、この状況は――
「私にとって、圧倒的に有利」
形のいい唇を三日月のようにつり上げ、自らの優位性を信じ込む。
奇しくも兄の六郎と同じように、『相手の恥ずかしいセリフを引き出して、あとで攻撃してやろう』という思考にたどり着く。
であればすることは一つ。徹底的に演じて演じて演じ抜くことだ。
可愛い系の女子に成り済まして、会いたくてたまらない気持ちにさせ、『今度の土曜日、お茶しませんか?』みたいなことを言わせる。
そうすれば後は、「妹をデートに誘っちゃうなんて、すっごい変態。通報されちゃえばいいのに」などと言い放題である。
それは悠羽にとって、どんなスイーツバイキングよりも甘美な放題――まさに夢のサブスクリプションであった。
「さあて、どんなふうに誘惑してやろっかなー」
ベッドの上で足をバタバタさせて、考えをまとめるのに一時間。
液晶画面をフリックして、メッセージを入力する。
『よろしくお願いします! サブローさんって、休日はなにをしてるんですか?』
送信。
「どんな返信が返って来るのかな~」
用済みになったスマホを放り投げ、ベッドで仰向けになる。
時刻は朝の十時。外は明るく、家には彼女以外に誰もいない。
制服姿で悠羽は、ぼんやりと天井を見上げた。