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一生嫌命  作者: 水綴
7/9

すれ違い

 体が軋んでいる。

そこで彼はようやく痛みを自覚した。

最長二十年という、現代ではあまりにも短すぎる人生。それでも、そこまで生きられたことを彼らは『長生き』という。何事もなく二十年を生きた矯正者たちは最期、眠るように息を引きとる。仕組みはわからない。残された生者に心的ダメージを与えられればそれでいいのだとか。うむ、誰かを看取ったことがないから、さっぱりわからない。

誰かを失うことによって抱える傷など、すぐに治るもんだと思うから。そうして、人間は他人の死を何度も何度も乗り越えてきたではないか。

それに自分は、誰かを泣かせるほどできた人間でもないと思うから。


体がこんなにも軋む理由はなんとなくわかる。

心と体が乖離しているのだ。心は死を受け入れているが、体はまだ生きられる!と死へ抵抗を始める。その結果が、この貫くような慣れた痛み。

ああ、痛いなあ。

「兄さん!」

二度と聞くことはないだろう。

そう思った声が耳元で響いたのだから、驚くのも無理はない。

「っ、驚いたお前か……」

妹の泣き叫ぶような声に呼応し、忌々しそうに体を起こす。

妹に押されたな、あの医者。

舌打ちしそうな不機嫌さに、妹は慌て出した。

「あ……兄さん、うるさくしてごめんなさい……無理して体起こさないで」

申し訳なさそうに弱々しく手を伸ばしてくるが、「平気」と一蹴する。

「言っただろうが、病院なんだから静かにしろって」

ベッドから少し離れた場所で呆れたように長兄が首を振っていた。

「お見舞いも許してくれないっていうから、本当に心配したのよ」

唇を尖らせて拗ねたように言うが、それは心からの言葉のようだった。お兄ちゃん離れしてくれない?

「まあ、もう二度と会えないことを覚悟してください、なんて言われちゃ血眼になって探す以外に選択肢ないよなあ」

落ち着きを取り戻した妹に同調するように兄も笑う。

あの医者、正直すぎるだろ。嘘の一つもつけないのか。いや、嘘は医者として失格か。

「お前たちの使う金ならまだあるだろ?馬鹿な話、自分でも限界に気づかないうちに取り返しがつかなくなっちまった。ごめんな、二人とも」

内心で医者の立場に少し同情しながら、彼はそんなことを口にした。それを場違いな発言ととらえたのか、彼らの表情筋が途端に死ぬ。

「お前……それ本気で言ってんのか?俺たち兄妹が、お前から金を毟るためだけにここまで来たと?」

「ん、違うのか?」

妹の瞳に涙が溜まっていく。静かな病室に彼女の嗚咽だけが響いた。

「そんなわけ、ないじゃない…兄さん」

泣き出して飛び出てくる途切れ途切れの言葉が拾いにくい。

「あのさ。お前が俺たち兄妹のことをどう見てんのかわかんないけど。少なくともお前のこと、大事に思ってるよ?」

怒りを抑えているのがよくわかる。声、震えてるよ兄さん。

「俺も、大事に思ってるよ」

それは本心。彼らは現代に染まりきっているけれど、家族への愛情は人一倍深そうであった。

「知ってるわ…そんな、死にかけるまで働き詰めだもの」

笑顔で言い切る俺に言葉を返し、妹はまた涙を流す。

「いいや、お前は自己完結しているだけだ。俺たちを思う気持ちに嘘はないだろうが、そればっかりが愛情表現じゃないだろう」

兄は正面から否定する。

頭の痛い話だ。物理的にも、精神的にも。

「……」

すぐに返事を返さず、眉をひそめながら体を寝かせる。

「兄さん。疲れているみたいだから、今日はもう帰ろう?」

彼らに背を向けた次兄を見て、妹が提案する。

「こいついつ死ぬか分かんねえんだぞ。おとなしく帰れるかよ」

数時間前までの彼のように、長兄は妹の手を振り払う。

自己完結、か。

長生きできないってわかっているからこそ、社会にも家族にも貢献しているのだけれど、そんなこと言っても納得しないんだろうな、お前たちは。

ずきずきと脈と同時に鈍く痛む頭を押さえて考える。

「うん、そうかも。ごめん、兄さん」

背を向けながら、罪を謝る。

彼らがどんな表情をして、どんな感情を抱えているのかなど、今更知ったところで何にもならない。もう後には引き下がれない。

兄の言ったことは、きっと正しいことなのだろう。この世界は歪みきっているとばかり思っていたから、愛する家族も腐っていると信じて疑わなかった。今までだって、彼が突然姿を消しても家族は彼を探しはしなかった。心配はしただろうけれど、そんな余裕などなかった時代だったから、それが当たり前だった。

世界は時代とともに変化している。これが、俺たち矯正者のおかげだったら、今までの死もすべて無駄ではなかったって胸を張って言えるだろうか。

「……」

彼らはみな黙り込んで、訪れた静寂が部屋を満たした。

やがてガタッと長兄が椅子を引き、部屋から出ていく。

「兄さん!」

責めるように叫んだ妹がその後を追う。

頼むから、喧嘩なんてしてくれるなよ。あ、俺のせいか。

背中から感じた彼らの思いは、いまだその名前がわからない。わかってしまえば、すべてが崩れ落ちる気がする。

彼は静けさに眠気を催し、半開きだった眼を閉じた。

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