12話 あとは任せとけ
「六郎。父さんたちな、お前抜きで家族をやり直したいんだ」
その日、あの男はやけに落ち着いた口調で俺に言った。
普段は酒で興奮しながら荒れているか、静かに不機嫌かのどちらかで、会話の成立する相手ではない。
いつからだったか、関係は悪化し、俺とあの男はほとんど言葉を交わさなくなっていた。
だから、いきなり外に連れて行かれ、ファミレスで向き合ったときに嫌な予感はしたのだ。
懇々と言い聞かせるように、あるいは頼み込むように、あの男は告げた。
「お前ももう十八歳。来年には高校も卒業する。だからもう、うちから出ていってくれ」
有無を言わさぬ口調に、心が急速に萎えていくのを感じた。
高三の12月。進学校に通い、三年間真面目にやってきた。学年でも成績は五番以内。志望校はA判定。あと一ヶ月で試験が始まる。
そのタイミングで、すべてを断たれた。
バイト禁止の学校に通っていて、小遣いも与えられていなかった。自分で使える金はなく、入学金すら用意できない。奨学金の申請時期も過ぎていた。
なにより、すべての意志が消えてしまった。
どうせ自分は、これから先の人生もずっとこうなのだろう。必死に積み上げたものすら、誰かの一言によって壊されていくのだ。そう思うと、すべてがどうでもよくなった。
俺の人生は、普通よりちょっとばかり複雑だ。
生まれてすぐに親が雲隠れして、孤児になった。そこへ今の母親とその元夫がやってきて、俺を養子に引き取った。元夫は精子が奇形だとかで、子作りができなかったらしい。その後、母親と元夫は仲違いして離婚。再婚した相手が今の父親で、その子供が悠羽だ。
スタートが養子だから、その時点でどこともなんの繋がりもない。三条家になぜか存在する異物。それが俺だ。
小さい頃はまだ、可愛げがあったからよかった。だが、成長していくにつれ俺はあの家で異物感を増していく一方だった。
俺を連れてきたのは、母のほうだ。母は俺を嫌ってこそいなかったが、味方になることもなかった。父とのギスギスに耐えられず、家から追い出すことにしたらしい。
――まあ、やっと解放されると思えば気は楽か。
唯一の心残りは、悠羽の存在だった。
彼女だけは、俺が家を出ると知ったら反対するだろう。
だから。
本当のことを言えば、あの喧嘩は都合がよかったのだ。
悠羽が俺を嫌いになる。俺は二度と家に戻らない。それで全部、解決すると思っていたのに。
◇
「お母さんとお父さん、離婚するんだって」
さらさらと鳴る葉の音。昼下がりの脱力した空気の中で、悠羽ははっきりとそう言った。
――家族をやり直したいんだ。
そう言っていたあの男の顔が浮かぶ。法的に決められた父親であり、それ以外のなにものでもない。
俺は一つ、致命的な間違いを犯していた。
それは、あんなことを言う人間に、家族を守ることなんてできやしないということ。
当時は受験がドブに捨てられたことや、小牧と別れたこともあって、冷静な判断ができなかったけれど。
俺は、とんでもない場所に悠羽を置いて行ってしまったのだ。
そりゃあ、彼女はあの親から生まれた〝血の繋がった子供”で、俺なんかよりよっぽど愛されてはいた。なんの繋がりもない俺にできたことなど、なにもなかっただろう。
それでも、二年。
かつて家族の形をしていたものが壊れていく様を、悠羽は一人で見つめていたのだ。
「だから、学校も行けなくなったのか」
そっと問いかけると、悠羽は膝を抱いて頷いた。両手で髪の毛をくしゃっと握ると、ぽつぽつ言葉を吐き出す。
「こんなこと、不登校とは関係ないって言われると思うけど……。でも、友達に会って、皆が幸せそうなのだったり、普通に親と仲良くしてるのだったり、家族旅行の話を聞かされると……キツいなって」
「いや、関係あるだろ。
――あと、髪が傷むからやめとけ」
自分の髪を握る悠羽の手を、そっと引き離す。乱れた漆色の奥にある目は、赤くなっていた。
「お前はなにもおかしくないし、間違ってない」
「……でも」
「よく頑張ったな」
「――っ」
悠羽が唇を噛みしめる。手をぎゅっと握りしめて、俯いたまま何度も頷く。
ベンチに滴が落ちて、染みを作る。
「ごめんな、気がついてやれなくて。めちゃくちゃ辛かったろ」
「…………うん……辛かった。すごい辛かったんだよ…………」
「俺にできることは、まだあるか」
離婚を防ぐなんてことはできない。悠羽の悲しみを取り除くことだって、できやしない。
それでも、彼女が望むならできる限りのことはしたい。
「……なんとかして」
震える声で、悠羽が言う。俺の手を掴んで、目を見つめて、
「なんとかしてよ。六郎」
「わかった」
迷わず頷いた。断る理由など存在しない。
「言ってくれてありがとな。どうしようもないことはあるけど、俺にできることはなんとかしてやる」
首を横に振って、悠羽が鼻をすする。
息を吐いた。いろんな感情が頭の中で渦巻いているが、ひとまずそれらを無視する。
こめかみに手を当て、どうするかを考える。取れる手段はそれほど多くない。だが、なにもないわけじゃない。
家を追い出されて、子供をやめたからできることもある。
「あとは任せとけ」
ここから先は、クズの仕事だ。