110話 口が滑る
お姫様抱っこでしっかり重さを覚えて、これから体重測定に活かすことを決意。そんなことを言ってみたら、案の定しっかり機嫌が悪くなる悠羽。
「女の子に体重がどうとか言う話はダメなんだからね。学校で習わなかったの?」
「……いや、あの……はい。すいません」
「まったく。デリカシーないんだから」
「いやほら、人って不完全な方が愛嬌あるだろ」
「そこに愛嬌は求めてないの!」
「うっす」
ダイニングに戻って、ちゃんとお説教を食らう俺。この歳でちゃんと人から怒られるの、なかなかいたたまれない気持ちになる。
「でも悠羽、めっちゃ軽かったし。もうちょっと重くないと不安なくらいだったぞ」
「……そ、そうかな」
目に見えて機嫌が上向きになる悠羽。やはりチョロい。
突破口を見つけ、俺の舌も好調になる。ここぞとばかりに調子のいいことを言って、一気にこの不利状況を覆すのだ。
「ああ。あれなら披露宴とかも余裕で…………」
「……え?」
「ヒーローショーとかも余裕で出られるな! 怪人から助けてもらいやすい、いい体重だったんじゃないか」
「え、え、え? 待って、さっき披露――」
「疲労がすごいって話だからな! 最近ちょっと忙しくて、なんか疲れが抜けないんだよな。そんな状態でも持ち上げられる悠羽、軽い!」
「…………」
きょとんした顔で、まじまじと俺の顔を見つめてくる少女。頼むからそんなに純粋な瞳を向けないでくれ。聞こえていたとしても、今回ばかりは見逃してくれ。マジで慈悲の心をください。
怒られた反動でつい、おかしなことを言ってしまったのだ。正直に言えば、俺もお姫様抱っこでテンションが上がっていたし。なんだこれ結婚式かよ。みたいに思ってた。そのせいで口が滑った。
いやほんと、それだけなんです。他意はないんです。それが一番まずい。
「じー……」
声をまで出して、凝視してくる悠羽。これもう完璧にわかってるやつだ。その上で、俺をどう調理しようか迷っている最中らしい。
煮るなり焼くなり好きにしろ。というのが男らしい答えだが、まずくなったらキスで黙らせる覚悟がある。人の好意につけ込むくらい余裕なんですね、クズだから。
そんなこちらの圧を感じてか、悠羽はふっと視線を切った。
「しょうがないなぁ。今回だけね」
ほっと胸をなで下ろし、背もたれに体重をぐったり預ける。俺としたことが、とんでもない失言をしてしまった。本当に疲れているのかもしれない。
張り切って英語の勉強に力を入れるのはいいが、今日は早めに寝るか。
でも、さっきの反応を見る限り……嫌がってはなかったよな。
結婚、か。
兄妹から恋人になって、いずれ夫婦になって――そしていつか、俺たちにも子供ができるのだろうか。
命より大切なものが増えていく。それら全て支えられる強さが、包み込める優しさが俺にあるか。問えば、その答えは否だ。今の俺は、自分と悠羽で精一杯で、それ以上を背負い込む余裕などありはしない。
夢を追いながら、俺は強く優しくなれるだろうか。ちゃんとした収入と、生き抜くためのスキルが身につくだろうか。
幸福なだけだった妄想は、現実感を纏うほどに不安を連れてくる。
マリッジブルーってやつなんすかね、これが。
くだらない思考を鼻で笑い飛ばして、残った仕事を済ませてしまう。
悠羽は風呂に入ってから、夕飯の準備をしてくれる。それが終わったところで、俺も仕事を切り上げた。
「はい。今日は六郎の好きなオムライスです」
「おっ、いい匂いじゃ――……ん?」
目の前に出された皿を見て、思考が停止する。
鼻をくすぐるのは卵とケチャップの甘く香ばしい匂い。俺の好きな料理ということで、悠羽がひときわ丁寧に作ってくれる。利一さんからのアドバイスも吸収し、いよいよその味は店のものに匹敵する領域まで来ている。
そんな最高のオムライスの上に、赤いハートがこれ見よがしに乗っている。
顔を上げて悠羽を見ると、なにやらニヤニヤしている。どうやらこいつ、さっきのをからかっているらしい。「六郎は私のことが大好きなんだから、仕方ないなぁ」みたいなオーラをビシバシ感じる。
なるほど、そっちがその気なら俺にも考えがある。
立ち上がって冷蔵庫を開け、ケチャップを取り出し、悠羽のオムライスにも同じようにハートを作ってやる。
満足のいく出来になったので、威勢良く鼻を鳴らす。
「ふんっ…………なんでこんなバカップルみたいなことしてるんだ?」
勢いでやったはいいが、沸々と湧いてきた虚しさに首を傾げてしまう。悠羽のハートと俺のハート、同じ形なのに、どうして俺のはこんなに醜いんだろう。
悠羽まで不思議そうにしているので、いよいよ意味がわからない。男がオムライスにハートを書いたという、地獄のような事実だけが後に残った。
「六郎、もしかして疲れてる?」
「そうかもしれん」
さっきまで得意げだった悠羽も、普通に心配そうな顔をしている。こんなに情けないことってあるだろうか。
だがまあ、屈辱で失言がチャラになるなら、等価交換ではあるか。
「今日は早く寝てね」
「そうする」
「あとでマッサージしてあげる」
「いや、お前も疲れてるだろ。一日バイトだったんだし」
「私は大丈夫。どうせ平日になったらやることないし!」
「力強く言うことかそれ?」
「とにかく、あとで一緒にストレッチとマッサージしよ?」
「ストレッチ痛いからやりたくねえ」
「だーめ。腰痛くしたら大変なんだからね。特に六郎は座ってばっかりなんだから、習慣化しないと」
「うわぁ……」
体力テストで長座体前屈に煮え湯を飲まされた男。いわゆる初期位置から前に進むビジョンが見えない。
でも腰を痛めたらおしまいだ。それはなんとなく、ネットを見ていても思う。某漫画家の腰痛とか、有名だしな。
「わかった?」
「へい。やります」
「よろしい。じゃあ食べよっか」
「だな」
手を合わせて、食べ始める。
俺はハートを最期まで崩さないようにオムライスを食べ、悠羽は普通に崩して全体に塗りたくっていた。
うん。まあ、そっちのが美味いもんな。