126話 デジタル
その金の存在を、どうやって悠羽に明かすかは俺にとって難しい問題だった。
彼女の父親からぶんどった、約三十万円の存在。大金というほどではないが、悠羽にとっては初めて持つ量のお金だ。ぽんと渡したところで、困惑させてしまうだけだろう。
父親からだとは、ずっと伝えるつもりでいた。自分で稼いでもいないのに、変な借りを作っても居心地が悪い。悠羽にそういう騙し方をしても、苦しくなるのは俺だけだ。
だからなるべく真実を。細部は適当に整えて伝えることにした。
「卒業祝いって……え、でもお父さんって働けてないんじゃ」
「貯金はしてたんだろ。あとは保険金とかじゃね? 実家に戻ったって言うから、出費も今じゃあんまりないんだろうし」
つらつらと言葉を並べて、話の焦点をずらしていく。
「――ま、病状もマシになったんじゃねえの」
知らんけど。
「そっか」
ぽつりと呟いて、悠羽は黙り込む。
「俺が貰っても気まずいだけだから、お前が使ってくれ」
「うん」
「どうやって使うかは任せる。決まったら教えてくれ」
「ちょっと考えさせて」
それも当然だろうなと思う。なんだかんだ言ったって、複雑なものは複雑だ。受け容れて、気にせずいられるように見えても、いざ目の前にくると話が変わってくるものだ。
「パソコン、買います!」
「はえーなおい」
「ちょっとって言ったから」
「普通に何日かかかると思ってたんだが……。ま、決めたならいいか」
「だって結局買うことになるから。悩んでも意味ないかなって」
「あっさりしてんな」
「たくさん悩むことがありましたから」
えっへんと胸を張ると、悠羽は真剣な表情になる。
「それが一番自分にとっていい使い方だと思うから」
「わかった。よし、じゃあ探すか」
腕まくりをして、スマホからパソコンに切り替える。悠羽が椅子ごと隣にやってきて、画面をじっとのぞき込む。こういう場面が多いので、俺のパソコンは健全なものしか映らないようになっている。
「六郎と同じやつはないの?」
「パソコンのペアルックは斬新だな」
「だって服もアクセサリーも嫌なんでしょ」
「パソコンならいいって発想がすげえよ」
「する?」
「しない。今ならもうちょいいいやつが安く買えるから、そっちにしてくれ」
「そうなんだ」
「パソコンは日進月歩だからな。俺のやつなんて、型落ちもいいところだぞ」
買った時点で何世代か前のだったので、今は下手したら新品で売っていない可能性もある。性能が低いわけではないが、せっかくならより新しいものを、というのが無難な考えだろう。
画面を見つつ、仲のいいゲーマーたちにも質問してみる。小学生の頃から自分で組み立てたパソコンを使っている猛者もいるので、いいアイデアがもらえるだろう。
サーバー内には常時人がいて、さっそく返信が来る。ネットオタクは返信が早い。それでいて長文なので、彼らの爆速タイピングには恐ろしいものがある。
「なるほどなるほど」
「え、全然何書いてるかわかんない」
並ぶ文字はもちろん英語。専門的な用語が並んでいるので、初見ではわかりようもない。もっとも、パソコンについての言葉なので日本語でもわからないだろうが。
「この世の全てを教えてくれてる」
「そうなの?」
「ああ。説明が止まらん。1行読んでる間に2行増えてる」
「わっ。長文問題みたい」
知識貯蔵系オタクの恐ろしいところだ。彼らは感覚がバグっているので、1聞くと100返してくる。10とかじゃ全然足りない。だが、そこが面白い。自分が思いつかなかった質問の答えも得ることができるので、彼らの話を聞くのは楽しいのだ。
知性の奔流に押し流されていった果てに、おまけと言わんばかりにいくつかURLまで張ってくれる始末だ。いい人すぎる。
お礼を言って、今度将棋を教える約束をして終了。
「ちょーっと待ってな」
ざっくり掴んだ内容を確認するため、送って貰った文章を読み直す。ゲーム中にも何度か聞いた単語で構成されているので、特に困る部分はない。
「こんな難しいのでも読めるんだね」
「たまに遊んでる相手だから、よく使う言葉とかはわかるし。慣れればなんとかなるぞ」
悠羽が言葉を返さないので、ちらっと横を見る。少女は目をぱちぱちさせて、ぽかんとしている。
「どうした」
「……なんか、ほんとにすごいね。そんなに英語できるようになったんだ」
「そうか?」
自分じゃあまりピンとこない。そりゃあ成長はしているだろうが、どうしても至らない部分ばかり目についてしまう。
「うん。だって夏とかはずーっと同じページ読んだりしてたじゃん」
「確かに」
「今は日本語と同じくらいのペースで読んでたし」
「まじか」
「自覚ないの!?」
「や、最近は英語使う相手がテストじゃなくてネイティブだから……できるって確信が持てなくてさ」
偏差値もなにもない。ただ話して聞いての繰り返し。伝わっているかも、実際ボイスチャットだけでは曖昧なものだ。ゲーム中はノリで会話してるので。
「自信持っていいと思うよ」
腕組みして、なるほどと頷いてみる。俺も英語できるマンになっていたのか。
「いや、だめだ。安心すると絶対に手を抜くようになる。俺は英語ができない」
「……どうして六郎が勉強できるのかわかった気がする」
戦慄する悠羽に、静かに頷く。
「で、パソコンだが」
「はい!」
「さっきのを参考にしたところ、これなんかいいんじゃないかと思ったんだが」
「じゃあそれにします!」
「自分の意思どこ」
「私にわかるのは色しかないもん」
「潔くて非常によろしい。じゃあ好きな色を見つければいいな」
「青」
「ない」
「えっ」
「まあホーム画面がデフォルトで青いやつとかあるし、それでなんとか」
「じゃあなんでもいい……」
「これとかどうだ」
「それにする」
青以外ならなんでもいいらしく、大人しく頷く悠羽。面倒くさいのか簡単なのか、いまいちわからないやつだ。
「よし。じゃあこれな」
淡々と操作して購入。ネットで割引されているものなので、店頭よりも安い。こういうのは案外、メーカーホームページから買うのが安かったりするらしい。
「よし、買った買った」
「買っちゃった……」
「これでお前もデジタル社会の仲間入りだな。なにが知りたい?」
「六郎はなにができるの?」
「わりとなんでもやったからな。簡単な動画編集、画像加工、ホームページ制作、仕事はもうちょいいろいろやってるけど、スキルで言えばそんなもんか」
「聞いたことあるやつばっかりだね」
「加苅んとこでやるなら、まず画像加工とパワーポイントかな」
「じゃあ、その順番でお願いします」
「了解」
最後の3ヶ月も、忙しくなりそうだ。