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【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
最終章 やがてくる春のために
131/140

131話 海一つ

 居酒屋に行くのはずいぶんと久しぶりのことだった。

 節約を心がけて生活をしているので、酒を飲むとしても家で安いアルコールを傾けるのが基本。酔うのがあまり好きではないので、控えめになりがち。


 だが今日は、そんなつもりは一切なかった。


「いいんだな、サブ」

「今日は飲むぞ」


 男二人。個室で向かい合って、掲げたグラスを合わせる。


「「かんぱい」」


 ぐっとレモンサワーを煽って、グラスを机に置く。


「しかし珍しいな。サブが酔いたいなんて」

「……」


「どーせまた、悠羽ちゃんのことだろ? いいぜ、なんたって俺っちは恋愛においてはサブよりも先輩だからな」

「雑魚童貞が」


「ブーメランだぞ……サブ」

「……ああ。わかってる」


 二人揃って脇腹を押さえ、無念の表情で机を睨む。

 かたや貞操が堅牢強固な彼女を持ち、かたや様々な理由で一線を越えられず。


 この一年で熟成されたどこへも行き場のないもやもやは、居酒屋の個室へ閉じ込めるにはあまりにも濃い。


「で、なんだよ悩みって。場合によっちゃあ相談料がつくぜ」

「相談ってわけじゃない。ただちょっと愚痴を聞いてほしかったんだ」


「ほう」


 サラダを口に運びながら、巨大なため息と一緒に吐き出す。


「アメリカ行きたくねえ……」

「アホボケの戯れ言じゃん」


「そうだよ。アホボケの戯れ言だ」


 がっくりと肩を落とせば、圭次はからからと氷を揺らして笑う。


「はっはっは。一人だけ海外進出して成功を収めようとするからそうなる!」

「別に俺は、成功したいとかじゃなぞ」


「あれ。そうなのか? てっきりサブはアメリカンドリームに憧れてんのかと」

「そんなスケールのでかい男じゃないだろ、俺は。幸せかどうかでいえば、今のままで十分だって思うくらいだし」


「そりゃあ可愛い恋人と一緒に暮らしてたら、それ以上の幸せなんてないわな。ちくしょう!」


 一人で勝手にキレてる圭次……こわ。


「おいなんで引いてるんだよ。なに『そっかこいつは俺より恵まれてないやつなんだな』って顔してるんだよおい!」

「俺より恵まれてなくて可哀想。早く別れてほしい」


「ついでのように別れを願うな!」

「圭次の不幸は本当に嬉しいんだ、俺」


「そのクズは我が友サブか」

「うむ」


 もう一度乾杯。やはりこいつはクズ同士波長が合う。

 圭次はじゃがバターを冷ましながら食べると、少しして顔を上げた。


「別に、帰ってきたきゃすぐ帰ってくりゃいんじゃね? アメリカなんて飛行機使えば一日かかんねー場所、大して遠くもねえ」

「遠いだろ」


 圭次の暴論に、つい笑ってしまう。

 圭次は俺を指さすと、目を細めてじっと睨んでくる。


「うっせ。だいたいな、サブは一年音信不通になってんだぞ。俺も悠羽ちゃんも、生きてるかすらわかんないまま放っておかれたあの時期と比べたら、ずっと近いだろうが」

「……そうだな」


 俺はずっと女蛇村にいたから、体感ではそこまで離れていなかったけれど。圭次からすれば、今度はどこにいるかわかるぶんずっとマシなのだろう。

 悠羽にとっても、きっと。


 だが、そんな理屈は別にして。


「悠羽がいない生活、冷静に考えてキツすぎる……」

「ふっはっは。いい気味だぜ」


「そこで笑えるお前はすげえよ」

「だてにサブの親友はやっていないのでね」


 演技とかじゃなくて心の底から笑ってやがる。こんなに綺麗な圭次の笑顔は見たことがない。


「うだうだ言ってねえで行けよ。悠羽ちゃんになんかあったら、俺が他の男紹介しといてやるから」

「あいつは女蛇村に行くってさ。だから他の男は近寄れない」


「村の中学生にエロガキはいないのか?」

「あの村で俺、地味に恐れられてるから大丈夫だと思うぞ」


 加苅とバチバチにやり合った経緯から、年下組には「目つきの怖い先輩」として有名である。最後まであいつのグループに混じれなかったのは、第一印象がそれだったから。

 結局去年も、大人たちといる時間が長かったし、根本的に俺は子供と合わないのだろう。


「だいたい、悠羽が他の男にほいほい釣られるわけないだろうが」

「寝取られるやつは全員そう言うんだよ」


「奈子さんは?」

「奈子ちゃんはそんな子じゃない」


「寝取られるやつは全員そう言うらしいぞ」

「……ちぇっ。ま、サブは大丈夫なんだろうよ。もちろん俺だって大丈夫だがな!」


「なんだかんだお前は続いているもんな」


 初めて見たときは一ミリも釣り合っていなくて、早々に別れるだろうと思っていたけれど。思えばこの一年、大きなトラブルもなく円満に続いている。この性欲モンスターを押さえつける奈子さんは、彼女というより調教師に見えなくもないが。


「一体なにが奈子さんを惹きつけるのか。世界七不思議の一つだろもう」

「知りたいか、サブよ。これは俺もついこの間知った、激熱い情報だが」


「言ってみろよ」


 やけに勝ち誇った顔の圭次。マジで聞きたくない。が、こればっかりはどうしても気になる。重く首を縦に振ると、ニイッと笑みを深める圭次。


「奈子ちゃんのことを世界で一番好きな男は、俺だからだ!」

「へえ」


「うっす! 反応うっす!」

「想像より当たり前のことだったから」


「当たり前だが、それが大事だって話だろ? もっと感動しろよ」

「スゴイナキソウ」


「すごい棒読み」

「大事は大事だが当たり前だろ。そんなこと」


「サブが言うと説得力の桁がちげえ……」


 がっくりと肩を落とす圭次。


「でもまあ、お前がずっとベタ惚れなのはすごいと思うよ」

「だろ?」


 ちょっと手を差し伸べたから、一瞬で気を良くするんだからこいつは……。単純というか調子がいいというか。


「唯一神奈子ちゃんだからなぁ。恋は宗教」

「じゃあ一生触れないな」


「触れるタイプの神様がいてもいいだろ。薄い本みたいに」

「たとえがゴミすぎる……」


 だがここは居酒屋。個室で男二人が集まれば、この程度の水準はむしろ普通だろう。

 とても女子には聞かせられない会話を、思う存分した。きっとこれも、しばらくはできないのだろうと思って。







 愉快な飲みは日をまたぐまで続いた。

 ふらつく足で外に出ると、二月終わりの冷たい風が頬を叩く。鈍っていたら頭が思考力を取り戻していくのを感じる。


 息を吐くと真っ白だ。


「んじゃ、またなサブ」

「おう。圭次も元気で」


「見送りは……ま、俺が行くのは無粋だよな」

「気を遣ってもらって悪いな。空港には二人で行くよ」


「じゃあ次に会うのは一年後とかか」

「戻ったら連絡する」


「予定空けるから、早めに言えよ」


 差し出された手を握り返して、柄にもなく握手をする。

 酔いが回っているみたいで、圭次の目はいつにも増して熱が籠もっていた。


「ビッグになれよサブ。お前はすごいやつなんだから」


 その言葉に、今度は笑って返す。俺は別に、自分がそういう器だとは思わないけれど。それくらいの気概で行かなくちゃ、楽しめないよな。


「爪痕残してくる」


 もう一度強く握手をして、それから俺たちは離れた。

 歩きだしたら振り返ることもなく、真っ直ぐに家を目指す。


 次に会うときに、あいつに自慢できるように。俺は歩くことを、やめてはならない。







 家に帰ったのは深夜一時を過ぎてから。

 悠羽には先に寝ておくように言っているので、静かに玄関ドアを開ける。


「……ん?」


 リビングのほうから明かりが漏れている。消し忘れて寝てしまったのだろうか。

 だが、疑問はすぐになくなった。足音がして、悠羽が現れたのだ。


「おかえり」


 眠たげに目蓋を擦りながら近づいてきて、俺の前で止まる。


「ん、お酒の匂い」

「今の俺は臭いから近づくな。うつるぞ」


「ハグしちゃだめ?」

「だめだ。っていうかお前、なんで起きてるんだよ」


 靴を脱いで洗面所に移動しながら、いちおう聞いておく。おおかた答えは予想できるが、そこに触れないのは気持ち悪い。


「飲み会に行った旦那さんを待ってるみたいだなぁって」

「その妄想、楽しいか?」


「妄想じゃないもん」

「妄想ではないな」


 実際にそうなので、なるほど確かに妄想ではない。唯一違う点があるとすれば、俺はまだ旦那さんになった覚えはないが……それはもう誤差だろう。


 旅行から帰ってきて、お怒りモードが収まってからずっとあの調子だ。胸を見られてのあれこれより、俺が「貰う」と言ったのが嬉しかったらしい。女心は本当に難解だ。


 洗った手で悠羽の頬に触れる。


「すぐ風呂入るから、もうちょっと待っててくれるか?」

「うん」


 せっかく起きていてくれたのだ。早く寝ろというのも悪くて、急いでシャワーを浴びる。染みついた酒と汗の臭いを削ぎ落とし、歯も磨いて迅速にリビングに戻る。

 椅子から立ち上がって近づいてくる悠羽を抱きしめ、優しく頭を撫でる。


「ただいま」

「おかえり。さっきも言ったけど」


「俺は言い損ねた」


 電気を消して、部屋に入る。布団に潜ったら、二人揃ってあくびが出る。もう遅い。話せることは、きっとほとんどない。


「ねえ、圭次さんとどんな話したの?」

「いつも通り、しょうもないことだよ」


「しばらく会えないのに?」

「離れてても大丈夫だから親友なんだ」


「そっか。いいね、そういうの」


 疲労が濃い夜はいい。いつもより欲求も弱いから、寝るのに苦労しない。

 最近は高まる邪気を抑え込むため、前よりがっつり運動するようになった。おかげでまだ、一線は越えていない。


 彼女の綺麗な体を見て、悠羽にもその気があると知って、それでもなにもしないのは単に、俺が弱い人間だからだ。

 その温もりを知ってしまったら、きっと足が止まってしまう。


 わかるんだ。自分を20年もやってると。

 俺は愛を渇望している。だからきっと、溺れてしまう。そしたらきっと、向こうで鬱になる。ガラガラ崩れる自分の精神が簡単に想像できて、結局やめることにしたのだ。ヘタレと呼ばれても文句は言えない。


 そんなことを考えている間に、意識がだんだん掠れていく。


「六郎は、戻ってくるよね?」


 近づく別れに。遠ざかって行く今日に。

 それでも俺は、微笑んだ。こんな暗い部屋で意味もなく。


「海一つ越えるだけだ。呼べばすぐ帰ってくる」

お待たせしました。

やっと手が空いたので、残り3話ほど書いていきます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 記紀神話のかなこちゃんは風雨を司る神様だったはず。ほらあれ……元寇の神風起こしたやつ……多分です。
[良い点]  更新ありがとうございます。  うむ愛し愛されていますねえ。  あと本当に同レベルの親友が居るというのも地味にデカい。  中々巡り合いませんものこんなピンズドな人間。 [気になる点]  一…
[一言] ああ、もう終わりですかあ… 旅立ちまで、かなあ。 連れて行かないで、残していく、と決めたんだったら、一度離れるしかないだろうけれど。出かける前に、すでにホームシックにかかっているようなもの…
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