第十八話「本」
“魔法”とは、
この世界の“ルール”に則って行われる、魔力を使った“奇跡”の事を指します。
魔法には数多の種類があり、自身の“適正”に合ったものであれば、比較的簡単に扱えるようになります。
反面、自身の“適正”外のものを扱うのは難しく、全く使えない場合も珍しくありません。
一方“魔術”とは、
この世界の“ルール”を解析し、適正などの魔法的才能に左右されずに魔法を扱う、魔力を使った“技術”の事を指します。
起こしたい結果を“魔法陣”として描き、魔力を流して発動させるという手順さえ踏めば、誰でも使用出来ます。
ただし、専門として扱うにはある程度以上の知識や技量が必要な為、習得するのは魔法よりも困難です。
広義でいえば、魔術も魔法の一種と言えますね。
ざっくりと説明すれば、こんな感じでしょうか。
もちろん、触媒を使うなどすれば、魔法も魔術もその限りでは無いのですが、とりあえず、それは置いておきましょう。
さて、魔術について書かれた“魔術書”を手に入れたワタシが、ページをめくってどうしたかと言いますと、
「…???」
どうもしませんでした。
いえ、出来ませんでした。
それもその筈です。
この頃のワタシはまだ、文字が読めませんでしたから、何もわからなくて当然なのです。
文字の存在自体は知っていたのですが、見かける機会はとても少なかったですし、見かけても、それが“言葉を別の形として記したもの”だと理解するのに、随分時間がかかりましたから、学ぶ機会もなかったのです。
ツキノ村の村長宅では、文字の習得を含めた“勉強会”らしき集まりもあったようなのですが、ワタシはまず言葉を習得するのに必死でしたからねぇ、そんな余裕もありませんでした。
あと少しでも長くあの村に住み着いていれば、少しくらい読めるようになっていたかもしれませんが…まぁ、考えても仕方ありませんね。
そんなわけですから、ワタシは文字通り、文字の“も”の字も知らなかったので、一文字たりとも読めなかったのです。
ここまでなら、ワタシはひとまず諦めていたでしょう。
一冊だけ取っておいて、機会があればまた開いてみる、程度だったかもしれません。
しかしワタシは、盗賊のアジトで本を開いた時に、ふと思い出したのです。
(んー…ぎっくりごしみたいですねぇ…)
村長がギックリ腰になった時に来た医者が、小さな本に文字らしきものを書きつけているのを。
(…こうしてツキノむらはできた、というおはなしじゃ)
村長が古びた本を開いて、子供達に何かを教えている姿を。
(ねぇ、あのお花ってなんて名前か知ってる?)
(お祝い用に摘んだやつ?そういえば知らないなぁ)
(オレも知らねぇや、村長なら知ってんじゃねぇか?いっぱい本持ってるしさ)
子供達が、本を持ってるなら知ってると言うのを。
そして気づきます。
文字が沢山並んだ、本の中には、
誰かが書き記した、沢山の知識が入っているという事に。
…知りたい。
どうしても中身が知りたい。
この中に入っている沢山の知識が、どうしても知りたい。
誰かがこの中に詰めた何かを、どうしても読んでみたい。
ワタシは、好奇心には抗えません。
いえ、この場合は知識欲と言うべきでしょうか?
まぁどちらにせよ、ワタシはその日から、毎日のように本のページをめくるようになりました。
ページをめくっては眺め、考え、手がかりを探し、またページをめくっては眺め、考え、手がかりを探す。
そんな日にが何日も続き、季節が一つ変わる頃。
ワタシはついに、本を読む事が…!
「…???」
出来ませんでした。
分かるわけないじゃないですか。
とっかかりすら無いのですから。
本当ならもっと早く気づけたのかもしれませんが…いかんせん、好奇心が絡むと思考力が落ちてしまうのは、ワタシの悪い癖ですね。
ともかく、気持ちだけで解ける程甘くはなかった、という事です。
それでも読みたいと思うなら、それこそ、誰かに教えてもらわなければ、ずっと読めはしなかったでしょう。
読みたい…しかしそれは…いやでも…いやいや…
ワタシは悩みました。
自身の決め事を守るべきか、好奇心を優先するべきか。
悩んで、悩んで、長考の末、ワタシが出した結論は、
“本を読むのは必要である”という事。
つまり、
“必要なのだから人間と少しくらい関わってもセーフ”
という事でした。
えぇ、ただの詭弁ですよこんなもの。
理性は、好奇心には勝てませんでした。




