1話 “いいね”→義妹
「ねえねえお兄ちゃん」
「お兄ちゃんって呼ぶな」
自分にちっとも似ていない妹に向かって、何度目かわからない注意をする。
同じ苗字であり、一つ屋根の下で暮らしているのだから、関係上はそう呼ばれても問題ない。
だが、彼女――義理の妹である悠羽に、兄として扱われることが嫌だった。
「じゃあ、六郎」
「それでいい」
不満げに言う少女に頷くと、ますます彼女は顔を曇らせる。
「どうして六郎は、お兄ちゃんって呼ばれたくないの」
「それは――」
いつもここで、話を変える。お茶を濁す。でっち上げた適当な言い訳でやり過ごす。
――俺は悠羽の兄ではない。
だが、彼女はそれを知らない。
そんなことは、知らなくてもいいと思っていた。
◇
「紹介するぜ。この子が俺の彼女――荒川奈子ちゃんです!」
「よろしくお願いしまぁす」
学生街にある居酒屋の個室で、向かいに座った男女一組。
男の方は高校から付き合いのある新田圭次。
女の方は初対面で、きれいに化粧をした華のある子だ。
相対する俺は二人分の席を一人で占有し、目の前にある不愉快な現実の中、必死に自我を保っていた。
「よく来てくれたなサブ。今日は俺の奢りでいいから、思いっきり呑んで話そうぜ」
圭次は大層嬉しそうにニコニコ笑って、メニューを渡してくる。飯を奢ると言うから来てみれば、彼女自慢が本題らしい。
「奢りじゃ足りねえよバカ。賠償金寄越せタコ」
「馬刺しと揚げタコな。酒は梅酒でいいんだっけ? 梅酒金つってな」
「無敵かよお前。つーかここ、馬刺しなんて売ってないだろ」
こっちの罵倒をことごとくつまらないギャグにして、圭次はへらへらしている。
その横で女は、口元を押さえて笑っていた。きっとあれは笑っているフリだろう、と思うことにする。
「おうよ。俺様は今、天下無敵の気分だぜ。いや~、自分を想ってくれる人がいるってのは、いいもんだなぁ」
「うふふ。圭次さんってば、もう酔ってるんですか?」
「来る前に一杯飲んだだーけ」
「もうっ。圭次さんったら」
キャッキャうふふと腕を絡め合う二人。
……あの、俺さっさと帰っていいですか?
できたてカップルの正面で食う飯が世界で一番不味い。それがずっと付き合いのある友人であれば、なおさらだ。
人の幸福は泥の味とは前々から思っていたが、友人となると格別に酷い気分である。ゲロ以下の匂いがプンプンするぜ。
とはいえ俺はできた人間なので、ちゃんと話題を選んで提供してやる。
「二人はどういう経緯で付き合ったんだ?」
「よくぞ聞いてくれた、我が大親友!」
「俺の中では絶賛降格中だけどな」
既にただの知り合いぐらいまでランクが落ちている。こいつ彼女ができた途端にウザすぎないか?
「そう、あれはテニサーの新歓で格好つけて酒を飲み、トイレでゲロを吐いて戻ってきたときの話」
「飯時とは思えないほど最低な導入だな」
「まあテニサーにおいて飲み会とゲロは切っても切れぬ関係だからな」
「辞めてしまえよそんなゴミサークル」
酒の治安が悪い集団というのはいつの時代もいるようで、圭次が所属しているのはその代表格とも言えるテニスサークルだ。
テニスサークルは通称テニサーと言われ、だいたいどの大学でもチャラい雰囲気を持っている。が、真性の陽キャは存在せず、井の中で威張り散らかす陰キャの成れの果てみたいなやつらに統治されている、と聞く。
「ふらふらで呑みに戻った俺は、端っこで一人微笑んでいる奈子ちゃんに出会ったんだ、まさに一目惚れ! 絶対にこの子を落とす! 先輩としての権限をすべて使ってでも落とす! と誓った」
「このクズがよぉ……」
黙って聞いてれば清々しいほどのクズである。
なんで彼女さんは横で笑ってるんだろう。
「奈子ちゃんはシャイだからさぁ、初めて話しかけたときはあんまりつれなかったわけよ」
「さっきまでゲロ吐いてたやつと話したくないからだろ」
「だが俺は折れなかった!」
「きめえなぁ……」
「その日から奈子ちゃんがいる日は絶対にサークルに参加し、呑み会では奈子ちゃんの隣の席をキープし、特に用事が無い日でもラインを送り続けた!」
「ストーカーやんけ」
「そうしてデートまでこぎ着け、最終的にラインで告白したんだ!」
「最後ひよってんなぁ」
勢いで誤魔化そうとしてるけど、思っきしビビってライン告白しとるやんけ。
聞けば聞くほど、なんで付き合えてるのかわからない。
言っちゃなんだが、圭次は美形でもなんでもない。大学デビューしました感満載の茶髪に、ワンサイズ大きいシャツとジーンズの一般人だ。
恋愛の進め方だって、聞く限りでは最悪の要素のオンパレード。エセ恋愛コンサルタントが聞いたら卒倒ものの大惨事である。
わからないのがこの奈子さんという女性だ。
ろくでもないことしか言ってない圭次を、ずっと微笑んで見つめている。
好きっちゃ好きっぽいけど、この子もだいぶヤバい雰囲気あるんだよなぁ……。
などとケチをつけてみるが、カップルが放つ正 (性)のオーラは次第にこっちにも伝染し、酒はそれを加速させる。
三杯目の梅酒ロックを飲み干す頃には、だいぶ精神がやられてきた。
「チクショウ……俺だってエチエチ女とエチエチなことしてえよ…………」
「サブ、お前も彼女持ちにならないか?」
「圭次先生……俺、彼女がほしいですっ」
最悪な気分で最低な会話をする男二人。居酒屋の個室で話すことなんて、全部こんなレベルだ。
圭次はスマホをいじると、ネットのサイトを見せてくる。
「そんなお前にマッチングアプリ。今なら月々3000円でメッセージ送り放題」
「勧誘始まったって」
「まあ聞けよサブ。いまどきの若者は、出会いがなければマッチングアプリを使えばいいじゃないという思考が主流なんだ。お堅い考えは捨てて、金を払って女と繋がれ」
「考えうる限り最悪の表現をする天才だよ、お前は」
俺がもう一杯呑んでたら、完全に風俗の紹介だと思ってた。
「選り好みしなきゃ、サブみたいなクズでも好きになってくれる女はいるもんだぜ」
「顔面凹ませてやろうかお前」
「サブがクズなのは事実だろう」
「否定はしないけどよ」
圭次も最低野郎ではあるが、それとつるんでいる俺も大概だ。いや、クズという面に関して言えば、俺の方が酷いまである。
視線をちらっと横にずらして、圭次の横で眠る奈子さんを見る。どうやら酒に弱いらしく、少し前からうとうとしていた。
「ま、お前はせっかくいい女の子騙せたんだから、大事にしろよ」
「言われるまでもないぜ。へへっ」
爽やかな笑顔がムカついたので、とびきり高い刺身を注文してやった。
◇
ほやほやカップルと別れて帰り道、酔いを覚ますために川沿いを歩く。
人の幸福がなにより嫌いな俺にとって、今日はなかなかに地獄だった。荒れ果てた心を示すように、スマホにはマッチングアプリがインストールされている。
「今日は奢ってやるから、浮いた金で有料会員になれよ」
などと圭次にそそのかされ、きっちり金も払ってしまった。
マッチングアプリというのは男に不利なシステムで回っている。
双方が話してみたい、と思う〝マッチ”までは無料でいけるのだが、その後にメッセージを送り合うなら、男は金を払う必要がある。女は無料、男は毎月3000円。ふざけた世の中だとは思いませんか?
女性の権利を主張するのも大事だけど、男だってそれなりに搾取されてるよなぁ。と感じることは多々ある。どっちもどっち。皆仲良く。世界平和を願っていますよ、俺はね。
せっかく金も払ったし、適当に遊んでみよう。
写真を引っ張り出してプロフィールを設定し、自己紹介は自動生成。話題になりそうな趣味をいくつか並べたら、あとは適当に〝いいね”を送りまくる。
この〝いいね”が返ってきたらトークが始まる。途中でやめるのは自由。
要するに〝いいね”は送り得なのだ。迷ったら送れ、死ぬほど送れ、なにも見ないで送れ。とは、圭次の教えである。
どうしてあいつがマッチングアプリにやたら詳しいのかは、深く追求しないことにした。
「ぺっぺっぺっぺぺー、とな」
酔いもあってか、〝いいね”を送るだけの単純作業は面白かった。ぷちぷちを潰すのと似た感覚で、上限が来るまで使い果たす。
こういうアプリは女性の需要が高く、なかなか返ってこないと言うが……まあ、こんだけやれば二、三件はトークまで持っていけるだろう。
何日か繰り返していれば、そのうち彼女もできるはずだ。そうさ、そうに決まっている。
明るい未来にレッツラゴー。
その日、俺は酔っていた。
だから自分が犯した過ちに、気がつかなかったのだ。
義理の妹にマッチングアプリで〝いいね”するという、人生最大の過ちに。
◆
三条悠羽がマッチングアプリを始めたのは、暇つぶしのためだった。
この春に十八歳になった彼女は、晴れて出会いの世界への参戦権を手に入れたのである。
そして使い始めて一週間の今、彼女は人生で最大の混乱に陥っていた。
「――なんであいつから〝いいね”が来てるの??」
大量に送られたハートをかき分け、自分好みの男を探す〝いいね”チェックの時間。彼女はとんでもないものを見てしまった。
有象無象の男たちの中に、自分の兄が混ざっていたのである。
「名前は……サブロー…………うわぁ、本物じゃん」
三条悠羽の兄、三条六郎。ニックネームはサブロー。
三と六があるから『サブロク』で、それが変化して『サブロー』になった。他にも『サブ』など、呼び方にはいろいろあるが、本人が好んで使うのはサブローである。
もう一度写真を確認して、紛れもなく自分の兄であることを知りドン引き。
「なにやってんのあの人は……」
悠羽が暮らす家に、六郎は暮らしていない。
高校卒業と同時、二年前に六郎は一人暮らしを始めた。それ以降、同じ街に暮らしているが一度も顔は合わせていない。盆も正月も、あの男は帰ってこないのである。
そんな兄と再会する場所が、年賀状ではなくマッチングアプリという事実に、悠羽は軽く戦慄していた。
ため息をついて〝いいね”を破棄しようとして、ふと思いとどまる。黒歴史の一つとして残してやろうと思い、証拠をスクリーンショット。プロフィールを確認。
「自動生成じゃん……」
手打ちで作られた痛い文章を期待していたが、そこにあったのは当たり障りのない文字列。
つまらないと下までスクロールして、さあもう用済みだ、となったところで――
「くしゅんっ」
くしゃみが出た。
弾みで指がブレる。本来触るはずのなかった場所に触れる。
画面がピンク色に変わった。
「――あ」
スマホが手から滑り落ちる。その様子が、悠羽にはやけに鮮明に見えた。
実の兄とマッチングするつもりなんて、彼女にはなかった。
頑張って投稿します
よろしくお願いします!