一人じゃなかった
人込みを掻き分け、さっきの露店の店主が完全に見えなくなったのを確認して、リラはホッと胸を撫で下ろす。そして、傍で楽しそうに微笑んでいる銀髪の女性に頭を下げた。
「ごめんなさい! 買い物のお邪魔をしてしまって! それと、その……他のお店を知ってるっていうのも嘘なんです!」
リラは一息で言い終えて恐る恐る顔を上げた。
怒られるかも……。そう思っていたリラの目に飛び込んできたのは、手を口に当てて必死に笑いを噛み殺そうとしている銀髪の女性の姿だった。予想と違う反応に目をパチクリとさせてしまう。
リラの様子が面白かったのか、銀髪の女性はついに声をあげて笑いだした。
──笑うと印象が変わって少女みたいに見えるな。
リラはどう声を掛けたらいいのか分からず、戸惑っていると、
「ごめんなさい、あなたの、反応が、面白くって、つい」
とマーレは息も絶え絶えになりながら、手で目元を拭う。よほど可笑しかったのか涙まで浮かんでいた様だ。
何がどうしてそうなったのか分からず、あわあわとしてしまう。
そんなリラの様子を察したのかマーレは、
「助けてくれたのよね」
と、リラの頭を撫でてきた。
「気づいてたんですか⁉」
リラは別の意味で驚いた。今の今までそんな素振りを見せていなかったからだ。
「私が持っていた腕輪が実は安物だって分かってたんでしょう?」
「……はい。腕輪を見て笑ってたから気に入って買おうとしてるんじゃないかと思ってました」
「むしろその逆。あんなに雑な仕事で騙そうとしてるのが面白くって」
「な~んだ。私がお節介だっただけかぁ……」
がっくりと肩を落とした。少しは考えてから行動しなさい、という母の言葉を思い出す。いつまで経っても考え無しで動く所は変わらないらしい。リラ自身がそれでもいいか、と思っているからそもそも治るはずもないのだけど……。
そんなリラの様子を銀髪の女性は愉快そうに見ている。そして思い出した様に問いかけた。
「ねぇ、あなた名前は?」
「リラ・ホワイトです」
「そう、可愛らしい名前ね」
「あの、お姉さんは?」
「私? 私はマーレ。そっか~、まだ私お姉さんでいけるのかしら?」
その言い草から一体いくつなのかリラは気になったが、グッと堪えて口に出したりはしなかった。恐らく十五歳の自分より十歳くらい年上の二十代後半に入ったくらいだ、とリラは予想していた。しかし落ち着いた雰囲気は三十代後半に入った母と近いものを感じるし、あどけなさが見え隠れする笑顔は十代の少女然とした雰囲気もあって正確な所は分からなかった。
「それはそうと、リラは宝石の良し悪しが分かるのね。ご実家は宝飾関係のお仕事をされてるの?」
「いえ、実家はこの先にある【月猫亭】っていう宿屋です」
「あら……。だったら今日はそこに泊めてもらおうかしら」
「是非! うちほど料理の美味しい宿屋はローゼン中を探してもそうそうありませんから!」
「ふふ、確かにリラちゃんの持ってる食材はどれも新鮮だものね……」
マーレはそう言うと、何かを確かめる様にジッと見つめてきた。なんだか全部見透かされてるみたいだ。ムズ痒くて視線を少し逸らしてしまう。
「ねえリラ、少し変な事聞いてもいい?」
「え、はい……? どうぞ」
「あなた、分かるんでしょ? 素材の『声』が」
「……っ⁉」
予想もしていなかった質問を受けて、思わず体がビクっとなる。逸らしていた目がマーレに吸い寄せられていく。
マーレはにこやかな様で、目の奥では真剣な光を宿していた。はぐらかすのは無理だ、と本能的に察した。
「聞こえる……というか見えるというか。例えば野菜を見ればそれがどういう状態か分かります。集中して見れば、どういう風に育ってきたか~とかも何となくですけど分かるんです」
「やっぱり……とするとさっき私が持っていた腕輪も、同じ感覚で宝石じゃなくて樹脂だって分かってたのね」
マーレが責めようとしているわけでもなく、無理に聞こうとしている様には思えなかったので、リラは少し安堵した。
「はい、さっきの腕輪も……ってあれ?」
違和感を覚えた。マーレとの今までの会話が頭の中で蘇る。マーレは一目見て、リラの持つ野菜の状態を見抜いた。そしてさっきの腕輪についても、それが漠然と偽物だと見抜いたわけではなく、その正体が正確に樹脂だと分かっている様だった。偶然で片付けるのは無理がある様な気がした。
「もしかして、マーレさんも……?」
マーレはその問いに、微笑みで答えた。
「……初めて見ました。てっきり私以外に誰もいないと思っていたのに」
驚いた。
幼い頃、そよ風に吹かれた花が喜んでいると分かるのも、誰かに踏まれて折れた花が苦しんでいると分かるのも、当たり前の事だと思っていた。だけど成長していくにつれて、植物や鉱物の声が聞こえているのは自分だけなんだと理解する様になった。
だけど違った。マーレも同じ世界が見えている。
理解されない事を悲しいと思った事はない。ただ何となく、皆と違う世界にいる様で寂しいとずっっと思ってきたのだ。
一人だと思っていた世界に、他の人がいると分かった。それはとても嬉しくて、温かい事だと思った。
まだ驚きが抜けきらないリラの手をマーレが優しく掴んだ。
「世界には極稀に、植物や鉱石、あらゆる物の『声』が聞こえる人間がいるの。そしてその『声』が聞こえる人間のみが本当の意味で使える神秘の魔術、それが《錬金術》」
「れんきん……じゅつ?」
《錬金術》、その言葉をリラはほとんど知らなかった。古いおとぎ話で何度か耳にした事がある程度の、聞き慣れない言葉。
「そう、素材の『声』を聞き、あらゆる物を変質させる。それが錬金術。改めて自己紹介させてもらうわね。私は錬金術師マーレ・フィスト。リラちゃん、あなた錬金術をやってみない?」
錬金術が何なのか、見た事もないし、今の説明だけじゃどういうものかもほとんど分からない。ただ、
リラの胸はかつてない程高鳴っている。
──ずっと探していた、本気で心躍る様な事を。
リラはどうしようもなく沸き立つ心に従って、躊躇う事なく頷いた。