表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
2章 泥まみれの希望
17/140

17話 勇気の一歩

 その日、悠羽はいつもよりずっと早く起きた。

 朝の5時。街が動き出す前の、静かな時間だ。


 昨日から住み始めた家は、まだ少し落ち着かない。窓を開けて光を取り込む。大きく伸びをして、部屋から出る。

 顔を洗い、歯を磨いて寝癖を直す。部屋に戻ってパジャマから制服に着替えると、エプロンを上から着て、キッチンへ。


 仕事が忙しい兄のために、朝ご飯の準備をしようという、悠羽なりの気遣いであった。

 昨晩のオムライスは好評で、崩れたたまごも六郎は気にしていないようだった。


 もっとも、あれは奈子に手伝ってもらったから上手くいっただけで、悠羽の実力とは言い難いが。


「練習すれば、これくらいはできるようになりますよ」


 という奈子の言葉を信じるしかない。とにかく、キッチンに立つ回数を増やそうというのが当面の目標であった。


 それに、朝から難しいものを作るつもりはない。

 サラダとスープ、それに食パンを焼くだけだ。ややぎこちなくはあるが、包丁も問題なく使える。火の扱いだって気をつければそれなりだ。ただちょっと必要な食材を勘違いしたりするので、注意して取りかからねばならない。


 キャベツ、ジャガイモ、ニンジンを切って沸騰したお湯に入れる。味付けはコンソメ。


「美味しくしようと欲張らない……」


 隠し味を加えたくなる気持ちは雑念だ、と奈子が言っていた。料理人は、その誘惑に打ち克たねばならないのである。特に未熟なシェフは。


 サラダはシンプルにレタスとキャベツを千切って、ドレッシングと一緒に出す。これだけで食卓の彩りになるのだから、生野菜は偉大だ。


 やることは簡単だが、なにぶん経験が浅いので手間取ることも多い。特にまだ、食器や調理器具の位置を把握し切れていない。

 そんなわけで、サラダとスープが完成したのは、悠羽が起床してから1時間半後。午前6時30分となってしまった。


 早起きしていなかったら、大遅刻確定である。


 食パンを焼きつつ、リビングの右奥にある六郎の部屋をノックする。


「ろくろー。もうすぐご飯できるけど、そろそろ起きる?」

「ただいま」


「ひゃう!」


 パッと振り向くと、なぜか六郎はリビングの入り口に立っていた。悠羽のいる場所とは真逆である。おまけに着替えもすませ、一仕事終えたような顔をしていた。


「い、いつの間に起きてたの?」

「さっきの声はなんだよ」


「そんなのはどうでもいいの! いつ、起きたか、言え!」


 恥ずかしい叫び声を出してしまったことを、顔を真っ赤にしてはぐらかそうとする。

 六郎は「えぇ……」と困り顔をして頭を掻くと、ひゃう、の件に関しては忘れることにしたらしい。


「新聞配達やってるんだよ。だから朝は早いんだ」

「知らなかった」


「言ってなかったからな。手洗ってくる」


 若干ふらつく足取りで、洗面所へ向かっていく。昨日大変なことがあったのに、もう今日は仕事をしなければならない。

 六郎の抱えているものの重さを知るたびに、悠羽は胸が締め付けられる心地がする。


 だが、彼女にできることは少ないことも知っている。昨日というたった一日の間に、嫌というほど思い知らされた。

 だからせめて――。


 細い指で、制服のリボンに触れる。

 その動きに、戻ってきた六郎が気がついて首を傾げた。


「なんで制服なんか着てるんだ? 服なら持ってきただろ」

「学校に……」


「ん」

「学校に、行こうと思う……ます」


「思うます?」


 痛恨の言い間違え。それを見逃してくれるような紳士的な性格を、目の前の男はしていなかった。

 純真無垢な瞳で、面白いオモチャを見つけたように首を傾げる六郎。キレる悠羽。


「そこじゃないでしょ! 学校に、行くって言ってるの! すぐ茶化すバカ、アホ、最低!」

「茶化すます」


「ばかぁ!」

「ごめんごめん、ちょっとふざけすぎた」


 頬をぷくーっと膨らませた悠羽を、両手でなだめる。


「学校行く上に朝飯まで作ったのかよ。お前、急にそんな頑張って大丈夫か?」

「全然こんなの頑張ってるにはいんないし」


「えぇ……」


 一念発起した悠羽の姿に、置いてけぼりの六郎。余裕ぶってはいるが、さっきから眉間にしわが寄っている。なにがあったのかと、必死に考えている証拠だ。


「まあ、わかったよ。頑張るなら応援する。ところで、通学手段はどうするんだ?」

「ぅあ」


「また変な声を……」

「変な声って言うな! いきなり驚かせてくる六郎が悪いんでしょ」


「通学手段聞かれたくらいで驚くなよ」

「正論嫌い」


「お前は俺か」


 耳を塞ぐ悠羽に、六郎はやれやれと首を横に振る。玄関にいってなにかを探し、リビングに戻ってきた。


「ほれ、自転車の鍵」

「……ありがと。持ってたんだ、自転車」


「最近買った。この家、スーパーからちょっと遠いからな。飯食ったらサドル合わせてやるから、ちゃんと他の準備もしろよ」

「はーい」


 そういえばまだ、教科書の準備もしていない。あとはなにがあったか……考え込む悠羽の目の前で、六郎はふと顔をしかめた。


「なんか、焦げてね?」

「あっ、パン焼いてたの忘れてた!」


 やっぱりいきなり、そう上手くはいってくれないらしい。

 ドタバタ準備する悠羽を、六郎も必死になって手伝った。忙しない朝の風景は、どこにでもある普通の家庭のようで。


 少しの不安と、大きな決意を抱いて新しい一日が始まる。







 悠羽の通う高校は、一学年に240名が在籍している。それだけの人数にもなると、朝の混んだ正門前で知り合いを見つけることは困難だ。

 そういうわけで、久しぶりの学校は完全なるアウェーだった。知っている人が誰もいない、別の高校に転校したような気がする。


 これだけ休んでおいて、卒業することはできるのだろうか。とか、変な噂を立てられやしないだろうか。などという嫌な予感が頭にへばりつく。


 駐輪場に自転車を置いて、鞄を抱きしめ、縮こまるように昇降口へ歩いて行く。

 その途中で、巨大な影が目の前に立ちはだかった。


「おはよう」


 野太い声だった。棘はないが、大地を揺らすほどの迫力がある。

 顔を上げると、そこにいたのは生徒指導の教師――熊谷くまがいが立っている。集会のときよく見るので、悠羽も名前を覚えていた。


(おわった)


 内心で絶望しながらも、深く頭を下げる。


「おはようございます」

「このまま、進路指導室に来なさい」


「はい」


 学校を無断で一ヶ月以上も欠席。どれだけ怒られることになるだろうか。

 いや、怒られるのは構わない。一番辛いのは、「もう卒業できない」と告げられることだ。


 熊谷先生の後ろを歩きながら、悠羽はひたすらに願い続けた。







 ――お願いします熊谷先生。俺の妹を、悠羽を助けてやってほしいんです。


 ベランダに出ると、遠くの方に高校が見える。

 悠羽が通っているのは、かつて俺も通っていた場所だ。卒業して三年目になるが、それでもまだ、当時の先生は何人か残っている。


 熊谷先生は、俺が進学を諦めたとき、俺よりもそのことを悔しがってくれた人だ。

 大丈夫。あの人は、必ずお前の力になってくれる。


「頑張れ、悠羽」


 まだ間に合う。

 お前はまだなにも、終わってないんだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 良いお兄さん!
2023/09/23 21:09 退会済み
管理
[良い点] なんかこういう厳しいけど誰よりも頼れる先生ってまじ良いよな
[一言] どれだけ妹のために手を尽くしてあげるのだろう。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ