第七話
「構えて、溜めて……」
ナッツは自称「武の妖精」の修業を終えた後、教えられた逸話の通りに技を繰り返しながら戦場へと向かっていた。
クラウチングスタートの構えを取り、【聖盾】という魔術で踏切板を設置し、【軽量】の魔術で身体を軽くし、全力で蹴り出すのと同時に小さな【爆破】の魔術で背中を押すことによって、人体の構造上、あり得ない速度での踏み込みが可能となる。
直後に突き出す右拳を【強化】の魔術で保護しつつ、全身の【軽量】魔術を【増量】の魔術へと変化させながら、渾身の力で突き出す。
その拳が仮想敵……ナッツが脳裏に思い描いた老いた師の幻像に直撃する寸前、全力で大地へと足を叩き付けるように踏み込むと同時に、全身を硬直させることで全体重と移動に要するエネルギー全てを拳一つへと集中させるのが極意である。
言葉にすれば簡単であり、事実あの自称「武の妖精」が分解して教えてくれた動きの一つ一つはそう難しいものではなく……未だに未熟な所為で技の習熟と瞬間的判断力に難があり、【魔闘術】を幾ら学んでも強くなれなかったナッツでも、この一つの技だけで良いのなら使えこなせそうな気がしていたのだ。
……だけど。
「ぐっ……まだ、ダメかっ!」
想像よりも遥かに速い自らの突進の勢いに呑まれ、脳裏に描いた仮想敵に向けて拳を突き出すことすら出来なかったナッツは、その勢いのまま大地をゴロゴロと転がり……ようやく止まったところで口の中に入り込んだ土を吐き捨て、そう歯噛みする。
二回前は踏み込みと【爆破】のタイミングが合わず、ただクラウチングスタートからの崩拳に成り下がっていた。
一回前は踏切板の角度が悪く、意味もなく跳び上がってしまった所為で技の形にすらならなかった。
今回は、スタートは良かったもののその速度域に思考が追い付かず、拳を突き出すタイミングが完全に遅れた所為で、脳内に描く架空の相手に頭がから突っ込んでしまい……ただの凄まじい頭突きになってしまっている。
たった一つの技だけでしか教えて貰えず、その技すらもこうしてまともに扱うことが出来ない……自らの才能の無さにナッツ少年は拳を握りしめるものの、幾ら悔しがったところで技が使えるようになる訳もない。
「くそっ、もう一度だっ!」
体格に恵まれず、武術の才能もなく、魔術の練りも未熟で、瞬時の判断力すらも鍛え上がってないナッツ少年が唯一武術家として優れている点があるとすれば、こうして形になるかも分からない……無駄に終わるかもしれない反復練習を、ただ言われるがままに繰り返せること、だろう。
少年は口の中に広がる土の味に才能の無さを感じながらも、転がり続けた身体のあちこちが発する痛みに自分の弱さを思い知らされながらも、そして何よりも先ほどから上達を全く実感できない現実に焦りながらも……同じ技を何度も何度も繰り返し続け、大地へと何度も何度も叩き付けられながらも、それでも戦場へゆっくりと進んでいく。
自分が騙されたことに気付くこともなく……いや、そもそも教えを受けた自称「武の妖精」を疑うことすらもなく。
この技を習得さえすれば、最強になれると信じたまま。
……そうして牛が歩くよりも遥かに遅い速度でナッツは山を下り、日が傾き始めた頃になってようやく城塞都市が視界に入り始めた、そんな時だった。
ナッツ自身が特に意識もしないまま……つまりただの偶然が重なった結果、踏切と【爆破】のタイミング、直後の踏み込みと右拳を突き出すという、それら全ての動作が奇跡的に「最高の手順」で放てたのだ。
「……へ?」
そうして拳が最高速度へと到達した瞬間、延々とただ同じことを繰り返していた筈のナッツの右拳は、何故か「何もない空間」を叩いた瞬間に、パァンという乾いた音を立てたのだ。
魔術によって強化していた筈の右拳は、何かを叩いた後のような衝撃がジンジンと響き続けていて……その感触はナッツがようやくこの技を習得したことを雄弁に語っていた。
実のところソレは拳が音速を突き抜けた音なのだが、生憎と物理学的な知識なんて持っていないナッツには、それが如何に凄まじいことなのか理解出来ていない。
「コレが……先生の仰っていた【牙突打】か……」
ナッツが初めてこの技を実現した……いや、今となって思い返してみれば形だけなぞった程度でしかなかったが、爆発と共に踏み出しわちゃわちゃと空を舞いながら拳を突き出す様を見た月という名の妖精は、確かにこう呟いたのだ。
「牙突だ……しかも実写版」
その呟きの意味は理解できないものの……特に後半部はさっぱり意味が分からなかったものの、言葉の響きを覚えていたナッツは今、この技を武の妖精の言葉通り【牙突打】と名付ける。
先の先を取り、渾身の一撃を叩き付ける……一撃必殺を持った最強の存在として謳われることとなる未来の英雄は今、この瞬間に産声を上げたのだ。
「さて、さっきの感触を忘れないようにしないと……」
とは言え、まだ技を一度成功させただけ……自称「武の妖精」からは実戦ではヘマをすれば「さぱっと死ぬしかない」と教えられている。
つまり、戦場に出る以上、百発放って百発成功できるようになるのは『絶対条件』。
そう考えたナッツはまだまだ続く城塞都市ガーディアまでの道を、延々と技を繰り返しながら進み続ける。
そうして、野宿を二度繰り返し、ようやく技を八割ほど成功させる目途が着いた頃、麓の猟師が使う小屋で一晩野営をし……
更に技を繰り返しながら進み、三度目の太陽が頭上に上りきった頃……ナッツはついに生者と死者とがぶつかり合う、城塞都市ガーディア前の平野へと辿り着いたのだった。
2020/10/19 20:39投稿時
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