15話 メッセージ
圭次の親戚に手伝ってもらい、引っ越し先に選んだのは2LDK。
この間まで暮らしていたワンルームに比べれば圧倒的に高いが、それでも月に七万弱で、すぐに入居できるのはありがたかった。
「もろもろの費用を考えると、けっこうしたんじゃねえの」
リビングに入ってすぐ、圭次が目を丸くして言った。
段ボールを運びながら、ため息交じりに答える。
「節約してなかったらやばかった。ほんと、積み重ねって大事なんだなって」
「うおっ、サブが言うと重いな」
「お前もちゃんと貯金はしたほうがいいぞ。いつなにがあるかわかんないから」
「確かに……俺も突然奈子ちゃんと暮らすことになるかもしれない」
戯れ言が聞こえたのか、後ろからふわふわ女子が入ってくる。
「どうしたんですか? 圭次さん」
「うわっ、なんでもない。なんでもないからね」
慌ててはぐらかす圭次。奈子さんは不思議な顔をしていたが、すぐに悠羽との会話に戻っていった。
「んで、サブはこの後どうするんだ? まだやることあんだろ」
「ああ、ちょっとな。悪いけど、悠羽連れて三人で昼飯行ってくれないか? 金は渡しておくから」
「いらねーよアホ。お前今、カツカツなんだろ」
「それだと悪いだろ。奈子さんは徹夜までしてんのに」
「こんな状況の親友に奢られるほど、俺だってカス野郎じゃねえのよ。余裕できたら、いくらでも奢らせてやっから」
「悪い……まじで助かる。ありがとう」
「へへっ。礼なんか言うんじゃねえよ、きもちわりい」
あー、きめえきめえ、と笑いながら圭次は女子二人に声を掛ける。
「昼飯行こーぜ。悠羽ちゃん、なんか食べたいもんある?」
「あ、えっと……」
「サブはまだ忙しいんだってさ。邪魔しちゃ悪いから、三人で行こう」
軽い調子で喋りながら、二人を連れ出してくれる。すぐにリビングには一人になって、俺と段ボールだけになる。
合鍵なら、車を降りたときに悠羽に渡している。戻ったときに俺がいなくとも、問題なく家に入れる。
キッチンでインスタントコーヒーを淹れて、部屋に戻る。椅子に深く座って、大きく息を吸った。
とりあえず、悠羽を連れてくることはできた。一緒に来てくれたおかげで、第一段階はクリアだ。
だが、本題はむしろこの後。
現在の俺の収入では、悠羽を養っていくのはかなり厳しい。生きていくことはできるが、新しい服を買ってやったり、友達と遊びに行かせてやることはできないだろう。
それでは意味がないのだ。
彼女から肉親を奪う。たとえろくでなしの親だったとしても、世界でただ二人の存在。気丈に振る舞っても、傷つくことに変わりはない。
あの子は優しいから。
俺のことすら慕ってくれるような、優しい子だから。
喪失に見合うだけのこれからを、示してやりたい。
そのためなら俺は、悪魔にだって魂を売ってやろう。元がクズだ。堕ちたところで大差ない。
空になったコップを机において、パソコンを立ち上げる。
母・父の部屋からそれぞれ一つずつ盗んできたものを手元において、それらについて調べる。この一年、ネットに関する仕事を増やしてきたおかげで検索は上手くなっている。
おかげで、そう苦労せずに狙いのウェブサイトを発見。スクショを撮ってUSBに保存。パソコンの電源を落とし、エコバッグにクリアファイルとUSBを入れる。
家を出てレンタカーを返却し、近くのコンビニに行く。さっきの画像データを印刷。クリアファイルに入れて店を出る。
ふと、コンビニのガラスに映る自分の顔が見えた。
「――はっ、ひでえ顔」
左右非対称の歪んだ表情が張り付いている。左半分は痛みを堪えるようにシワが寄って、右半分はやけに落ち着いている。強張った筋肉をほぐしてやると、少しはマシになった。
だが、マシになっただけで酷い顔なのは変わりない。
「これから人でも殺すのかね、俺は」
自嘲気味に笑って、近くの喫茶店に入る。
待ちわびた電話がかかってきたのは、それから四時間後だった。
◆
悠羽たちが昼食から帰ると、そこに六郎の姿はなかった。
書き置きはないが、どこに行ったのかは見当がつく。不安が一気にせり上がってきて、家から飛び出しそうになった。
「悠羽ちゃん、どこに行くんですか?」
「六郎のとこ、行かないと……! 嫌な予感がするんです」
奈子に手を掴まれて、悠羽は足を止める。だが、その目には強い意志が燃えていた。
ここで追いかけなければ、六郎はまた傷ついてしまう。そうしてまた、自分の前から消えてしまうかもしれない。
「それはダメだよ。悠羽ちゃんは、サブの努力を全部無駄にするつもり?」
普段の軽い調子ではない、冷えた男の声。言葉は優しいのに、圭次からはわずかに怒りが感じられた。
「君は知らないと思うけど――いや、実際のところ、俺もほとんど知らないんだけど。
あいつはこの家を見つけて契約したり、俺や奈子ちゃんに頭下げたり、知りたくないことを調べまくったり、大人たちに君の力になってくれるようお願いしたり――とにかく、いろんなことをやってきたんだ。
親と子供を引き離すのが簡単なことじゃないってのは、君にもわかるよね。
だからあいつは、なるべく問題にならないように、ちゃんと君の安全とか、生活が守れるように頑張ってたんだ。仕事もしながら、たった一人で全部やったんだ。
一人で行ったのも、全部、君のためなんだよ」
「でも、私だって――」
「あいつが命賭けて戦ってるのに、信じてやらなきゃかわいそうだろ」
圭次の顔を見て、悠羽ははっとした。
六郎の親友だというその男は、顔をぐしゃぐしゃにして、必死に涙を堪えていた。言葉が出てこなくなった彼の後を継ぐように、奈子が悠羽の手に触れる。
「悠羽ちゃんを迎えに行くとき、六郎さんの手は震えていました。きっと怖かったんでしょうね。でも、彼はそんな素振りは見せなかった。
私は正直、お二人ほど六郎さんのことを知りませんが……。でも、あの方は強い人です。圭次さんと同じように、強くて優しい、素敵な方です」
「ちょっと奈子ちゃん、その流れはマジで、マジで俺泣く……」
年上の男が泣くのを、悠羽は久しぶりに見た。
ありがたいなと思った。こんなに六郎のことを想ってくれる人がいて、こんなに心強いことはない。
「わかりました。私、待ちます」
悠羽にできることはないと、彼女は認めた。
だけどやっぱり、どうしても一言だけ伝えたくて――
その言葉は、『ゆう』に託すことにした。
◆◇
少女はスマホを額に当てて、祈るように目を閉じる。
『頑張ってください。』
届いたメッセージを見て、青年は小さく笑った。不意を突かれたような気分だったが、それで張り詰めていたものが解けた。
『はい、頑張ります。』
悠羽だったら送れなかった。六郎だったら受け取れなかった。
『ゆう』だから伝えられた。『サブロー』だったから笑うことができた。
それはなんとも、不思議な気分だった。