111話 なくなりません
頭の回転があまりに悪いので、風呂に入った後はのんびり過ごすことにした。
「映画観よ、映画!」
「よしきた。ジュースと菓子の準備だな」
「私は膝掛け持ってきます」
「なに観るんだ? ホラーって季節でもないけど」
「恋愛映画って六郎は興味――すっごいなさそうな顔」
「いや、観たら面白いかもしれないしな。ああ。……いいんじゃないか」
「無理しないで! 心が痛いから!」
いつも通りに悠羽のチョイスに任せようと思ったが、激しく微妙な返事になってしまった。今日の俺、いろいろと誤魔化すのが下手すぎる。疲れてるし、考え事を複数抱えているせいで脳の空きがない。
少し喋る量を減らそうかなとも思ったが、それでは悠羽が可哀想だ。上手いこと中身のない返答をするのがいいだろう。
「うーん。六郎も楽しめそうなやつだったら……やっぱりホラーかな」
「それな」
「でも、SFとかも男の人は好きって聞くけど。どう?」
「それな」
「アクション?」
「それな」
「ちょっと! 真剣に答えてよ」
「はっ」
怒られてはっとなる。あまりに適当に返しすぎていたらしい。
むすっとした顔の悠羽は、俺の様子を見て心配そうに眉根を寄せる。
「やっぱりもう寝る?」
「いや、眠くはないんだよな。こんな早い時間に寝れないだろうし」
「じゃあ、睡眠導入に川の流れ60分とかにしよっか」
「よーし恋愛映画観るか。なんかすっげえ楽しみになってきたわ。早く電気消そうぜ」
「はーい」
腕をぐるぐる回して、迅速に準備を推し進める。ちょっと気を抜いたらリラグゼーションさせられそうだ。そんなつまらんイベントは開かれなくていい。
冷蔵庫で冷やしておいた炭酸を出して、菓子袋を開く。大きめの膝掛けを二人で共有して、ぴったりくっつけた椅子に座る。照明を暗くした部屋でパソコンを弄って、映画を再生。
頃合いをみてイチャつくか、などと画策していたらオープニングから悠羽がしなだれかかってきた。右手を彼女の肩に回して、安定するように頭を支えてやる。この体勢がどうやら好きらしく、横に座るとけっこうな頻度で寄りかかってくる。
人差し指で悠羽の頬を軽くつつく。すべすべで柔らかく、触っているだけで幸せになれてしまう。親指も使って、ふにゃふにゃの餅みたいな感触を楽しむ。
数分それを続けていると、ぷくっと頬が膨れて硬くなった。悠羽が抵抗しているのだ。だが、そんなことは意に介さず親指で押し返す。
「ちゃんと映画観てる?」
「観てる観てる。そろそろあのカップルがゾンビに食われるんだな」
「ホラーじゃないから! そういう展開ないやつだからね」
「ほーん。え……お前、物足りなくないか」
「ホラー以外でも満足できるから! なんで怖いのないとだめだと思われてるの?」
「いや、悠羽もたまには人の血が見たいのかなって」
「そんな狂気染みた趣味は持ってません! ってほら、ちゃんと観ないと。可愛い女優さん出てるよ」
「あ、ほんとだすっげえ可愛い」
「やっぱりなし! 六郎はこっちだけ見てて」
膝を叩かれて、視線を戻すよう命令される。
「束縛彼女の才能あるって」
「六郎は縛っても大丈夫って、美凉さんが言ってたから」
「加苅め……あいつはまたわけの分からんことを……」
それでいてちょっと核心をついているのが腹立たしい。
俺からも利一さんに悪いことを吹き込んでおくとしよう。平穏なクリスマスが過ごせると思うなよガキ女。
まあどうせ、画面より悠羽を見てしまうのはいつものことなんだがな。
ころころと変わる表情、心の中を隠せない純粋さ。その横顔を見るたびに、俺にはない部分に強く惹かれる。
この両目から流れない涙も、隣で彼女が流してくれるから。こんなにも穏やかな気持ちになれる。その涙がなにより愛おしい。
エンドロールが終わった後、彼女の声は湿っていた。鼻をすすって、赤い瞳で俺を見上げる。
「いい話だった」
「めちゃめちゃ感動したな」
ぱっさぱさのドライアイで棒読みすると、悠羽はぷっとふきだした。
「絶対思ってないじゃん。……あははっ、六郎らしいね」
「感動系はいまいちピンとこないんだよな。あくび以外で涙が流れん」
「今更泣いてても驚いちゃうよ」
「確かにな」
この一年いろいろなことがあったけれど、結局俺は泣かなかった。どうやらもう、泣くことで感情を表現することはできないらしい。痛みで麻痺させているうちに、機能自体が失われてしまったのだろうか。
まあ別に、だからなんだって思うけどさ。
「お前はほんと、すぐ泣くよな」
「しょうがないじゃん。泣き虫は治らないの」
「いいだろそれで。斜に構えてるよりよっぽどいい」
パソコンを畳んで、部屋の照明を明るくする。空になった缶を捨て、菓子の袋もゴミ箱へ。
ほどよく退屈だったので、気持ちよく眠れそうだ。歯を磨いてさっさと布団に入ろう。
「じゃあ、あとはストレッチとマッサージだね」
「うっ……ストレッチなしは?」
「なくなりません」
厳しい表情で言われてしまった。
絶対俺の体を守る悠羽ちゃんの爆誕である。ありがたいけど、痛いから苦手なんだよな……。