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【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
5章 愚者たちのスタートライン
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109話 人生の中心

 人生は、ほんの少しのきっかけでその色を変える。

 六郎から将来の可能性について聞かされ、数日間ずっと悠羽は現実感がなかった。


「つっても、まだ確定ってわけじゃないんだけどな。向こうの人と話してみて、お互いにメリットがあればって感じだ」


 控えめな調子で語る六郎は、それでも両の目に希望をたたえていた。彼のそんな表情はこれまで見たことがなくて。

 本気なんだな、と思った。


 高校時代から得意だったという英語。学ぶために洋画を見たり、英字新聞を読むようになった。そうしているうちに、心は次第に惹かれていったのだろう。ここではない、異国の地に。


 場所がどこであろうと、悠羽の意思は変わらない。

 六郎の隣にいる。

 彼を一人にしないと、これからも家族だと誓ったから。


「――と、いうようなことがありまして」

「まーた突拍子もないこと言い出したのね、サブローくんのやつ」


 サラブレッドの閉店作業をしながら、悠羽は紗良に話をする。志穂が受験直前の今、面と向かって相談できる相手で、バイトついでに会えるのは彼女だったのだ。

 六郎の元雇い人である紗良は、やれやれと自らの額を叩く。


「あの子ってそういうところあるわよね。振り回される側は大変でしょう」

「お互い様って感じだと思います。私も、いろいろ無茶言ってるので」


「そう? 全然想像できないわぁ」


 カウンターで頬杖をついて、上の空で紗良が呟く。理知的な佇まいとは反して、気の抜けるようなことを。


「アメリカの競馬、楽しそうよねえ」

「やっぱりそうなりますか」


「ラスベガスのカジノも興味あるのよ。行ったことがないだけで、私には才能があると思うの」

「やっぱり興味はそこなんですね」


「人は変わらないのよ」


 どこか意味ありげに言って、紗良はふっと力を抜いた笑みを浮かべる。


「でも、よかったじゃない。サブローくんもようやく、自分のやりたいことが見つかったみたいで」

「本当、そうですね」


 悠羽は一つ咳払いして、背筋を正す。


「……というわけなので、卒業したらアルバイトも辞めるかもしれません」

「気にしないでいいわよ。そのときは力尽くで新しい子を雇うから」


「働きやすい職場を作るってことですよね?」


 紗良は不敵な笑みを返すだけだ。


 後片付けも一通り済んだので、パン屋の制服から着替えて帰る準備をする。

 挨拶して出ていこうとしたところで、紗良に呼び止められた。


「ねえ、悠羽ちゃん。あなたはアメリカでなにをするの?」

「え……」


 質問の意図が掴めない悠羽に、眼鏡の奥の瞳は優しく曲線を描く。


「ただサブローくんに着いていくだけじゃ、きっと退屈よ。なにかあるといいわね」

「そう……ですね。全然考えられてませんでした」


 ポケットに手を入れて、カウンターにもたれかかる。紗良はなにか思い出すように目を細め、呟くように言う。


「恋だけで人生が回ってるわけじゃない。それだけは、覚えておきなさい。――なんて、説教臭くなっちゃったわね。お疲れさま」

「いえ。私もちゃんと考えないと……。お疲れさまです」


 深めにおじぎをして、店を後にする。


 しんと冷えた冬の空気と、硬いアスファルト。鈍色の空は高く、風は乾いている。きっと今年も、この街に雪は積もらない。


 家へ向かう道を歩きながら、先ほど紗良が伝えた言葉の意味について考える。

 きっとそのままの意味だ。


 人生は恋だけでできているわけじゃない。


 とんと肩を叩かれて、眠りから覚めたような。そんな心地がする。それと同時に、覚束なくなる足下。

 3月に高校を卒業した後、自分がどれだけ不安定な立場になるのか。改めて悠羽は自覚する。


 手袋をはめた手を合わせて、白い息を吐きかける。


「私には、六郎しかないんだ……」


 共に高校の三年間を過ごした人たちは、大学が待っている。勉強、バイト、友人――恋はその中の一部に過ぎない。

 六郎にだって仕事がある。悠羽となるべく一緒にいるとしても、それだけが全てじゃない。

 けれど悠羽には、六郎しかないのだ。英語も話せない。初めての仕事がアメリカでは不安しかない。仕事がなければ、打ち込むほどの趣味もない。


 彼と共にいられれば、それで幸せだと思うけれど。

 全ての時間が2人でいられるようにできてはいない。


 アメリカに行って、悠羽が家にばかりいるようになって。六郎は仕事が今より忙しくなって、充実するほど一緒にはいられなくなる。

 そうやってすれ違う人の姿を、悠羽は何年もかけて目に焼き付けてきた。


 悠羽の父は仕事に心血を注ぐタイプだった。上手くいかなかった日、父はそのストレスを家に持って帰ってきた。自然と家には緊張した空気が漂うようになり、居心地の悪さは致命的な末路を導いた。


 そんなこと、六郎はしないと思うけれど。

 しないからこそ、悠羽は彼に甘えてしまう。


 対等でなければ、関係性は歪みを生む。この先も共に歩むなら、彼の支えになりたい。そう願っているのに、そうなる方法は遠ざかっていく。


「変わらなきゃ」


 自分に言い聞かせて、悠羽は駆けだした。







「プレゼントって……どうすりゃいいんだ…………」


 通販サイトを眺めても混乱は深まるばかりで、机に突っ伏してため息を吐く。


 贈りたい物ならいくらでも思いつくが、クリスマスに渡すとなれば話は変わる。恋人でしかも一緒に暮らし、かつ相手は高校生の義妹。複雑怪奇に絡み合った条件が、俺の頭を必要以上に悩ませる。


 机の隅に置いた袋をつまむ。

 夏の終わりに交換して、それ以来ずっと大切にしている蛇の抜け殻。


 醜いところも含めて、これから先も愛し続ける。


 あの時はそこまで明確な意思があったわけではないけれど、彼女がくれる想いに少しでも報いたいと思ったのだ。あの夏を精一杯に過ごしていた悠羽に、俺から贈ることができるものは一つだった。


 あれからいろんなことがあった。隠し事もなくなって、寄り添うのも上手くなって、それでもこの抜け殻よりもいい贈り物が思いつかない。


「蝉の抜け殻……はさすがにないか」


 同じ抜け殻シリーズで考えたが、なんにもご利益がなさそうだ。手に入れたところで、少しの衝撃で砕けるだろうし。


「ペアリング……ペアリング? ないな」


 血迷って一般リア充みたいなことをしそうになった。指輪は結婚のときにしか買わないと決めたのに。


 首を傾げまくり、その角度が90度より大きくなったところで玄関から音がした。

 通販サイトを閉じて、パソコンを畳む。廊下に出て、靴を脱いでいる最中の悠羽に声を掛けた。


「おかえり。寒かっただろ」

「うん。ただいま」


 振り返った悠羽の頬と鼻が赤くて、冷たそうなので手で包んでやる。部屋で温めた手に、彼女は気持ちよさげに目を閉じる。手の平から伝わるひんやりした冷たさ。それが穏やかになったところで、少女が目を開く。


「六郎の手、おっきくて気持ちいいね」

「心が冷たいから、手は温かいんだろ」


「ふふっ。そうかも」

「ちょっとは否定しろよ」


「めんどー」

「おい」


 揃ってくすくす笑って、どちらからともなくハグをする。


「もう動きたくないです」

「疲れたか」


「はい。なのでお姫様抱っこを所望します」

「この狭い廊下でできるかよ。足ぶつけるぞ」


「そこは六郎が上手にやってくれるって信じてる」

「信じりゃいいってもんじゃないからな」


 俺はカトリックの神様ではないので、信じただけじゃ救ってやれない。

 とはいえ悠羽はいっこうに動く気配がない。やれやれと首を振ってから、少し彼女の遊びに付き合うことにした。


「荷物降ろせ」

「え――わっ!」


 膝の下に手を入れて、ひょいと持ち上げる。体格差があるので、ずいぶん軽く感じる。

 悠羽はしっかりと俺の首に腕を回し、落ちないようにしがみついている。


 ぎゅっと瞑った目を開くと、驚いたようにぱちぱちさせる。


「お、おひ、め様抱っこ?」

「オ・オヒ・メ様って誰だよ。宇宙人みたいな名前だな」


「びっくりして噛んだの! すぐ茶化すのよくないと思う!」

「でも、お前のお願いは叶えてるだろ?」


「うっ」


 抱き上げられた状態で、悠羽は顔を赤くする。暴れたりすることなく、すっぽりと両腕に収まって満足げだ。


「それは……ありがと」


 照れながらはにかむ彼女に、優しく微笑みかける。


「今の体重を覚えておくから、定期的にやろうな。お姫様抱っこ」

「ぜっっっったいに嫌なんですけど!? ねえ、六郎ってほんと最低っ!」

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― 新着の感想 ―
[一言] 悠羽ちゃんがアメリカで競馬をやる(色んな意味で)未来が見えた! いいねぇ。楽しそう。
[良い点]  距離感?接し方が兄妹から少しずつ変化してますね。  最後のやり取りなんか恋人同士と言っていいでしょうね。 [気になる点]  向こうに行くならやはり言葉の問題と治安対策かな。  変なのがい…
[一言] 米国には、ボランティアが教える、英語教室がたくさんあります。大学のある街とかでは、留学生についてくる、妻や夫達に英語を教えるところが必ずあります。私の住んでいる町では、アラブ系やメキシコ系が…
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