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【書籍化】俺は義妹に嘘をつく  作者: 城野白
5章 愚者たちのスタートライン
104/140

104話 繋ぎ止めて

 今日からどうやって眠ろうかと悩んでいる間に時間は飛び、気がつけば俺の部屋に悠羽の布団も敷かれていた。既視感の正体は、夏休み前のクーラー事件である。


 だが、当時と今では状況がまるで違う。向こうがどうかは知らないが、かつての俺は悠羽に恋愛感情など持っていなかったのだ。ただの可愛い家族で、守るだけの存在だった。いつか巣立つその日まで隣にいよう。そう思っていたから、この日々だって有限だった。


 そうでなくなった今、こっちはいろいろ複雑なのだ。

 ヘタレだと笑え。その通りだから。


 現に今、眠る時間になって俺はベランダに居場所を求めている。布団の上で彼女を待っていたら、なんか気まずいなと思ったのだ。それよりは白い息を吐いて、頭を冷やしていたい。


 眼下の街並みは、まばらに光を放っている。ほとんどが街灯なあたり、やはりここは都会じゃないと思う。

 別に都会で暮らした経験があるわけじゃないけれど。この穏やかな街を見るたびに、なぜか落ち着かない。


 悠羽との甘い幸福を噛みしめる一方で、順調な仕事に満足な一方で、この安寧に居心地の悪さを感じるのも事実だ。

 荒波の泳ぎ方しか知らないから、こんな日常の生き方がわからない。


 俺はずっとこのままでいいのだろうか。成長することを強要されていた日々のほうが、力強く心臓が脈を打っていなかっただろうか。

 じゃあどうしたいかと問われれば、答えは用意できていないけれど。


 ただ、ざわつく。

 圭次や奈子さん、悠羽に夢があると知ったとき。利一さんや加苅のように、真っ直ぐ一つの想いを貫く姿を見せられたとき。熊谷先生のように、矜持を持って自らの仕事を為す人を見たとき。

 ――そしてなにより、自分の道を作り出して歩くクリスさんを見ると。


 胸の奥が、痒い。


 自分がどこにいるかもわからないのに、それでも霧の中を走り出したくなるような。そんな強い焦燥感に駆られる。


「そんなとこにいたら風邪引くよ」


 背中に声を掛けられて、悠羽が寝る準備を済ませたことに気がついた。

 彼女の存在だけが、俺を繋ぎ止めてくれる。


「いま戻る」


 何者にもなれなかった俺は、彼女にとって特別になれた。それでいいだろう。ここが俺のゴールだ。


 エアコンで温めた部屋には、悠羽の部屋から持ってきた加湿器が置かれている。いつもの何倍も快適な部屋で、少女は布団の上にぺたんと座っている。枕を抱きかかえているが、まだ寝ないのだろうか。


「どうした。なんか気になるか?」

「気になるっていうか、やっぱり緊張するなぁって」


「いや、お前はことあるごとに俺の布団に入ってきてるだろ」

「そ、それとこれとは話が違うの!」


「……なにが?」


 真剣に理解できず、思いっきり眉間にしわを寄せる。

 悠羽は抱えた枕をもじもじと左右に動かし、顔を埋めて弱々しく呻く。


「うぅ……六郎のばか」

「なぜ罵倒されるんだ」


「ばかにばかって言うのは気づかせてあげるための優しさなの」

「噛まずに言えて凄いな」


「そこじゃない!」


 抱えていた枕が放り投げられ、俺の顔に当たる。ふわっと香るのはシャンプーの匂い。

 使っているものは同じはずなのに、どうして違うように感じるのだろう。


 かつて圭次が「プールの後の女の子ってめっちゃいい匂いするよな。男からは塩素の匂いしかしねえのに」とか言ってた。やはり男女でその辺も違っているのだろうか。


 枕を返してやって、俺はさっさと布団に潜り込む。


「もう寝るの?」

「寝ないのか?」


「せっかくだし、ちょっと話したいなって……修学旅行みたいな」

「ウキウキかよ」


 可愛いなちくしょう。嬉しそうに目を輝かせやがって。


 布団から起き上がって、あぐらをかく。背中を壁に預けると、悠羽も移動してきて俺の隣に座る。布団に足を入れて、リモコンで照明を薄暗くする。

 豆球と外の明かりで、辛うじて顔の輪郭が見えるくらいだ。


「そういえば私、卒業できそうだって」

「めちゃくちゃ大事な話じゃねえか。真っ先に言えよ」


「言うタイミングが見つけられなくて」

「今日はどうだった? って聞いたときに言えばよかっただろ」


「あの時は他のことで頭いっぱいだったから」

「……ま、そうか。で、卒業できそうなんだな。よかったじゃん」


「六郎のおかげだね。ありがと」


 面と向かってお礼を言われると、どうにもくすぐったい。

 いつものようにはぐらかしてもいいのだが、たまには素直に受け取っておくことにした。暗い部屋だ。どうせ俺の表情など読めはしない。


「どういたしまして。お前もよく頑張ったな」

「うん。頑張った」


 周りの生徒とは違う家庭環境を背負って、進学校にいながら受験をすることもなく、その疎外感は重たかったろう。だが、悠羽はそれを見せずに毎日を「平和だった」と言い切ってここまできた。

 その強さこそ、彼女を彼女たらしめるものなのだろう。


 差し出された頭を撫でて、ついでに片手で抱き寄せる。


 胸の中で、悠羽が「あ」と声を上げる。


「そういえばね、熊谷先生に聞いてみたよ。最近、紗良さんとどうなんですかって」

「どうだった?」


「あんまり話したくなさそうだった。『子供は気にするな』って言って、でも六郎の名前を出したら揺れたよ」

「なるほど……」


 抱き寄せるのに使っていた腕を戻して、口元に手を当てる。

 考えるポーズをしないと熟考できないのは、わりと致命的な弱点だと思う。


「上手くいっていないわけではない、が決め手にかける。ってところだろうな。俺に相談したいことがあるけど、プライドが許さない。ってのもあると思う。相談はクリスマスが近いからか? ま、そこらへんはわかんねえけど」

「やっぱり六郎大百科だ」


「なんだその使い勝手悪そうな辞書」

「私にしか使えない辞書です」


 暗がりの中で、彼女は自慢げに胸を張る。


「俺にも使えるだろ。俺なんだから」

「それは普通に六郎じゃん」


「なるほど?」

「どのくらい情報があれば六郎が判断できるか、最近ちょっとわかってきたの。それで検索するから、私だけの辞書」


「すげえな」


 ちゃんと俺を見てるから。とか、そんな次元の話じゃない気がする。

 義兄妹として過ごした時間の為せる技なのだろうか。幼なじみすら生ぬるいほどの関係性だ。そういうことも、あるのかもしれない。


「で、話を戻すけど。熊谷先生だって、俺に助けられたかないだろうさ」

「大丈夫かな」


「心配ではある」


 普段は頼もしい大男だが、意中の人を前にすると途端にポンコツになる。傍から見ているぶんには愛嬌なのだが、紗良さんがどうかはわからない。俺は紗良さんではないので。


「クリスマスギャンブルとかやればいいのにな」

「そんな先生やだよ」


「それはそう」


 パチンコ打ってる熊谷先生を想像したら、泣けてしまいそうだ。恩師が染められていく姿は、切なくなってしまう。

 幸せならオッケーなんだけどね、でもそれとこれは別。


「俺らが悩んでても仕方ない。そろそろ寝よう」

「うん」


 電気を消してから、布団に入る。並んで天井を見るが、やはり落ち着かない。

 それでも眠っているふうを装って、静かに目を閉じる。


 頭がぼんやりしてきたところで、心地よい声が聞こえてきた。


「ね、六郎。もう寝ちゃった?」


 囁きは甘く、耳元で響く。


 現実感がなくて目を閉じていたら、頬に柔らかい感触。伝わる温度で、キスされたのだと気がつく。


「もうバレちゃってもいいんだけどね。おやすみ」


 イタズラっぽく笑う声を最後に、悠羽は静かになった。


 心臓の音がうるさくて、俺だけが夜に取り残される。

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― 新着の感想 ―
[一言] 六郎、まあウブなんだろうなあ。 元カノとはどこまで行っていたんだろう。それでも緊張したりするのは、悠羽だから、なのだろうか。
[良い点]  ロクペディアは悠羽専用。  使用に際してはお互いの愛が無いと開けません。 [気になる点]  六郎の中はまだ燻っている。  悠羽との関係は別として「まだ何者でもない」ところが引っかかってい…
[良い点] ●> 「ばかにばかって言うのは  >  気づかせてあげるための優しさなの」  > 「噛まずに言えて凄いな」  悠羽の想いがどんどん高まり口達者になっている  それに対して即座に、なんとい…
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