118話 愚者は聖夜にかく語りき 3
家に帰ってからの悠羽は、恐ろしいほど集中して料理を作り始めた。
仕込みは昨日のうちに終わっていたようで、量の多さに比して作業はそれほどないらしい。だから俺にできることは机を片付けて、飲み物を出したりすることだけだ。
今日のために買った、少し高い瓶のジュースを置く。一人暮らしなら絶対に買わなかった、ストレートのりんごジュース。
ラベルを見て、悠羽が反応する。
「それ、利一さんのお店で出してるやつだよね」
「美味いジュースって聞いたらオススメされてな。せっかくだし、注文してみた」
「やった。すっごく美味しいんだよ」
「そいつは楽しみだ」
テーブルに置いて、あとは立ったまま悠羽の料理姿を見守る。
チキンを焼きつつ、サラダを切って盛り付ける。オニオンスープが沸騰したら火を消して、電子レンジのグラタンを様子見。よどみなくキッチン全体を管理する姿は、どこか文月さんのそれと似ている。
完成した料理を運んで並べ、いつものように向かい合う。
主食はチキンライス。メインはチキンステーキで、オニオンスープにサラダ、グラタンが並んでいる。二人用の食卓とは思えないほど、テーブルが埋められている。
ほんの少し背伸びをする、特別な日。
忘れていたクリスマスの空気感。最後にこんな祝い方をしたのは、いつのことだったろうか。
「食べよ」
悠羽に声を掛けられて、頷く。
いただきますをして、スプーンでグラタンを一口。熱いホワイトソースに苦戦しながら、マカロニと一緒に味わう。牛乳とバターの甘みに、チーズの香り、ちょうどよい塩加減。二口目には別の具材。それだけで、また別の表情を見せるから不思議だ。
夢中になって黙々と食べていたら、ふと視線に気がついて顔を上げた。
「ど、どう?」
「この料理を作ったやつを出せ!」
「はいっ!」
「美味いっ!」
「六郎がハイテンションになってる……」
「いつも美味いが、今日は特に美味くてな。いくら俺でもテンション上がる」
「よかったぁ」
ほっと胸をなで下ろす悠羽。
「でもお前、味見してるんだから美味いって知ってるだろ」
「それとこれとは話が違うの。六郎が美味しいかは、六郎じゃないとわからないでしょ」
「そういうもんか」
正直これだけよくできていれば、もっと自信を持ってもいいと思うが。そうでない謙虚さが、この味を生み出しているのだろう。
チキンライスもトマトの味がよく出ていて、食べるほど食欲が湧いてくる。カロリーは高いのに、ちっとも重く感じない。
……悠羽に太らされる。
危機感が頭を掠めて、目を細めた。
体質的に痩せやすい方ではあるが、この味は危険だ。若いうちはいい。だが、中年になってみろ。落ちた代謝で迎え撃つことができるカロリーには限界がある。俺は自分の肉親を知らないから、将来どうなるかはわからない。太るのか、ハゲるのか、癌になるのか、健康でピンピン長生きするのか。なにも予測がつかないのである。
いまのうちから気を遣っておくに越したことはない。
「俺、ちょっと体鍛えようかな」
「え、なんで?」
「ムキムキマッチョへの憧れ」
「この短い時間になにがあったの!?」
ここで素直にカロリーの心配をするのは無粋だ。それで悠羽がダイエット食に目覚めたら元も子もない。俺は美味いもんを食いつつ、健康体でありたいのだ。
よく考えたら、最近は肉体労働もしていないし。体を動かさないと、本当に病気になってしまいそうだ。
「実は俺、ボディビルダーに憧れてるんだよな」
「えー、やだー。あんまり筋肉あると怖いよ」
「筋肉は嫌いか?」
「嫌いってわけじゃないけど、限度ってあるでしょ。今くらいがいいよ絶対」
「なるほどな」
いやまあ別に、本気でムキムキになろうと思っていたわけではないが。参考にする価値はあるだろう。やはり時代は細マッチョ。適度に引き締まった肉体こそが至高。ということで有酸素運動を中心にすることで決定。
「逆に六郎は、私がムキムキになったらどうする?」
「削ぎ落とす」
「こわっ!?」
「つーかお前、そもそも運動あんましてないだろ」
「うっ、痛いところを」
さっと顔を青くする悠羽に、にっこにこで提案する俺。
「そうだ。早起きして一緒にランニングするか」
「やだ、そと、さむい」
ぷるぷる首を横に振って、なにか思いついたように指を立てる。
「でも私、学校まで自転車漕いだり買い物も行ってるし。休日はバイトもしてるから、けっこう動いてるよ」
「確かに」
「太ってないか確かめる? お姫様抱っこで」
「家の中でするもんじゃないだろ、あれはもっと、然るべきタイミングがある」
「然るべきタイミングって?」
「皆既日食のときとか」
「皆既日食」
とんでもワードをぶち込むことで悠羽の思考を鈍らせる。なんでか理由を聞かれると面倒なので、間髪入れずに話を畳みにかかる。
「ま、それくらいレアってことだ。あれは」
「え~、週七でやろうよ」
「ムキムキになっちまう」
「私が重いってこと!?」
「めんどくせえ怒りかたすんなって……」
「あははは」
笑う悠羽に、やれやれと肩をすくめてみせる。どうやらそれで勘弁してくれたらしく、それ以上の追及はなかった。
ちょうど皿も空いてきて、俺たちは残った料理を口に運ぶ。
元の量が多かっただけに、美味しく食べきったとはいえ苦しい。億劫ながらも片付けをして、食後の紅茶を淹れ座り直す。
「腹いっぱいだ。美味かった」
「ねー」
「ケーキ入らん」
「作り過ぎちゃった。反省」
「いやいや、美味いもんはあればあるほどいいんだからな。ケーキだったら、明日でもいいんだからさ」
「でも、明日は外で食べるんでしょ」
「朝ケーキ」
「朝ケーキ」
ぽかんとした顔でオウム返しする悠羽に、にっと笑ってみせる。
「たまにはいいだろ、そういうのも」
「そだね」
両手でカップを持って、ほわっと微笑む少女。温かなその表情は、今が冬だということを忘れてしまいそうになる。
「六郎は去年のクリスマス、なにしてたの?」
「別に。ただ仕事して寝ただけだな」
「ケーキも食べなかったの?」
「祝う理由がなかったし、忙しすぎて気がついたら過ぎてたよ」
「そうなんだ」
「悠羽は?」
「私も同じかな。家にいても嫌な空気だったし、その頃はまだ表だってはなかったけど……お父さんとお母さん、仲悪いのわかってたから」
隣にいれば頭を撫でて、抱きしめてやれるのに。正面に座っているから、手を伸ばしても不自然だ。
なにより、真っ直ぐな目がこっちを見ていた。
「私たちもいつか、ああなっちゃうのかな」