第八十話「起きない」
起きない。
もう日が暮れようとしているのに、まだ起きない。
ペタルに頬をつねられ、落書きされ、鼻を摘まれ、匂いのキツいハーブを嗅がされ、口にとんでもなく苦い木の実を突っ込まれても、まるで起きる気配が無い。
「止めて差し上げて下さい」
『うーん。ここまでやっても起きないなんて、コイツやるわね』
「何の勝負をしているのですか」
『さーて、次は何してやろうかしら♪』
「止めなさい」
次のイタズラを仕掛けようとするペタルを摘み、ワタシはイタズラを辞めさせました。
まさかキャンディを食べ終わって暇を持て余したペタルが、冒険者にイタズラを仕掛けているとは思いませんでした。
いえ、予測は出来た筈なのですが…完全にワタシの油断と監督不足ですねぇ。
聞き出しただけでもそれだけの事をしていたのですから、多分、他にも何かしていたと思うのですが…その、聞けば聞くだけ疲れるだけだと、判断しまして。
それ以上は聞くのをやめてしまいました。
『やーん。摘んじゃやーだっ』
「はぁ。しかし、本当に起きませんねぇ」
『んー…ねぇねぇキミドリ』
「はい?」
『アーシの勘なんだけどさぁ、言っても良いかしら?』
「…どうぞ」
『多分なんだけどぉ、この人間、数日は起きないと思うのよねん』
「…それは困りましたねぇ」
妖精の勘はよく当たる。
人間や魔物などよりもずっと自然や世界のルールに近い存在であるためか、彼女達の直感は本当によく当たりました。
享楽主義的な側面のある彼女達の冗談や誤魔化しを見抜く必要はありましたが、鵜呑みにせず、意図をしっかり汲み取れるのであれば、その直感の鋭さは、予言めいているとさえ思う程でした。
まぁ、つまりですね。
ペタルの言う事を信じるのであれば、その冒険者は最低でも数日は確実に起きないという事になるのです。
それはワタシ達にとって、あまり都合の良い事ではありませんでした。
「ですが、このまま放って置くわけにもいきませんよねぇ」
『んじゃあ、ずっとここにいんの?』
「…仕方ありませんね」
ワタシはそう言って立ち上がり、冒険者の腕を引っ張り肩に乗せ、担ぎ上げました。
「よいしょっ、と…ふむ、流石に重いですね」
『…アンタまさか連れて行く気?アーシらの秘密の場所に』
「まさか。礼拝堂には行きませんよ。まぁ、本当はそれが一番良いのでしょうが…お嫌でしょう?」
『そりゃ、嫌よ』
礼拝堂に行けば確実に、休む場所も物資もありました。
しかし、あそこはあくまでも“秘密の場所“。
妖精さん達にとって特別なその場所に、何の情報も無い全くの部外者を連れて入るのは、憚れました。
『じゃあ、だったら何処に行くのよ?』
「アナタも知ってる場所ですよ」
『アーシもって…あーそっか、そっか、あそこねん?確かに近いものね?』
「えぇ、雨風は凌げますし、ここよりは幾分かマシですからね」
『んー、そっかそっかぁ、てことはぁ…ドライフルーツもそこで作るのねん♪うふふ、一人占めって事かしら♪』
「…まぁ、食べ過ぎないようにして下さいね」
『分かってる分かってる♪』
「では行きましょうか、あの洞窟に」
彼方に消えていく夕焼けの光と、シェブナの森に落ちた夕闇の中、ワタシ達は迫り来る夜と共に、あの懐かしき洞窟へと歩き出したのでした。