第十三話
「……畜生畜生畜生、畜生っ!」
このシーズ王国第三王子であり光の勇者でもあるカシューの従者として旅立ち、ようやく宿に到着してそろそろ床に就く主の剣の手入れを終えたばかりのナッツは、眼前に広がる有様に思わずそんな罵声を吐き捨てていた。
何しろ、少年の眼前では光の勇者である筈のカシュー王子が不意を打たれて重傷を負って横たわり、聖女であるヘーゼル王女は王子の救援に向かったところで呪いの矢に射られて蹲っている。
城塞都市ガーディアを出るときに雇ったとかいう王子の護衛である傭兵団は街へと到着した直後に気が緩んだのか、ほぼ全員が飲みに出て行ってしまい、物の役にも立ちやしない。
「かかかかっ。
これがあのブラデッドを討った勇者だと?
アヤツは所詮、死者を動かすのが得意な、脆弱な人形使いだったということか」
横たわる王子にトドメを刺そうともせず、そう嗤うのは魔王軍の刺客と名乗る黒い影から湧き出て来た暗殺者だった。
一矢を放ったボウガンを放り捨て、手に毒の塗られた短剣を持つその男はナッツに視線を向けようともせず笑い続けている。
左の額から巨大な角が生えたその姿は、明らかに人間とは異なっていており……魔王軍の刺客という自称に嘘偽りはないのだろう。
「こんな雑魚を討つだけで、六魔将の地位が手に入るとはっ。
上から命じられたとは言え、こんな暗殺者の真似事などという薄汚い仕事、気に喰わぬことこの上ないが……
まぁ良い……今日っ、この時からっ、この闇角のダクホーンのっ、栄光の日々が始まるのだからなっ!」
そんなあまり暗殺者らしくないことを口にする、妙にちぐはぐなダクホーンとやらの姿を見ながら、ナッツは震えるばかりで動けない。
とは言え、眼前の暗殺者という存在は正直、ナッツにとってはそこまで怯えるほどの脅威とは思えなかった。
何故ならば、ナッツが今、右拳を放てば確実に「勝てる」……あの技を放ちさえすれば、明らかに一撃必殺が可能だと直感的に分かるからだ。
……だけど。
「畜生畜生、畜生がっ!」
ナッツはそれでも動けない。
あの【牙突打】を放った後の……砕けてしまった右拳の激痛が、脳髄を突き抜け悲鳴しか口から出ないほどの、最悪の激痛を一度味わったことがある身としては、幾ら聖女による治療が受けられるとは言え、そんな一撃をぽんぽんと気軽に放てる筈もない。
とは言え……素人に毛が生えた程度でしかない他のナッツの技など、突っかかっていった直後に、あの毒の短剣に斬り裂かれて返り討ちに遭ってしまうのが目に見えている。
その毒の短剣に刺されることを想像するだけで少年の膝は震えを抑えきれなくなり……二重の恐怖に心臓を掴み取られたナッツは膝から下の感覚を失ってしまっていた。
「はははッ、逃げるならとっとと逃げるが良い、餓鬼よ。
この闇角のダクホーン、戦えぬ者をいたぶる趣味はないのでな」
そんなナッツの内心を理解はせずとも、震えているという事実は把握しているのだろう。
ダクホーンと名乗る魔王軍の刺客はそう嗤うばかりでナッツの方へと振り向こうとしない。
いや、ナッツなど意に介さず、さっさと任務を終えるべく眼下で倒れる王子へとトドメを刺そうとしている。
「……ちく、しょうっ!」
幾ら激痛に怯えていても、幾ら毒の短剣に怯えていても……ナッツは流石にそれを見過ごすことは出来やしない。
震える膝から力を抜いて倒れ込んだナッツは、右拳を壊したあの日から何度も何度も何度も何度も繰り返した、【牙突打】の構えへと自然と移行し……
「……死ね、勇者よっ」
「……ぁあああああああああっ!
見捨てられるかよぉおおおおおおおおっ!」
魔王軍の暗殺者が毒の短剣を振り上げたところで、ナッツは耐えきれずにそう叫ぶ。
背後からそのまま殴った方が良かったのだが……仮にも「戦えぬ者をいたぶる趣味はない」と言い放ち、少年を見逃そうとしてくれた相手に向けて、それは幾らなんでも無礼に過ぎると思ったのだ。
「どうした、少年?
私は見逃すと言っているのだ。
それでも、命を捨ててまで私の前に立ち塞がる気か?」
「……畜生畜生畜生。
痛いだろうなぁ、痛いだろうなぁ、痛いだろうなぁ」
大声を放った従者が闘気を放っているのを感じ取ったのだろう、暗殺者ダクホーンはそう告げるものの……ナッツは未だに怯えてそう呟くばかりだった。
それでも暗殺者の前で奇妙な構えをした少年は情けない言葉を呟き続けるものの、逃げようとはしていないのだから……覚悟が決まったことに違いはないのだが。
「……何を、言っている?」
「貴方は武人だと言った。
だから、オレはこれから一撃だけ放ちます。
もしこの技を防ぎ切れたら……貴方の勝ちです」
あまりにも情けないその恰好に、ダクホーンは首を傾げるものの……ナッツは相手の言葉を聞こうとはしていなかった。
ただ一つだけ……未だに未熟な自分自身が使える唯一の技を信じ、静かにそう告げる。
それが眼前の武人に対する礼儀なのか、それとも自分が使える【牙突打】に絶対の自信があった所為かは分からない。
それでも、ナッツはそう呟くと、大きく息を吸い……
「いざっ!
尋常にっ!」
「……なぁっ?」
直後に飛び出したナッツの常識を叩き壊すような尋常ならざる速度に、魔王軍の暗殺者は全く反応すら出来ず、そのままナッツが放った右拳はダクホーンの顔面へと真っ直ぐに叩き込まれたのだった。
近い将来、『一撃必殺』の二つ名を冠することになる未来の英雄はまだ未熟な少年でしかなく……こうして彼自身が望みもしていない功績の数々は、今後延々と積み重なっていくことになるのである。
某所にて呟いた「チートな一撃必殺を持つ代わりに拳が粉砕されて激痛が走るので、最強なのに戦いたくないが口癖の主人公」(意訳)ってのを形にしたくなったので気分転換にと書いたこの作品、これにて終幕です。
本来3~5話の筈だったのに気付けば13話も書いてしまったという。。。
1,000pt越えたら2部を書きます!!
(出来もしないことをまた適当に……まぁ、多分行かないでしょう)
2020/10/25 21:08投稿時
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2020/11/17 6:54ふと見たタイミング
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2021/01/24 09:48
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……続き書く作業、開始します。