第九十五話「あの噂」
年月にして、約三年。
体感時間にして、十数年。
ゴブリンの寿命にして、一生分の時間。
ゴブリンのワタシが、人間達に噂されていた事を忘れてしまうには十分な時間でした。
「あんたっ‼︎“シェブナの森の幽霊”だろっ⁈」
改めてワタシにそう問う剣士の青年。
ワタシは思います。
あぁ、マズイ。しまった。見覚えがある。
当時を思い出し、鮮明に蘇る記憶。
そう、ワタシは彼に見覚えがありました。
彼は、ワタシがシェブナの森を去る時に最後に助けた冒険者パーティの一人。
あの剣士だったのです。
顔つきはやや大人びて、駆け出しの雰囲気はもう纏ってはいないものの、間違い無く、彼はあの剣士でした。
「…いえ、人違いでは」
「いいやっ!絶対あんただっ!間違いないっ!」
バレてはマズイと判断し否定しようとするワタシでした、が、それを即座に否定され、剣士は更に続けます。
「俺は耳が良いんだっ!喋り方はちょっと違うけど、でも、恩人の声を聞き間違えるわけが無いっ‼︎絶対あんただっ‼︎」
「っ…」
驚きました。
まさか彼がワタシの声を覚えているだなんて、思ってもいませんでした。
彼は耳が良いと言いましたが、おそらく記憶力も良いのでしょうね。
そうでなければ、三年も前に僅かに言葉を交わした程度の相手の声を、覚えているわけがありませんからねぇ。
ワタシにとっては、都合の悪い事でした。
「そうだ、そうだよ。縒れてるけど、ローブもそんなんだった!顔も手も見えない、オーバーサイズのローブッ‼︎俺、あんたにどうしても、礼、が、した…」
掴みかからん勢いで言葉を口にしていた剣士でしたが、突然言葉に詰まりだし、下を向いてしまいました。
「…あの?」
「ち、ちょっと、トイレ…」
しめた。
ワタシは彼がトイレに行っている間に、冒険者ギルドから出てしまう事にしました。
彼と話をしていても、きっとワタシが不利になるだけ。
周りで見守る冒険者の方々は、あの熱量で喋る彼を見て、本当かもしれないと感じてしまうかもしれません。
話し続けても、ワタシが“幽霊”では無いと完全否定出来るだけの材料と話術が、ワタシには無い。
なら、ワタシに取れる手段は一つだけ。
それ以上彼と話さ無い事。
それだけでした。
結果として、ワタシが“幽霊”か否か、ただ問題を先送りする事になるだけでしたが、その場で本物だと断定されるよりは幾らかマシでした。
後々ワタシに質問しに来る方もいらっしゃるかもしれませんでしたが、その時は人違いだと否定すればいいだけの事。
幸い、剣士の青年は二日酔いの状態で、それを見ていた冒険者の方々もいましたから、状況から考えても、また人違いだったと、納得していただけると踏みました。
後は、剣士の青年に会わないようにして、ワタシに対する注目度が下がるまで待てば良い。
それにはまず、今ある注目から抜け出さなければ。
剣士の青年がトイレに向かったのを見送った後、ワタシは言いました。
「さて、これで全員ですかね。それでは、ワタシはこれで失礼します」
「…なぁあんた、もしかして、本当に」
「あぁいえ、人違いですよ。彼も随分酷い二日酔いでしたから、魔術の効き目が足りず、まだ酔いが少し残っていたのかもしれません。戻ってきたら、水をしっかり飲ませてあげて下さいね」
「あ、あぁ、そうか。まぁ、そうだよなぁ」
「あんた、もう行っちまうのか?」
「えぇ。これからラナンさんに町を案内してもらう予定なので」
「そうか…急ぎか?」
「すみません、あまり時間に余裕は無くて」
「そうかぁ…じゃあ、時間がある時にまたギルドに寄ってくれよ。飯くらい奢らせてもらうからさ」
「あ、だったら俺は酒くらい奢るぜ!」
「じゃあ俺はツマミだな!」
「待て待て、まず良い店を勧めねぇと」
「ハハハっ。皆さん、ありがとうございます。さて、では行きましょうか。ラナンさ」
ポスンッ
振り返り際、何かにぶつかるワタシ。
ギュウッ
何かに抱きつかれる感触。
視線を下に向けてみれば、そこには、小柄な赤髪のエルフこと、ラナンが居ました。
「…ラナンさ」
「すっげえぇーーーーーーーーーーーーーっっっ‼︎」
発せられる大きな声。
その声は、ギルドの外にまで響いているようでした。
「ラナ、ラナンさ」
「キミドリってあの“シェブナの森の幽霊”だったんだなっ‼︎すっげぇーーっ‼︎しかもギルの恩人でっ‼︎ここの皆も治しちゃってっ‼︎凄腕でっ‼︎めっちゃ良い奴じゃんっ‼︎絶対本人じゃんっ‼︎すっげぇーーーっ‼︎」
「いや、だから違」
ギチィッ
「っ⁈」
腕ごと抱きしめられてしまっている為に、手が上がらない。
肩を、叩けない。
つまり。
話を聞いてもらえないっ…!
「ラナ、ラナンさ、離し」
「なぁキミドリっ‼︎あたしのパーティに入ってくれよっ‼︎」
「…はい?」
彼女は突然、そんな突拍子も無い事を言い始めたのです。




