13話 犯行予告
悠羽と話をしてから帰宅し、仕事を片付け、夜。
フラれそうだと嘆く圭次との電話で、開口一番に俺は言った。
「状況が変わった。お前と奈子さんには、さっさと仲直りしてもらわなくちゃ困る」
「……お前、本当にサブか?」
仲間がモンスターに乗っ取られていることに気がついた、みたいな口調で尋ねてくる。
「なんで友達を助けようとしただけで疑われにゃならんのだ」
「黙れ! 俺の親友はそんなまともなことは言わん!」
「俺への信頼と理解度が高すぎるだろ……」
なんで俺、破局しそうな友達を助けようとして怒られてんだろう。厄年?
「さてはサブ、彼女ができたな。許せん!」
「いや許せよ。お前もいるんだからいいだろ」
お互いが幸福になった後も足を引っ張り合い続ける理由はない。……まあ、圭次は絶賛フラれそうらしいが。こっちを気にする前に自分のことをなんとかしてほしいものだ。
「っつうか、彼女なんてできてねえ」
「ではなぜ、破局しそうなカップルを前にして笑わんのだ!」
「どういう気持ちで言ってんのそれ? お前は俺に慰めてほしいんじゃないのかよ」
「慰めはさっきママにしてもらった!」
「親離れしろよぉ……」
もうダメだってこいつ。社会に解き放っていい生き物じゃないって。誰か早く引き取ってあげてください。俺には制御しきれん。
「だから最初にも言ったが、状況が変わったんだ。お前と奈子さんが付き合ってたほうが、俺にとって都合がいい。安心しろよ。俺は今日も、圭次の幸福なんて1ミリも願っちゃいないからさ」
「ならいいや」
いいのかよ。
圭次は電話越しにでもわかるほど脱力し、いつもの軽い調子に戻る。
「んで、状況ってなにさ」
「その前に、奈子さんのこと話すんじゃないのかよ」
「冷静に考えれば、彼女いない歴=この先の人生。のサブに聞いても仕方ないからな」
「引きずり回すぞ貴様」
「わっはっは。少なくとも今この瞬間、俺がリア充でサブが非リア充であることには変わりないんだからな。立場をわきまえろよ雑魚が!」
「マジでさっさと別れてほしい。早急に不幸になれ」
誰かこいつに強めの呪いを。この中に呪術師はいませんか!?
ったく、と吐き捨てると、圭次はひどく嬉しそうに「かかか」と笑った。なにがそんなに嬉しいか、俺には理解できん。
理解できんので、もうその件については考えないことにした。
正直、あまり余裕はないのだ。思考のキャパは無限じゃないから、他人の色恋沙汰に首を突っ込まなくていいのは助かる。
「んで、なーんで俺と奈子ちゃんが付き合ってると都合いいわけ?」
「その辺の説明は今度する。ひとまず、お前に頼みたいことがあるんだ」
「おうよ。なにかはわからんが、わかった」
一方が幸福を掴めば、全力でそれを呪うのが俺たちの友情だ。
だが、お互いが困っていれば理由を聞かずに手を貸す。そういう側面だってある。
「圭次の親戚に、不動産で働いてる人いたよな。紹介してくれないか?」
「引っ越しか。なんでまたこの時期に」
「ワンルームじゃ、二人は住めないだろ」
しばしの沈黙。スマホ越しに、圭次が難しい顔をしているのがわかる。
たっぷり一分ほどして、やっと声が聞こえた。
「俺は一緒に住まないぞ」
「ゾッとするからやめろ!」
なんで腐った展開にせにゃならんのだ。
「悠羽だよ。あいつを親から引き離す」
「ほえー。なんでまた」
「まあ、いろいろあんだよ。人には人の絶望って感じで」
「なるほど。じゃあ、聞くのはやめとくわ」
「助かる」
「あーっと、いちおう言っとくけどさ、サブよ」
「なんだよ」
「妹とは結婚できないんだぞ」
「もう黙れお前は」
◆
自分のことを想ってくれる人がいる。
たったそれだけのことで、どれほど救われるか。
悠羽はベッドに横たわり、天井を見つめる。リビングからはいつものように、父と母の喧嘩が聞こえてくる。近所にも知られていそうな、怒声と物音。この数ヶ月で割れた皿とコップの数は考えたくもない。
なにより息苦しいのは、彼らが『悠羽の親でいるのはどちらか』で揉めていることだった。揉めている、という言い方はいささか丸すぎるかもしれない。
悠羽という娘をめぐって、憎しみを日々深めていた。
「お腹を痛めて産んだのは私よ」
「金を稼いで育ててやったのは俺だ」
そんな会話が、毎日のように聞こえてくる。止めようと入ると、途端に二人とも優しい顔になって、
「悠羽は部屋に戻っていなさい」
と言われる。
さっきまで怒っていた人が、自分にだけ急に優しくなる姿は、寒気がするほど恐ろしかった。激昂とは違う類いの、考えが読めない恐ろしさだ。
だから彼女はずっと、息を潜めていた。自分の存在そのものを消すように、静かに部屋でやり過ごす。それしかできない。
だけど今日は、少しだけ気が楽だった。
六郎が、なんとかすると言ってくれたから。
自分に任せろと、言ってくれたから。
ただそれだけで、光が差す。
彼女にとって六郎という存在は、それだけ信頼に値する人間だ。
どれくらい待てばいいかも教えてくれた。
「2週間以内には手を打つから、それまで頑張ってくれ。どうしても無理なら、明日でもいいんだが」
「待てるよ。たった2週間なら、平気」
「わかった。じゃあ、近いうちに連絡するから。……メルアド教えてくれ」
一瞬だけ悩んだのは、『出会い系アプリ』の存在がよぎったからだろうか。悠羽の頭にも同じものがよぎったが、やはり言い出せはしなかった。
偽者の『ゆう』と『サブロー』は、未だに会話中である。
そして、それとは別に『三条六郎』と『三条悠羽』でメールのやり取りも始まった。
なにがなんだかわからないが、悠羽はそれでいいと思った。
アプリでの会話は、六郎と再会するきっかけになったものだ。それは間違いなく、彼女にとって大切なもの。消してしまうなんてもったいない。
それに、こっちには六郎の写真がある。
ベージュのロングコートを羽織って、髪をワックスで固めたその姿が、不思議と今は格好よく見えるのだ。
「やばい……私、ちょっとブラコンかも」
少女は布団にくるまって赤面した。
◆◇
事態が動いたのは、それから12日後。
六月中旬、雨の夜。
悠羽の携帯に、一通のメールが届いた。
『三条六郎
件名:(無し)
明日午前10時、三条悠羽を誘拐する』