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【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
最終章 やがてくる春のために
134/140

326話 嘘つきと家族の物語

 三条六郎が日本を発ってから、五年が経った。

 四月一日の東京。羽田空港で彼女は一人座っている。展望デッキで春の風を受け、スマホを眺めることもなく。


 肩のところで切りそろえた上品な茶髪と、純粋さの残る瞳。年の割に幼げだが、それでも昔に比べれば雰囲気そのものが引き締まっている。薄いベージュのコートを着て、時折左手に視線を落とす。薬指のあたりをそっと触るのは、そこにある指輪の感触を確かめるためだった。


 三条悠羽は今も変わらず三条悠羽だが、その意味は少しばかり異なる。

 かつて兄妹と書いていた続柄も、今では夫婦だ。


 その響きに――まだ慣れない。


 メッセージは毎日。電話は週に二度。帰って来るのは半年に一回。

 婚姻届を出して、指輪を買って、二人で旅行に行って、熊谷先生の結婚式に出て、そしてまた、六郎はアメリカへ戻っていった。


 帰って来るのが決まったのは、年明けのことだ。向こうでの仕事を辞めて、また日本で生活するらしい。理由について聞けば、本気か冗談か「和食が食いたい……」との返答があった。


 それから3ヶ月、悠羽はずっと胸を躍らせてきた。

 不思議なことに、この恋は静まることを知らない。いつまでも初恋は初恋のまま、色褪せずここにある。


「――あ」


 見上げた空に、飛行機のシルエットが見えた。

 立ち上がって柵まで走って行く。轟音と共に滑走路を抜ける巨体。窓はあまりに小さくて、どこに彼が座っているかわからない。


 いてもたってもいられなくて、悠羽は走り出す。







 着陸のアナウンスで目を覚ましてから、ぼんやりとスマホを取り出した。

 ロック画面は圭次と並んで立っている写真。夕陽で俺たちの顔は見えず、それがいい味を出している。


 パスワードを打ち込んでホーム画面には、見るも優雅な十二単を身に纏った悠羽の写真。加苅の会社で仕事をしているときに、着る機会があったらしい。その場に居合わせられなかったことは今でも悔しいが、それはそれとしてグッジョブだ。写真をもらってから一年、ホーム画面の絶対王者として君臨している。


 そこから画像フォルダにうつって、適当にスクロールして眺めていく。

 まさか俺が、こんなに大量の写真を撮る日が来るとは。昔はなにかを残すのが嫌いで、写真に写ることすら避けていたのに。


 アメリカで出会った多国籍な友人たちとの写真に加え、悠羽や圭次たちの姿すら今では撮ってしまう。年老いて丸くなったのかね、なんて思うがまだ俺は26だ。そんな理由じゃないことは、自分が一番よくわかっている。


 記憶に焼き付ければ写真はいらない。確かにそれはそうだ。俺も昔はそう思っていた。

 だけど、悠羽がくれた手紙で変わった。


 旅立ちの日に渡された手紙には、たくさんの写真が同封されていた。

 幼い頃から、あの日に至るまで。二人で映ったものを丁寧に過去から並べていって、最後に手紙が添えられていた。


『六郎へ

 ずっと一緒にいてくれてありがとう。

 これから先もずっと一緒にいようね。

              悠羽より』


 彼女が生まれたその日から、俺たちはずっと共に歩いてきた。時間と共に薄れてしまうものを。幼すぎて覚えていられなかった記憶を。そしていつか、俺たちのことを誰かに知ってもらいたくなったとき。

 写真がそこにあれば、より鮮明になる。


 飛行機が高度を落とす。窓の外に空港が見える。展望デッキのどこかに、悠羽がいるのだろうか。柵の向こうはよく見えない。見えないけれど、いるとわかる。わかるだけで心臓が駆け足で脈を打つ。


 ぐっと堪えてアナウンスに従い、人の列に混ざって飛行機から出る。空港内はもう完全に日本の匂いで、何度繰り返しても懐かしい。


 荷物を受け取ってロビーに出る。早足になるのを止められない。両手いっぱいの荷物くらいじゃ、ペースを落とすには足りないから。


 一直線に、彼女の下へ。


「悠羽」

「六郎」


 名前を呼んだ。荷物から手を離す。駆け寄る足を止めないで、彼女の細い体を抱きしめる。何年経っても色褪せない。どれだけ遠くにいたって、この胸の中心には同じ人がいる。


「おかえりなさい」


 腕の中で悠羽が言う。小さなその声は涙で濡れている。


「ただいま」


 ゆっくりと背中を叩いて、泣き止むのを待つ。いつまでだって待つ。

 頃合いを見てそっと離れて、彼女の手を取る。小さく繊細なその手を右手で包んで、その場に膝をつく。見上げる形になって、わざとらしく微笑んでみせる。


「俺と結婚してくれ」

「ふふっ。もうしてるじゃん」


 するりと俺の手から抜け出して、左手に輝く指輪を示す悠羽。それはもちろん、俺の手にもある証だ。

 立ち上がって膝の埃を払い、そうだったと頷く。


「あんまりにも魅力的だったもんで、ついプロポーズしたくなっちまった」

「またそんなこと言って。そのくらいで私が喜ぶと思ったら大間違いなんだからね」


「のわりにいい笑顔だな」

「うぐっ」


「ちょろい」

「ちょろい言うな」


「easy」

「英語禁止!」


「俺の五年間が……」


 こんなやり取りも何年目だろうか。俺たちは笑って、荷物を持って歩きだす。

 小さいのは悠羽が持ってくれて、空いた手を繋ぐ。


「ねえ六郎。今日がなんの日か知ってる?」

「さてな。四月一日になにかあった覚えはないが」


「エイプリルフール。嘘つきの日でしょ」

「俺にとっちゃ平日だ。こんな日はむしろ、本当のことしか言いたくないね」


「言ってみて」

「今日も俺の嫁が可愛い。年々可愛くなってる気がする」


「ちょっ、そういうこと急に言うのやめてよね!」

「頼まれたから言っただけだ。ほら、次は悠羽の番だ。なんか言え」


「無茶ぶりじゃん……。六郎も、前より格好いい……気がする」


 俺が黙っていると、悠羽は顔を赤くして手を引っ張ってくる。


「なんか言ってよ!」

「嬉しい」


「そういうのじゃなくて、もっとこう、恥ずかしくなくなること!」

「また難しいことを」


 少し考えて、それから俺はいつものように、軽薄な笑みを浮かべる。

 なんたって俺は、世界で一番の嘘つきだからな。


「たぶん騙されてるぜ、お前」

















◇◆




「ねえねえ、パパはどうしてママとケッコンしたの?」

「あー、おねーちゃんだけずるい! ぼくもきく!」


 てってってと小さな足音を伴って、双子の足音が両脇で止まる。


「ちょっと……パパ汗で臭いから。お風呂入ってからじゃだめか?」

「「だめー!」」


 ちらっと視線で助けを求めるが、マイハニーは皿洗いをしながらウィンクするだけだ。「そっちで子供を預かっといて」の顔である。


「じゃあ、着替えたらな。七海も翼も、それまで待っててくれ」

「「はーい!」」


 声がピッタリ揃う。このあたりはさすが双子だ。


 寝室で着替えて、スプレーで匂いを消してリビングに戻る。と同時に、二人の小さな怪獣が突進してきた。両腕で受け止めて抱きしめる。


「二人とも六郎が大好きみたい」

「ほんと、誰に似たんだかな」


 濡れた手をタオルで拭いて、悠羽が歩いてくる。子供たちを後ろから抱きしめて、俺と二人で囲い込む。


「ケッコンだー!」


 意味も分かっていないだろうに、七海が嬉しそうにきゃっきゃと叫ぶ。翼は瞬きをしながら、「ちゅーする?」と興味津々。我が子ながら、下世話に育ちすぎである。親にそういうのを求めるんじゃないよ。


 さてさて、それじゃあどうやってこの子たちに説明しようかね。


 まさか悠羽が義理の妹だったなんて言えるはずもない。子供には刺激が強すぎるからな。


 ま、そこは上手い具合に嘘でもつくかね。

 この子たちの人生を彩るに足る、愛に満ちた嘘を。

完結!


最後まで読んでくれてありがとう。

それでは、またどこかでお会いしましょう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 完結おめでたいです!
2023/10/24 08:50 退会済み
管理
[良い点] とっても面白かったです。
[一言] 素晴らしい物語をありがとうございました!
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