恐るべき悪魔
私は逃げる。
あの恐るべき悪魔から。
私は逃げなければならない。
お腹の子供を守るために。
あの悪魔との戦いは、地球が創造されたその時から始まっていた。
お互いに干渉しあわなかった我々と悪魔が、時を重ねるにつれて変化していった環境により引き合わされ、やがてお互いの存亡に関わる戦いへ発展してしまったのだ。
最初は数と生命力に勝る我々が有利だったが、次第に悪魔たちが数を増し、我々を容易に殺す罠を駆使し、我々を追い詰めていった。
しかし悪魔は傲慢で低脳だったから、しだいに自らの糧を自ら滅ぼし、自らを自ら滅ぼし、次第にその数を減らしていった。
そうして我々は悪魔たちが蹂躙し荒らされた地球に適応し、悪魔たちを凌ぐ体を手に入れ、悪魔たちを討滅していった。
ついに我々の地球を取り返す事ができた。
悪魔の生き残りが現れたのは、まさにその瞬間だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『対強襲用鎧骨格部隊、出撃!』
悪魔を討滅すべく、風の如き速さで展開する部隊。
黒光りする甲冑を纏う部隊は瞬く間に悪魔を囲い、一気に殲滅を試みる。
しかし、その一翼が不意に崩れる。
展開した部隊の左舷が悪魔によって殲滅されたのだ。
鎧骨格の破片と体を待ち散らして逝く若い兵士。
悪魔は無慈悲にも、直撃を避けた兵士の体に飛び乗り、その骨格を剥いでゆく。
ブチブチと筋繊維が剥げる音と、兵士の甲高い悲鳴が響き渡る。
その叫び声を意に介さぬように、悪魔は兵士のむき出しになった肉に両腕を突き刺し、そのまま体を真っ二つに引き裂く。
中身を撒き散らしながらも脚を動かし、悪魔に肉薄せんともがく兵士。
しかし悪魔はそのまま兵士の頭を踏みつけると、体重を駆けてブチっ。と踏み潰した。
にちゃあ、と糸を引く、兵士の脳の無惨さに非戦闘員である私は戦慄する。
あの悪魔は私達に対してはここまで残酷になれるのだ。
それは太古の昔から変わらない。
『戦線放棄!非戦闘員を撤退させろ!』
部隊の隊長はそう叫び、我々の誘導を始める。
悪魔は私たちを逃す気はないのか、次々と兵士を殺してゆく。
殺された兵士や、同じ非戦闘員の体の一部が、まるで雨のように降り注ぐ地獄のなか、私は無我夢中で走り抜けた。
乾いてひび割れた、赤黒い高野を私は走る。
脚の隅々まで力を込めて、あの悪魔から逃げるために。
無我夢中でありながらも仲間が死んで逝く断末魔は響いてきた。
あの様子だ。
―希望は、持てまい。
寂寥感と怒りは爆発し、声にならない叫びを上げ、涙を流しながら走る。
我々が何をした?
我々は自然のサイクルに従い、自然から得た糧で生き、自らが死したときは体を自然に還してきた。
悪魔たちはその理をねじ曲げ、地球を面白半分に汚してきただけではないか。
なのになぜその悪魔に、我々が滅ぼされなければならない?
脚がもつれ、地に倒れ込む。
幸いにもお腹の子は無事だ。
しかし、目の前にはコミュニティーを滅ぼした悪魔が立っていた。
そいつの体は仲間の体液で濡れそぼっている。
私は自我を保つことすら危うい怒りに突き動かされ、悪魔へ飛びかかる。
それが愚かな判断だと知らずに。
ブチリ、と肉を裂く音。
悪魔の手には私の脚。
遅れてやってきた痛みに私は金切り声を上げ、またも地に伏せる。
それに構わず悪魔は私の頭と体に手を伸ばし、バラバラにしてゆく。
(ぶちぶち)
あ
(ばきん、ぐちゃり)
あがぁ
(ぐしゃ、ぐじじじ、ぐしゅっ。)
あぎいいいっ!
ああ痛い!止めてくれ死んでしまう!痛い痛い痛い痛いいたいイタイいたいたいいたああいたいあああいたi
…ああ、私の…から、だが…。
脚も、ひふも…肉も…
私 子供も、ぐし ぐしゃだ。
わたし
は
も
しにた な
いた 。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
厚い雲に覆われた、ひび割れた高野。
ようやく目標の始末に成功した悪魔は、溜まりに溜まった息を吐く。
共存は望めなかった。
昔ならいざ知らず、今の『彼ら』は自らの仲間に多大な影響を及ぼす。
とりわけ太古から忌み嫌われてきた彼らと共存したいと望む同族がどれぼと居るか。
うねうねと動く対象の子供。
対象の濁った眼が子供を捉えているが、果たして見えているかどうか。
やかでうねうねとした動きは小さくなり、止まる。
念のために潰す。
面白いほど柔らかく擦り潰せたそれを、丸めて肉団子状にし、遠投する。
比較対象が無い、まっさらな高野を飛ぶ肉団子はやがて地に落ちて、またペースト状の肉になる。
それと同時にピクピクと動いていた子供の母も、やがて動かなくなる。
触角と六本の脚、そして油のように照り返す黒い外骨格と、中身を撒き散らした屍。
ゴキブリ最後の雌は
子供とともに生涯を終えた。
悪魔の体躯の倍は膨れ上がった巨体から漏れ出た体液は乾いた地面に吸収されるが、屍とともに花を咲かせる栄養にはならないだろう。
花の根は既に無い。
花は絶滅したからだ。
悪魔はゴキブリの死体をそのままに、数少ない同族の元へ帰る。
同族を脅かす危険因子を排除したことを報告するために。
そして、再び地球を蹂躙するために。
高野を歩く悪魔。
その名は人間。
地球と生物を滅ぼし尽くした
最初で最後の、恐るべき悪魔―。
【了】