11話 俺がいなければ
いつもの公園に行くと、相変わらず悠羽はベンチに座っていた。暑さに耐えかねたらしく、白いカーディガンは腰にまいている。髪の毛も少し切ったらしく、軽やかなセミロングになっていた。
公園に入った時点で気がついたらしいが、なぜか悠羽はベンチに座り直す。近づいて行くと、ちょうど今気がついたかのように、
「あっ、来たんだ」
などと素っ気なく言う。
思春期特有の照れ隠し的なものだと思うので、俺も敢えて触れまい。静かに頷いて、
「暇だったからな」
とだけ言う。
悠羽がベンチを半分あけて、そこに俺が座る。間に鞄を置けるくらいには離れているので、隣という感じはあまりしない。
ここまできて、ようやくメッセージの答え合わせだ。あの迂遠な言葉が示していた意味を、ちゃんとくみ取れていたか。
「昼飯食ったか?」
「ううん。まだ。だから――」
「そうか、じゃあ――」
これは完全に勝ったな、と謎の達成感を覚えながら、紙袋を真ん中に置く。
それと同時に、悠羽も鞄から取り出したタッパーを真ん中に置いた。
タイミングが合って、動き的に顔と顔がすぐ近くまで寄る。気がついた時には、息がかかりそうな距離に悠羽の顔があった。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙。視線を落とす。
なるほど、どうやら俺たちは同じ思考をしていたらしい。
昼飯を一緒に食べたい。という意志を読み取るまでは正解だった。だが、用意をしてきたのは悠羽も同じだった。
彼女のタッパーには、明らかに一人分ではないサンドイッチが詰められている。
同じように、悠羽も俺の出した紙袋を見ていた。そこにあるパンが、二人分であることは簡単にわかるだろう。
「作ってきてくれたのかよ……」
「買ってきてくれちゃったんだ……」
なんとも言えない絶望が流れる。二人合わせて四人分。ちょっと頑張ってどうにかなる量ではない。
どうしよ、と悠羽の顔に書いてあった。たぶん、俺の顔にも。
しばし考えて、口を開く。
「そっちの、作ったやつ俺にくれ。こっちの袋から、好きなの取っていいから」
「え――いいの? だって六郎のそれ、すごい美味しそうなのに」
「俺はそっちのサンドイッチが食いたい」
悠羽が持ってきたのは、ゆで卵を潰したもの、レタスにハムを挟んだものといった普通のサンドイッチだ。
対して俺の買ってきたパンは、ちょっとお高い上品なやつだ。ぱっと見でも、なんか普通のとは違うとわかる。
だがまあ、どっちを食べたいかと言われれば……いや本当は俺もお高いパン食べたいよ? でも、作ってきてくれたのが一番いいに決まってるからな。男の一人暮らしに、誰かの手作りを作る機会なんて存在しない。
「だめか?」
「いいよ」
「よし。じゃあ、いただきます」
手を伸ばして、たまごサンドを一口。
ぱさっとした。かろうじて塩こしょうの味はするが、それだけだ。口の中の水分が一気に失われていく。
微妙な顔になった俺を、シェフは不安げに見つめている。
「ええっと……悠羽」
「はい」
「マヨネーズ入れた?」
「え……入れてないけど、必要だった?」
重々しく頷くと、さっと顔を青くする。
「やっぱりこれ、食べなくていいから」
「なんでだよ」
回収されそうになったタッパーを奪い、こっち側に引き寄せる。年齢と性別のぶんだけ力に差があるので、こうなれば簡単には取られない。
「これは俺のだ。いいからお前は、さっさとパン食え。せっかく焼きたてなんだぞ」
「……いただきます」
悠羽は不満げだったが、諦めて紙袋に手を入れた。
チーズののった惣菜パンを取り出して、小さな口でぱくり。
「美味しい」
「だろ?」
「ごめん。私のそれ、あんまり上手にできなかった」
「こういうのはな、何回か失敗して覚えればいいんだ。ミスっても俺が食うから、捨てるなよ」
レタスとハムのサンドイッチを食べる。こっちはけっこういけるが、間にドレッシングをかけるともっと美味しくなりそうだ。
「っつうか、普通に美味いし」
「本当に?」
「本当だよ。俺が嘘をつくと思うか」
「六郎なんて、嘘しかつかないじゃん」
ひどい信用のなさだ。いったいどんな生活をしていれば、ここまで疑われることができるのだろう。
……やっぱオリーブオイル五種類はやり過ぎだったかな。
次のサンドイッチに手を伸ばして、話を少しだけ変える。
「そのパン、すげー美味いだろ」
「うん。生地がもちもちしてて、こんなの食べたことない」
「前働いてたパン屋なんだ。店長がひどい競馬好きでさ。サラブレッドって名前の店なんだ」
「サラブレッド……?」
「競走馬でよくいる馬の種類だな。『純血』って意味らしい。で、店長の名前が紗良さんだから――紗良ブレッドと、サラブレッドの二点掛けてるらしい」
「へえ」
悠羽も次のパンに手を伸ばして、一口。ぱぁっと明るくなる顔。
しばらくの間、俺たちは黙々と食べ続けた。
二人分あったサンドイッチは、すべて胃の中に収めた。意外となんとかなるものらしい。
紙袋のパンは、ちょうど半分ほど残っている。デザート用のは、きっちり二つとも食べたみたいだ。これなら半々にすればよかったかな、と思う。
悠羽は満足そうに笑った。
「ありがと、六郎」
「俺は買っただけだから」
「じゃあ、今度は六郎も作ってきてよ」
「絶対に嫌だ」
「えー」
がっかりしている悠羽を横目に、気持ちよく伸びをする。六月の陽気は、日陰であればまだ心地よい。だが、夏になればまた話は変わってくるのだろう。
夏――なんだかんだ、もうすぐ夏休みか。
「お前さ、休みの日はなにやってんの」
なんの気なしに発した問いに、悠羽の顔がわずかに引きつる。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「いや、普通に気になって」
学校に行くフリをして適当な場所にいるなら、学校が休みの日は家にいるのだろう。家ではどんなことをしているのかな。
と、思って聞いただけなのだが……。どうやらなにか、踏んでしまったらしい。
悠羽は顔を逸らして、消え入りそうな声で呟いた。
「…………普通に、ここにいるけど」
「休みの日も?」
「うん」
悠羽は顔を上げない。髪で隠れた表情は読み取れない。
細く頼りない肩が、小さく震えていた。
「そういうことか」
ため息も舌打ちも出てこない。最悪な気分だ。
学校に行かないのは、問題が学校にあるからだと思っていた。だが、そうじゃなかった。
生きていく中で、絶対に全てのことに影響を与えることがある。
一人暮らしも三年目になって、すっかり忘れていた。
「あの家のせいなんだな」
なにも言わず、彼女は頷いた。
――俺がいなければ完璧、じゃなかったのかよ。
横の悠羽に聞こえないよう、心の中でそっとため息をついた。




