表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
最終章 やがてくる春のために
130/140

130話 女心とハプニング

 その後もしばらく外を歩いて、部屋に戻る頃には悠羽はくたくただった。

 朝からの移動と、一日中はしゃいでいたこと。満足な食事に、腹ごなしの散歩。眠たくなる要素は十分に揃っていた。


「……知ってた。知ってたさ」


 彼女が眠った後の部屋で、布団から抜け出して窓辺の椅子に腰を下ろした。深々とため息をついて、右手で顔を押さえる。


 なんとなくこうなる気はしていた。俺と圭次は似たもの同士。きっとこうやって、焦らされ続ける星の下に生まれてきたのだろう。だいたい、人の不幸を願っておいて自分たちだけさっさと幸せゴールインしようなんて甘いにもほどがある。


 要するにこれは、日頃の行いによる結果。罰なのだ。そう思わないとやっていられなかった。


 電気を落とした室内と、静まりきった深夜の温泉街。聞こえるのは、悠羽の安らかな寝息だけ。

 上等な椅子だから、深く座るとそのまま眠ってしまいたくなる。


 首の力を抜いて、ぐったりと天井を眺める。もちろん暗くてなにも見えないし、見えたところでなにもない。

 暗い部屋。眠る悠羽。起きている俺。


 これはもしかして、めちゃくちゃエロいことするチャンスなのでは?


 ふっと浮き上がってきた考えは、ずいぶん久しぶりにクズらしい。小さく笑って、願望だけにとどめておく。


 クリスマスに、俺は悠羽のことを妹のようにも想っていると言った。

 けれどこの一年で、俺は徐々に彼女を妹ではない存在だと思うようになった。今残っているのは、消せない最後の一粒みたいなもの。


 一方で、悠羽は俺が兄であることを認めるようになった。


 同じ場所にいて、同じ景色に見てきたはずなのに。すれ違うようにお互いのことを想い、すれ違ったから側にいる。

 妹だと思うことをやめた俺と、兄だと思うようになった彼女と。


「兄貴、か……」


 圭次だったら「背徳感気持ちよすぎだろ!」とか言い出すんだろうが、俺としちゃ若干複雑だ。あまりにも悠羽は一緒にいたから、感覚的には実妹に近いのだろう。もちろん血は繋がっておらず、法的な問題はない。


 だが、妹として彼女を見たとき、そこに義理の壁は感じない。

 ええと……だから、まあ、別になにか結論を求めているわけではないのだ。


 かくっと頭が揺れた。

 ねみぃな。ねるか。


 布団に倒れ込んで、俺もそのまま意識を放り投げた。







 意識が覚醒してすぐ、それがまだ早い時間であることを悟った。

 部屋を満たす光の色が、淡い青。朝6時前の日光は、そういう色をしている。


 枕の感触がいつもとは違って、旅行に来ているのだと思い出す。

 ぼやけていた視界の焦点が徐々に合っていく。あくびで出た涙が乾燥した目を潤し、それでようやく思考が回り始める。


 どうも俺は、家以外だと眠りが浅くなるらしい。


 ごろんと半回転して、隣で眠っている悠羽に体を向ける。染みついた寝相か、彼女は俺の方に手を伸ばしながら眠っている。そっと手を伸ばして、髪を持ち上げる。頬と耳に触れて、耳たぶを親指で揉む。下心? そんなものはない。今の俺はたぶん、座禅を極めたときくらい凪いだ表情をしている。


 ぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷに……耳たぶだから許される。おまわりさんもきっと見逃してくれるに違いない。

 無心で揉み続けていると、やがて悠羽の目蓋がぴくりと動いた。


 さっと手を引っ込めて、何事もなかったように眺めるだけの体勢を取る。あんまりやりすぎると怒られるからな。

 少女はもぞもぞ動くと、ふにゃふにゃした動きで抱きついてくる。寝ぼけているのだ。


 無言でしばらく抱き合っていると、腕の中で悠羽が、


「おはよ」


 と呟く。


「おはよう」


 そう返して、体を起こす。

 起きて間もない悠羽は、布団に手をついてゆったりと体を起こした。目も開ききっていないし、ずいぶん眠たげだ。


 布団の中で動いたせいか、浴衣の帯がほどけている。直さないまま、起き上がる動作に合わせて肩から浴衣が落ちていく。


「んー」


 ぺたんと座る。その動作に合わせて、すとんと脱げた。


 滑らかな肌。ほっそりした鎖骨と、首筋のライン。可愛らしいへそと、脇腹の曲線。

 なにより目を引く、胸の膨らみ。


 そして俺は――瞬きをやめた。


「…………」

「…………」


 一秒か、あるいは永遠か。

 ばっと悠羽が手で体を隠して、永遠ではなかったことを知る。


「ば、ば、ばばばば、ばかっ!」


 震える声、赤い顔、涙目で叫ぶ悠羽。だが、なにも頭に入ってこない。状況は理解できるが、脳のほとんどが他のことに集中しているせいだ。


「ヘンタイ! スケベ! 六郎のエッチ!」


 どうしてだろう。今はその罵声すらも心地よく感じる。

 前にエッチと言われたときは、言いがかりだったからか。今は言われて正当な理由がある。十分なリターンも得た。


「そうだ。俺はヘンタイだ。めちゃくちゃエロいし、スケベと言われて然るべき人間だ」


 実際はたぶんそんなことない。同い年の男に比べたら、10分の1くらいなもんだろう。だが、ここで必要なのは弁明ではなく強行突破だ。


「忘れて! 今すぐ忘れて!」

「無理だ。俺は記憶力がいいからな」


 英語を一つ残らず忘れる代償に、さっきの光景を焼き付けた。ごめん熊谷先生。アルファベットから教えてください。


「うぅ……もうやだ、お嫁さんに行けない」

「いや、いやいやいや。行かれたら困るって」


 頭を抱えた悠羽にツッコむと、上目遣いを向けられた。涙で濡れた瞳が、あり得ないくらいエロい。すごい。俺の知能がバカ下がってる。


「どうして?」

「だってお前は、俺が貰うんだから」


 咄嗟に出た言葉は、とんでもないことのような気がしたけれど。心臓がバクバクなっていて、全身が熱くて、呼吸が浅くなる。要するになにも考えられない。

 とろんとした目が、真っ直ぐに俺を捉える。


「六郎が、貰ってくれるの?」

「あ、ああ……そりゃそうだろ」


 あれ。

 俺なんか、勢いでとんでもないこと言ってないか。


 すっと脳の奥が冷えて、圧迫されていた思考回路が息を吹き返す。

 これはあれだな。普通にプロポーズしちまったな。


 つっと冷たい汗が背筋を伝うが、悠羽は枕を抱きしめて赤い顔を隠して言う。


「そ、それなら……許してあげる」

「いい、のか」


 なにから考えればいいかわからない。とりあえず今は、許されたことに安堵すべきだろうか。

 え、っていうか。


「結婚すれば見放題?」

「調子に! 乗るなッ!」


「ぐはっ」


 思いっきり枕を投げられた。顔面にクリーンヒット。いいピッチャーになるよ、お前。

 布団に倒れて見上げる天井は、やっぱりなにもなかった。







「悠羽さーん、そろそろ許してくれてもいいんじゃないっすか」

「ふんっ」


 帰りの電車を降りてなお、悠羽の機嫌は完治せず。これはまたずいぶんと面倒な事態になってしまったなと首を振る。

 やっぱり見放題はよくなかったかと反省はしつつ、被害者づらをしておくことにした。


「はぁ……。元はと言えば、お前が勝手に脱いだんだろうが」

「脱いでないし! 脱げただけだし!」


「俺目線じゃ変わらん」

「ガン見してた」


「武士たるもの、そこにある現実から目を逸らすわけにはいかない」

「武士はそんなこと言わない!」


「じゃあなんて言えばいいんだよ」

「なにも、言ってほしく、ないの!」


「わかった。もうなにも言わないから、機嫌直してくれよ」

「むぅぅ……」


 なおも不満げにつかつかと歩いていく。面倒くさいことこの上ない。これはもう、向こうが落ち着くまで待つしかないのだろうか。

 それともあれか。


「俺が脱ぐしかないのか……?」

「なんでそうなるの!?」


「冗談に決まってんだろ」


 口ではそう言いつつも、なるほど違うのかと納得する。違ってよかった。あいにく俺には、見せびらかすほどの筋肉はない。

 もう打つ手無しだ。頭をかいて、降参だと両手を挙げる。


「で、なんでそんなに怒ってるんだ。頼む。教えてくれなきゃ俺はわからん」

「…………可愛い下着、着てなかった」


「は?」


 ぽかんとして立ち止まった俺を置いて、悠羽は歩くペースを上げる。

 瞬きを三回。どんどん遠ざかっていく背中。


「待て待て待て! わからん、全然わからん!」

「バカうるさい! 女心のわからない鈍感!」


「だからこそ学ぶ必要があるんだろうが!」

「自分で調べろばーか!」


 思いっきり怒られると、さすがにちょっとへこむ。俺、そんなに女心わかんないやつだったのか。


「……わかった、調べてから帰る。合鍵持ってるな」

「うん。そうして」


 ため息をついて俺は道ばたで足を止める。悠羽の背中が見えなくなってから、スマホを開いて『可愛い下着 理由』と調べてみる。


 その場にふらふらと座り込んだのは、数十秒後のことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言]  まあ男だけじゃなく女性も「その気」のときは勝負服(下着)をつける、ってことでは?  なんか真面目に話す内容でも無いけどw  つまり悠羽もその時はとびっきり可愛い自分を見て欲しいということで…
[一言] 盛り上がって期待していたんだろうになあ/w やっぱりこうなる。 元から彼は結婚するつもりだったろうけれど、彼女はどうだったんだろう。てっきり、彼女もそのつもりだと思っていたけれど。 可愛…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ