表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
最終章 やがてくる春のために
125/140

125話 あの場所で

 初詣から帰ってきて、くたくたになった俺たちはすぐに寝る準備を済ませた。

 入ったばかりの布団は冷たくて、風呂上がりの悠羽は温かかった。お互いを湯たんぽ代わりにして、溶け合うように抱きしめる。心地よい疲労と穏やかな気持ちであっという間に意識が途絶えた。




 夢を見る。

 眠っている最中にではない。


 ふと意識が覚醒した、青白い光の差し込む部屋で。遙か未来のことを、夢に見る。


 それはどこか遠く、心地よい風の吹く草原。ブルーシートを敷いて、二人並んで腰を下ろす。ずっと向こうまで空と緑が広がっていて、俺たちの他には誰もいない。

 そんな場所で、最後の瞬間を迎えることができたなら。

 きっと俺は、なんの悔いもなく笑える。


 大切だと思った人。幸せになってほしいと願った人。

 大切にすると決めた人。幸せにすると誓った人。


 悠羽がずっとこの先も俺の隣にいて、ふにゃっとした笑みを浮かべてくれること。

 それが俺にとって、なにより幸福な結末なのだ。


 起こさないようにそっと、指先で彼女の髪をすくう。隠れていた顔が見えて、そのあどけなさに泣きたくなる。

 きっとこれから、彼女はたくさんの辛い思いをする。それはもしかしたら、俺がこれまで通ってきた道より険しいかもしれない。多くの傷を負って、変わってしまうものもあるのだろう。


 それでも、進むと決めた君のために。

 俺ができることはなにもないけれど。

 何度だって願おう。どうか君が、なりたい自分になれますように。その目に宿す光が、曇ってしまいませんように。不器用なこの俺の思いが、ほんの少しでも伝わっていますように。


 そんなことを思いながら、また眠りにつく。







 1月2日から、六郎はまたゆっくりと仕事を始めた。4日からは完全に通常運転になり、悠羽にも登校日がやってくる。


 悠羽にとって、もはや高校生活はほとんど無いに等しい。

 大学受験を控えた三年生たちは、一次試験が終わると自由登校になる。自由なので学校へ行ってもいいのだが、受験をしない悠羽がすることはない。


 熊谷先生からは「いつでも来ていいからな」と言われているが、基本は家か図書館あたりで過ごすことになるだろう。


「ゆはー、受験終わったらぜっっったい遊ぼ!」

「うん。楽しみにしてるから。頑張って!」


 志穂と三月以降の約束をして、悠羽は一人になった。

 ずっとやることもなく公園にいた、あの頃と同じである。違うのはこれが合法的なものであり、今はやることを探す意志があること。行く場所だって、公園じゃなくていい。


「私も頑張らなきゃ」


 四月に向けて、ぎゅっと拳を握りしめる。自転車で風を切って図書館まで。

 まだ昼過ぎなので、六郎は仕事中だ。すぐに帰ると、邪魔になるかもしれないので、他の場所で時間を潰すことにしたのだ。


 鬼気迫った受験生で溢れる自習室は避け、書架から本を取って近くの椅子に座る。

 元は苦手だった読書だが、この一年で少しは好きになれた。苦痛に感じることが少なくなり、面白いと思える部分までたどり着くようになったのだ。


 外が暗くなってきたのを確認して、家に帰る。

 玄関を開ければ六郎が出てきて、迎えてくれる。


 なんでもない話をして、家事に取りかかって、2人の時間だ。


 残り3ヶ月を噛みしめていると、ふとした瞬間に頭をよぎる弱い自分。

 今からでも訂正して、六郎についていきたいという心の声。もっといえば、六郎に行ってほしくない。ずっとこの街で、このまま暮らしていたい。なんて言葉すら湧き上がってくる。


 それをぐっと噛みしめて、笑顔を作る。背中を押すと決めたのだ。自分も自分の道を見つけると誓った。


 六郎がアメリカの話をするときの、キラキラした目が好きだから。生まれて初めて自分の意思でなにかを成し遂げたいと思う人の、あの輝きを失ってほしくないから。

 この痛みが、自分を大人にするのだと信じて。


「最近は英語、どんな感じ?」

「日本でやれることは全部やったんじゃないか。あとは、向こうに行って使いまくるしかないって感じだ」


「帰ってきたらペラペラだね」

「さすがにそうだろうな。仕事で使ったら、ならざるを得ない」


「海外旅行するとき、六郎がいたら安心ってこと?」

「行く国によるけどな」


「オーロラみたい!」

「さっそく英語使えなさそうなとこきたよ……。あれってフィンランドとかだろ」


「フィヨルド!」

「そのうち行きたいな」


 穏やかな表情で話をする六郎は、ふと思い出したように瞬きをする。僅かな動作だが、悠羽は気がついて口を閉じる。


「海外旅行で思い出したんだけど……俺の仕事、旅行関係になりそうなんだよな」

「アメリカで?」


「そう。大門さんって人が旅行者向けのサービスを展開してるらしくてさ。俺もそこで働くことになりそうなんだ」

「へぇぇ。楽しそうだね」


「だよな。だから今はとりあえず、アメリカの地理とか文化を勉強しとこうかと思っててさ。英語も結構読めるから、向こうの人が書いてるブログとか面白くて――なんだよ」


 無意識のうちにニヤニヤしていた悠羽に、六郎が眉をひそめる。


「ふふ。六郎、夢中なんだね」

「…………」


 黙り込んで目を逸らす。悪戯のバレた子供みたいなその表情に、少女は面白くてますます笑ってしまう。


「ねえ、もっと聞かせてよその話」

「別に面白くはないだろ」


「ううん。面白い面白い」

「また今度な」


「えー。泣く」

「泣くんじゃねえ。彼女だろ」


「すごい角度からパワハラ始まった! じゃあ六郎も、彼氏なんだから話をしないとだめですー」

「いいえ」


「機械みたいな否定しない!」


 じっと睨み合って、ぱっと悠羽が目を逸らす。六郎は安堵したように、小さくため息を吐いた。


「もう。照れ屋なんだから」

「柄じゃないだろ」


「そんなこと気にしてるの、おかしいよ」

「気になるんだよ。俺は」


 自分が人からどう見られているか。それをずっと気にして、コントロールしてきたから、六郎はまだ自分の話をするのが苦手だ。相手の想像と違う姿を見せて、その結果どう思われるか。少しでも予測できるように、不規則な行動はしない。それもまた、染みついた生き方である。


「じゃあ、気にならなくなったら話してね」

「そうなったらな」


「なので今日は罰として、私の話を聞いてもらいます」

「罰じゃないだろ、それ」


「男の人は話を聞かされるのが嫌って言うじゃん」

「お前の話はつまらなくても嫌じゃないよ」


「つまんないって言った!?」

「仮定の話だ」


「つまんない時もあるってことでしょ」

「それはそう」


「もー!」


 わざとらしく拗ねると、六郎は頬杖をついて息を吐く。それから少しだけ真面目な表情になって、尋ねた。


「で、話ってなんだ」

「……えっと。4月からなんだけど、私、女蛇村に行こうと思ってる」


「知ってるぞ」

「え!?」


「嘘だけど」

「ええっ!?」


「予想はついてたからな」

「え、え、どういうこと!?」


 あまりに落ち着いた六郎から繰り出される、連続の揺さぶりに動揺する悠羽。


「お前はそうするだろうなと思ってたよ。だって好きじゃん、あの村が」


 悠羽はぱちぱちと瞬きして、それから恥ずかしげに目を伏せる。六郎が自分のことをちゃんと理解していることが、嬉しくて照れてしまうのだ。


「利一さんのところか? 最近ますます人気になってるらしいもんな」

「そう。あとは美凉さんと一緒に、村おこしもやりたいなって」


「屋台も頑張ってたもんな。俺はすごくいい選択だと思うぞ」

「うん。六郎ならそう言ってくれると思ってた」


 かつて六郎がいた村で。彼ではなく、自分にできることを探したいと思った。

 それに、女蛇村なら六郎も安心してアメリカにいける。いきなり一人暮らしをする余裕もないし、現実的な手段でもある。


「でね、私もなにかできることがほしいなって思ってるんだけど……パソコンの使い方、ちょっと教えてくれる?」

「確かに、加苅の力になるなら覚えといた方がいいよな。――よし、パソコン買おう。悠羽のやつ」


「え?」

「スペックはどんくらいあればいいかな。動画編集ができれば最高だけど、初めてだしオーバースペックになっても勿体ないか。……つっても俺、こういうのに詳しくねえからな。よし、ゲーム仲間に聞いてみる」


「ちょっっっっと待って! パソコン買うの?」

「買わなきゃ話にならないだろ。俺のパソコンったって、仕事で使ってる時間長いし」


「そうだけど……でも、高いじゃん」

「大丈夫なんだな、それが。最終的にはお前の判断にはなるけど、金ならもう受け取ってるから」


 片目を閉じて、複雑な表情で。それでも彼は前を向いて、


「お前の父さんから、早めの卒業祝いだよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] なるほど。彼女を残していくなら、それが一番安心な解ですね。想像がついていたから、好きなようにさせたのかな。 彼がいない、だけれど周りに知った人が沢山いる環境で、彼女は彼女なりに成長していくの…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ