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【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
Ex 造花のような日々を笑って
135/140

1話 愚者の証明

――これは彼らが、前に進む決意をしたその先の物語



書籍化記念の番外編です


応援してくれた皆様へ、

この先も着いてきてくれるファンの方々へ、

最大級の感謝を込めて、もう少しだけ続きを綴ります

 ジンライムの喉を貫く香りが好きだ。アメリカの脂っこい料理は味がくどくて、味覚を思いっきりリセットしたくなる。


「ロクロー、また商談を成立させたらしいじゃないか」


 右隣に座った同僚のダニエルが、流し目で笑いかけてくる。ムキムキの黒人で気前が良く、仕事が一段落つくとこうして飲みに誘ってくれる。圭次とかいうカスを忘れたくなるほど、いい友人だ。


 グラスを顔の高さまで持ち上げて、顔の半分だけで笑う。


「チョロいもんさ」


 ダニーは深々と頷き、背中を叩いてきた。


「ああそうさ。チョロいもんだ。たくさんの準備と、たくさんの勉強と、土壇場での度胸があれば俺たちの仕事はすごくチョロい。だろう?」

「違いない」


 お互いのグラスを合わせて、音を鳴らす。残ったジンライムを飲み干して、別のカクテルを注文する。なんかノリで頼んだから、どんなやつが来るかはわからん。


「皆気にしてるんだぜ。君がそのチョロい仕事を、どんなふうにやっているのか」

「企業秘密」


「同じ会社だろう?」


 こんな軽い冗談だって、英語で交わせるようになった。やはり現地での経験は、面白いほどに人を成長させる。これまでちまちま成績を伸ばしていたのが嘘みたいだ。


「癖なんだ。相手がなにを考えているのか、今どんな気持ちなのかを考えるのが」

「へえ。そいつはすごいじゃないか。ちなみに、今俺が考えていることはわかるかい?」


「帰ってから、愛しのハニーとどうやって仲直りしようか――だろ?」

「やめてくれ! それを忘れるためにアルコールを頼ってるんだ」


 大げさなリアクションで首を振るダニーに、こちらもつい笑ってしまう。喧嘩してるんだから早く帰れと思うが、そういうものでもないらしい。

 やれやれと首を振ってから、ダニーは苦笑いでこっちを見る。


「ロクローはなにを考えてるんだ?」

「俺も同じさ。愛しの嫁さんを、どうやって笑わせようか考えてる」


 カクテルを呷る。

 この酒はやけに甘い。







 通話が繋がってから、一言目を発するまでの僅かな沈黙が好きだ。

 どんなふうに切り出そうか、どんなふうに切り出してくるか。声が聞こえることの喜びと、声を伝えることの緊張と。そういったものが凝縮されたこの時間が、好きだ。


「お疲れ、悠羽」

「お疲れさま、六郎」


 太平洋の向こう側。こちらはもう深夜だが、あっちは日が昇っている時間だ。

 アメリカと日本。走ったって届かない距離で、俺たちはお互いの夢を追いかけている。


 俺のは夢なんて大層なものじゃないかもしれない。ただ、自分がなにになれるかを知りたい。どこまで通用するかを確かめたい。その一心で、彼女を置いてここにいる。

 安堵と、愛しさと、寂しさが浮かんできて、それらをぼかすように言葉を続ける。


「熊谷先生の話、もう届いたか?」

「紗良さんからね。六郎は戻ってこれそう?」


「会社潰してでも帰るよ」

「それはやめて」


 物騒な冗談に、軽やかな笑い声が帰ってくる。


 恩師の結婚報告があったのは、つい先日のことだ。久しぶりにメールが来たと思ったら、まさかの結婚。あの熊谷先生が、結婚。テンション上がりすぎてスマホをベッドにぶん投げた。

 その結婚式に、出ないはずがない。その日のうちに社長に頭を下げて、休暇を勝ち取っている。


「結婚かぁ……」


 感慨深い声で、悠羽が呟く。


「なに噛みしめてるんだよ。もうしてるだろ」

「そうだけど! でも、知ってる人同士だとドキドキするじゃん」


「ま、それはそうだな」

「圭次さんと奈子さんが結婚したら、六郎もドキドキするでしょ」


「イライラする」


 俺がアメリカに行ってからも、やつらは順調に交際を続けているらしい。奈子さんが卒業するまであと二年。頼む。それまでにはなんとか別れてくれ。俺の親友には不幸が似合う。幸せは俺だけでいい。あいつも絶対にそう思ってる。


「まったく。素直じゃないんだから」


 なんのことかわからないので、黙って流す。やれやれと悠羽が首を振る気配。

 しばしの沈黙。電波の向こうで、何度か躊躇いの音がした。だから俺は黙って待つ。やがて、息を吸う音。次いで言葉が入ってくる。


「六郎はさ……、結婚式したい?」

「したいぞ」


「したいの!?」

「めちゃくちゃ華やかなやつ」


「めちゃくちゃ華やかにしたいの!? え、嘘?」

「ガチ」


「……」

「俺もちょっと前までは、式とかいいやって思ってたんだけどな」


「なにがあったの?」

「ウェディングドレスを着た悠羽が見たい」


 今度の沈黙は長かった。

 電話越しでもわかる。長年の経験から、あいつが今どんな顔をしているか。耳まで真っ赤にして、手をバタバタさせているに違いない。


「ばっ、ばか! そんなの別に、写真撮るだけでいいしっ! きゅ、急にはっきり言ってくるのほんとズルい! 嘘つきのくせに!」

「嘘じゃないぞ」


「よかった! じゃなくて、もう!」

「絶対挙げような」


「……うん。絶対ね」


 くすぐったくて俺は笑った。海の向こうで、悠羽も笑った。







 ――お前の努力は、なにひとつ無駄じゃない。いつか必ず、力になる時がくる。



 その言葉に、どれだけ縋ってきたことだろう。前に進む意思が消えそうな夜に、それでも残った光は恩師の言葉だった。


 無駄にしたくない。無駄にしてたまるか。

 俺がこれまで培ってきたものを。こんな俺を、大切にしてくれた人がいたことを。

 無駄にしないために、ただ、前へ。


 勉強をしてきた。自分にあった勉強法を探して、どんな場面でも応用できるように。だから、仕事のことを覚えるのは簡単だった。

 嘘をついてきた。会話を自分の理想通りに運ぶ習慣は、そのまま営業での武器になった。

 人の顔色を伺ってきた。だから交渉の場で、相手が求めているもの、興味を示したタイミングを見逃さない。

 なにもかもが、今の俺を形作っている。


「このままいけば、今年の営業成績一位は俺です」

「……とんでもない生徒を持ったな」


「熊谷先生のご指導のおかげです」

「そこまで指導した覚えはない」


 腕組みをして、ゆっくりと首を振られてしまった。

 結婚式の一週間前。長めの休みをもらって、俺は日本に戻ってきた。


 最初に会ったのが、熊谷先生というわけだ。車に乗せてもらって、ゆっくりできるレストランで向かい合っている。


「しかし、入社二年目で十日も休みをとれるものなんだな」

「だいぶ頭下げてきました。オンラインでちょっと仕事するってことで、なんとか」


 抱えていた案件を片付けたり、ちゃんと引き継いだり、しばらく俺がいなくても大丈夫にするのは骨が折れた。今の時代はどこでも仕事ができるので、休みといったって仕事はできてしまう。フリーター時代を思い出すね。


「三条はもう、俺より英語が上手いんだろうな」

「そうだと思います」


 自信を持って頷いた。頷けるように努力してきたから。


「でも、教えるのは熊谷先生の方が上手いですよ」


 苦笑いのような、もっと純粋な喜びのような、熊谷先生はそんな笑い方をする。そんな笑い方をできる大人だから、誰より信頼できる。


 この人が照らしてくれた道が、共に歩んでくれた時間が、正しかったと証明したい。

 それがきっと、生徒が教師にできる一番の恩返しだ。


「――で、どうやってプロポーズしたんですか?」

「んぐっ」


 急な方向転換に、熊谷先生は喉を詰まらせる。水を飲んでいたわけでもないのに、むせてしまうあたり、よっぽど効いたらしい。しばらく会わないうちに、俺がどんな生徒か忘れたのか。どうしても耐性がつかないだけか。


「まさか、紗良さんからってことはないですよね」

「ああ……だが、言うわけがないだろう」


「熊谷先生のことですから、直球勝負だったと思うんですけどね」

「……」


 思いっきり目を逸らされた。どうやら図星だったらしい。

 食後のコーヒーで口を湿らせて、ほっと息を吐く。


「意外かもしれないですけど、俺もそういうときはシンプルなんですよ」

「そうなのか。……いや、そうなんだろうな」


 いつもは捻くれたことばかり言っているけれど、本当に伝えたいこと、伝えなくてはならないことは濁さない。


 真っ直ぐな言葉の価値を、俺は知っている。

 そういう人たちとの出会いもあったから、俺はここにいる。


 プロポーズの話は、このへんで終わりにしよう。あんまり恩師で遊ぶもんじゃない。


「改めて、おめでとうございます」

「ありがとう」


 熊谷先生はほっとしたように、ぎこちなく笑った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 頑張って
[一言] 本作での大賞受賞、おめでとうございます。 朗報喜ばしいです。 作中の皆も、良い人生を送れているようですね。
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