第十二話
「では、お世話になりました。
ありがとうございます、聖女様」
ナッツが王子の従者となることを決めてから七日後。
聖女ヘーゼル=ノ=シーズの回復魔術を過剰なほど受け、通常治療では再起不能と言われたナッツの右腕は完全回復し……たばかりか、【牙突打】の負荷によりあちこち歪んでいた箇所までもを治してもらった少年は、今日ようやく退院できることとなったのだ。
ナッツ自身、右手を動かしても以前と何の違和感もないことが……そしてたったの十日程度で生死の狭間を行き来していたような重傷者も同じように癒し終えていることが、聖女の魔力が如何に凄まじいかを物語っている。
ちなみに少年の治療に十日間もかかったのは、右腕が見事に粉砕されていたからで……聖女曰く「斬られただけの怪我を繋いだり、生やしたりする方が楽だった」とのことらしい。
「いいえ。
私は命を救ってくれた英雄たちに対し、出来る限りのことをしただけですから」
そんな少年の礼を受け、優しげに微笑むばかりか治ったばかりの右手に触れてくる聖女の姿に、ナッツは思いっきり見とれてしまう。
事実、眼前の少女は王女様とは思えないほど献身的に少年に尽くしてくれたのだ。
包帯の取り替えや食事の世話……どころか、身体を拭こうとしたり下着を剥ごうとしたりと流石のナッツも恐縮するレベルの献身的に世話を焼こうとするので、ナッツとしては恐縮が過ぎて少しばかり苦手意識が芽生え始めているところだったりする。
尤も、こうして真正面から見つめてしまうと、そんな苦手意識などあっさりと吹っ飛ぶほど聖女様は可憐な美少女なのだが……尤も、聖女ヘーゼルは現実味がないほど桁違いの美少女過ぎる上に、王女という身分差もある所為かあまりにも高嶺の花過ぎて、ナッツとしては恋愛相手とすら考えもしないほど雲上の存在であるのだが。
「では、オレ……自分はこれで。
家の……旅立つための準備を始めますので」
「ああ、待ってるぞ、ナッツ」
結局、急接近してきた聖女に耐え切れなくなったナッツはそう言い訳すると慌てて逃げ出し……
同母妹と同じく少年の退院を見送りに来ていたカシュー王子は、そう自らの新たな従者に向け、鷹揚にそう頷いて見せる。
……だけど。
少年の姿が見えなくなったところで、光の勇者様の口が小さく動く。
「……済まないな、ナッツ」
勇者の口から零れたそれは……明らかに謝罪の言葉だった。
それもその筈で、カシュー王子はまだ年若い英雄を自らの従者にしたことに対し、一つだけ大きな……平民相手に思わず詫びの言葉が零れるほど大きな隠し事をしていたのだ。
「どうしましたか、兄様?
貴方は何一つとして嘘を吐いてはいないじゃないですか」
「……ヘーゼル、お前な」
同母妹のその言葉を聞いて、カシューは溜息を一つ吐き出す。
確かに彼は一つも嘘は吐いていない。
兄である第一王子がナッツの結婚相手を見繕っているのも事実で、その候補の中に件の27歳御令嬢がいるのも事実、この城塞都市ガーディアの領主が7歳の娘とナッツとの結婚という腹案を抱いているのもまた事実ではある。
だが、それらはまだ決定事項とはなっていなかったため……【牙突打】を放つ未来の英雄の姿を目の当たりにしたカシューは、あちことへと根回しをしてナッツの身柄を確保し、褒美や出世を厭っているナッツを抱き込むため他の貴族たちの動きを少々大げさにして伝えたのだ。
それもこれも……
「俺は、何とかナッツを口説き落としたぞ?
これで……お前も、俺の旅に付いてきてくれるんだろう、な?」
「……ええ、
私の勇者様のためですもの」
諦観の詰まったカシューのそんな溜息に、ヘーゼルは満面の笑みでそう答える。
……それこそが、光の勇者カシューが後ろめたさをナッツに覚えていた理由でもあり、従者を実の妹に売り渡した悪行の瞬間でもあった。
要するに、この神に選ばれた聖女様は、神の教えとかそういうのをぶっちぎるほどに……神の啓示でによって選ばれた勇者であり、実の兄でもあるカシュー王子を「私の勇者様を旅の同行者としないと私の協力は得られないと思ってくださいね、兄様」と脅迫するほどに、あの未だに未熟な英雄であるナッツ少年に惚れこんでしまったのだ。
その惚れ込みようが少々行き過ぎている所為で、介護の名目を用いて年下の少年の下着を脱がそうとしたり、身体を拭こうとしたり……少しばかり犯罪ギリギリというか、王女という地位を持たず男女が逆転していれば「確実に通報されていた」だろう所業をやらかしている。
そんな実の妹の将来をカシューは心配しつつ……それでも唯一無二の血縁者にして旅の仲間である聖女を仲間として維持するため、彼は知り合ったばかりの従者を実の妹へと売り渡したのだ。
尤も……
「……まぁ、ここでアイツに変な虫を付ける訳にはいかんのだがな。
恐らくナッツは、巨人殺しを繰り返す。
絶対に手元に置いておかなければならない大駒だ」
「でしょう?
恐らく、彼は魔王を打ち滅ぼす器です」
カシューが呟いたその言葉も嘘じゃない。
光の勇者と聖女が全力で力を振り絞り、傷一つも与えられなかった闇の屍操術師ブラデッド……その強者をたった一撃で破壊した少年が、このまま大人しく世に埋もれる訳もない。
くそ下らない政治やら権力闘争やらで、たかが男爵家の令嬢如きとくっつけた挙句、中央で飼殺すなんて、持っての他……人類全体を敗北へと導く大きな過失となるだろう。
だからこそカシューは少しばかり強引な手を使ってナッツの身柄を手に入れたのだ。
魔王軍六魔将を討った手柄で手に入れた色々な利権をほぼ捨てることになったものの……光の勇者は自分の選択が正しかったと確信している。
しかしながら、聖女の治癒魔術がこれからの旅に必要なのも事実であり……とは言え、聖女である実の妹が少しばかりやり過ぎて、あの少年の信頼を失う訳にはいかないのも事実である。
「……まぁ、あまり無茶はするなよ?
頼むから、アイツが斬首刑になるような真似だけは避けてくれ」
「ええ、分かってますわ、お兄様。
上手くやりますわ、ええ、絶対に」
そんな結局、カシューに出来たのは同母妹にそう釘を刺すことだけで……聖女ヘーゼルはその釘の意味が分かっているのか分かっていないのか、いつも通り聖女の笑みを浮かべて見せたのだった。
2020/10/24 12:47投稿時
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