108話 アメリカ
向かい合って真面目な話をするのも珍しい。
基本的に家や金のことは俺が決めているし、悠羽は横にいる時間の方が長いから。
「か、家族計画……!」
「計画じゃなくて会議な!?」
致命的な聞き間違えをしていたので、慌てて訂正する。話が五段階ぐらい飛びやがった。
あわあわする悠羽を落ち着かせ、片付けを追えたダイニングテーブルに座り直す。コップに緑茶を注いで一息つく。
いかんな。いつも適当なことしか言わないから、ちゃんとした話をするメンタルが作れない。茶化しちゃいけない。頭ではわかっているが、口は簡単に滑ってしまいそうだ。
正面では悠羽が背筋をピンと伸ばし、口を一文字に結んで待っている。
「そんなにかしこまられても困るんだが……」
「大丈夫。私、真剣、聞く」
「頼むからリラックスしてくれ。緊張されるとこっちまで落ち着かん」
「だ、だって六郎が緊張してるから……」
「いや悠羽が落ち着いてくれないとな……」
お互いがお互いの顔を見てぎこちなくなっているらしい。あんまりちゃんと向き合うのも、考えものだ。
しばし悩んで、この座り方が良くないのだろうと気がつく。
「隣に座るか」
「そうだね」
椅子を移動させて、悠羽の右隣に座る。こっちの方がいくぶんマシだ。
お互いの顔が見えすぎない、というのが落ち着く。相手の反応を必要以上に気にしなくていいからだろう。
ダイニングで大切な話とか、したことないしな。思えばベランダとか、公園とか、外が中心だった。大事であればあるほど、普段の匂いが染みついた家では難しいのだろうか。
外に出るかと思ったが、さすがに寒い。これ以上マシになることはないと諦め、頭を整理する。
緑茶を飲み干して、慎重に切り出す。
「たとえばの話なんだが……悠羽が卒業した後な、引っ越しとかしても大丈夫か」
「いいよ」
「待て待て。判断が速すぎる」
あまりの即答っぷりに、頭を抱えて悠羽の顔をのぞき込む。だが彼女はいたって真剣な様子で、考えなしに言っているわけでもなさそうだ。
「引っ越すって、なにも知らない場所に行くんだぞ。知ってる人だっていないわけだし」
「それって結局、ここにいても同じでしょ。志穂も受験するのは遠くの大学だし……六郎が圭次さんと会えなくなるのは、大丈夫なの?」
「けいじ……誰だ、圭次って?」
「そのレベル!?」
そんな名前の変態がいたような気がするが、はてどんな顔をしていたか。
なんてのは冗談として、それは最初から心配していない。
「半年以上失踪してても大丈夫だったんだ。今更引っ越しぐらいで変わらないだろ」
「そっか。うん。そうだね」
納得したように頷いて、まだ残っているらしいコップに目を落とす。悠羽は少しの間考え込んで、「よかった」と呟いた。
「なにが?」
「六郎が一人で行っちゃわなくて。よかった」
「……行かないさ。お前がいなきゃ、意味ないだろ」
無理やりあの家から引っ張り出して、それで俺だけいなくなったら最低だ。彼女に対して責任を持つことなら、とっくの昔から決めている。
そこに今は個人的な情もあるわけで。一人で生きていくことなど、想像したくもない。
痛みを忘れたこの心は、かつてのように強くはあれないから。
首を小さく傾げ、悠羽が問う。さらさらの髪が肩から落ちて、僅かに揺れた。
「ずっと一緒?」
「もちろん」
頷くと、悠羽は嬉しそうに体重を預けてくる。
心地よさそうな猫みたいにくつろいで、その先の話を求めてくる。
「それで、どこに引っ越すの? 北海道か沖縄だったら夢があるなって思うけど」
「アメリカ」
「……?」
「アメリカ」
「…………え、アメリカ?」
「そう。アメリカ」
ぱちぱちぱちっ、と高速で瞬きして、ぱっと背筋を伸ばす。ぐるっと椅子を九十度回して俺に向かい合う。
それから深く息を吸って、一気に吐き出す。
「アメリカ!?」