第百七十三話「井戸の中の生き物」
「おー!すげー!壁と天井に魚が泳いでる!すげー!」
バチャバチャバチャッ!
「うわ七色に光る貝だっ!!あ逃げたっ!!あははははっ!!」
バチャバチャバチャッ!!
「うわなんだアレすげーーーっ!!!」
バチャバチャバチャバチャッ!!!
「…ラナン」
「ん?なんだギル?」
「騒ぎすぎだ」
「えーだってさー!こんな所めったに入れないんだぜー?テンション上がっちゃうよなー!」
「気を抜き過ぎだと言っているんだ。何が起こるか分からん場所ではしゃぐな」
「ちぇー」
「うふふ。でも、わたしも、ラナンちゃんの気持ち、ちょっとだけ、分かるわぁ。ここ、見た事ない生き物、ばかりだもの〜」
「まぁね。俺達が妖精の案内でこんな所に入れる機会なんてそうそう無いし、分からないでもないよ」
「ほらぁ!チャロアとファルケもあー言ってるし…あ!見た事ないちっちゃいカニだ!ハサミが四つある!…え?!ハサミが羽になった?!なんで?!」
「ラナン。落ち着け」
『…すっっっごいウッサイ…連れてこなきゃ良かったかしら…』
「ハハ…」
ワタシが井戸に入ってから数分後。
ワタシは、後から入ってきたギルベルトさん達と“なりそこない”の道を歩き始めていました。
「なぁなぁなぁ師匠!!!あーいうカニってこういう所によくいるのか?!あたし初めて見た!!!」
大騒ぎしながら道のあちこちをウロウロとするラナンさん。
出口まで一本道とはいえ、はぐれてしまわないか少し心配になる程でした。
ラナンさんの悪い癖が出てしまっていたのでしょうねぇ。
「さぁ…ワタシもアレは初めて見」
「うわカニ飛んだぁ!!!すげーーーーーっ!!!」
バチャバチャバチャッ!!!
「ラナンさん落ちついて下さい」
ラナンさんはバチャバチャと足音を立て、飛んでいくカニを追いかけようとし始めたので、ワタシはラナンさんの両脇を抱えて離れていくのを阻止しました。
いつにも増して危なっかしい。
「カニーーーーーーーっ!!!」
『あーーーもうウッサイわねぇ!アンタちょっとは黙んなさいよっ!」
「だってカニがっ!」
『あんなカニ珍しくもないわよ!』
「そうのか?!」
『そうよ!よく居るの!アンタもあーなりたくなかったら、さっさと進むのね』
「え?」
…まぁ、大方の予想は付いていましたが、やはり、といったところでしょうか。
ペタルの言葉から察するに、井戸の中の“なりそこない”の中で見た魚も、貝も、カニも、全て元は別の生き物だったのだろうと思われました。
それらの生き物は不安定な“なりそこない”の力によって、変容してしまった姿、なのでしょうね。
ワタシ達は対策として、“妖精の飲み薬”を摂取していたので何ともありませんでしたが、もし何もしていなければ、ワタシ達も数分とかからずあーなっていたのだと、容易く想像出来ました。
「…ペタル」
『何よキミドリ』
「改めての確認なのですが、ここから外に出るまでに、大体一時間程かかるのでしたね?」
『んーまぁね。ちゃんとした時間は分かんないけど、多分そんくらい?』
「なるほど。ありがとうございます」
ペタルは最近、人間の時間感覚に慣れてきていたようなので、おそらく間違ってはいない。
井戸の中の“なりそこない”からは、一時間で出れられる。
ペタルの話では、この“なりそこない”の中と外では時間の流れが違い、中で長く過ごしても、外では殆ど時間が経っていないそうですから、目的地に着くのが遅くなる事もない。
であれば、今、気にするべき点は一つ。
“妖精の飲み薬”の、残りの効果時間について。
まず、妖精の飲み薬の効果時間は、体感時間を基準に出来ております。
つまり“なりそこない”の中で一時間過ごせば、薬の効果時間も一時間分は使ってしまうという事。
加えて、即座に変容してしまうレベルの“なりそこない”の不安定さ。
妖精の飲み薬は酷い環境下で使われると、その分、薬の効果を早く消費してしまいます。
薬の最大効果時間である三時間ですが、ワタシ達はそれよりもかなり短い時間しか使えないと考えるのが妥当です。
最悪の場合を想定し、薬の効果は一時間程で切れると思っておいた方がいいでしょう。
予備の薬があるとはいえ、あくまで予備は予備。
ゆっくりしていられる程の余裕は、ありませんでした。
「…」
ラナンさんも、ペタルの言葉がどういう意味なのかなんとなく察したのでしょう。
先程までの勢いはどこへやら、少し大人しくなりました。
「…行きましょうか」
ワタシはラナンさんを下ろして皆さんに一言そう言った後、また進み始めました。
ほんの少しだけ、速度を上げて。




