迷いの時
「リラちゃ~ん……あれ? リラちゃん?」
「あ、は~い!」
夜も更けた頃、【月猫亭】。
家の手伝いで食堂の接客をしていたリラは、自分を呼ぶ声で我に返った。
声のした方を見ると常連客がにこやかに手を振っている。
「ごめんなさい、ちょっとボーッとしちゃってました!」
急ぎ足で卓へ向かう。
「いいんだよ、こいつのダミ声が聞き取り辛かったたんだろ?」
「なんだと⁉ それを言ったらお前も似た様なもんじゃねえか」
「あははっ! お二人はいつも通り仲がいいですね」
軽口をたたき合う二人の顔はほのかに赤くなっている。すっかりできあがっているらしい。
長い間食堂で接客をしているリラにとって、酔っ払いの扱いはお手の物だ。早々に追加の注文を聞き終えて卓から離脱する。
「お母さん、追加でエール二杯ね~!」
「はいは~い。それじゃリラ、今の注文まで運び終わったら今日はもうあがっていいわよ」
「え? まだお客さん結構残ってるけど……」
「いいの、今日のリラちょっと疲れてるみたいだし」
どうやらリラが本調子でないのを母には見抜かれていたらしい。
「うん……分かった。今日は帰ってそのまま寝るね」
「そうね、そうした方がいいと思うわ」
母の言う通り早々に仕事を切り上げて、リラは自室へと引っ込んだ。
手早く寝支度を済ませてベッドに倒れ込む。
「あ~あ、何やってるんだろ、私……」
リラが仕事に集中できなかった原因。それはもちろんマーレに言われた事にあった。
──本格的に錬金術師を目指してみない?
それは確かに魅力的な提案だった。
初めて錬金術を使ってポーションを作った時、リラは今まで感じた事のない様な高揚感を覚えた。
もっと錬金術を使ってみたい、もっと色んな事ができる様になりたい。
満ち足りている様で、その実飢えている。こんな気持ちになったのは初めてだった。
これこそずっと求めていた本気で心躍る事だと、そう思えた。
「でもそれだと家のお手伝いが……」
躊躇っている原因はそこにあった。
【月猫亭】の仕事ははリラと両親の三人、それと数人の給仕スタッフで回している。ただでさえ忙しいのに、リラが錬金術の勉強を優先すれば家の仕事が回らなくなるのは当然だ。
リラは決して嫌々【月猫亭】の仕事を手伝っているわけではない。疲れた顔で【月猫亭】に来た人が、翌日帰る頃には笑顔になっている。その事が何よりも誇らしく思えて、やりがいを感じていた。
そして手伝っているうちに、リラは自分も『皆が笑顔になる様な事がしたい』と思う様になっていた。
「このままだとどっちも中途半端になっちゃうよね……」
家の手伝いをしていれば、錬金術の勉強も中途半端になってしまう。
だからといって、せっかく見つかった本気で心躍る事を手放してしまうのはもったいない。
「あ~、もう分かんない! 寝よう!」
明日の自分に期待して、リラはそのまま眠る事にした。