第四話 後悔はしなかった
この4月、初めての出来事が2つ起きた。
2年連続で入学式に新入生として出たこと。
同時期に2回入学式に新入生として出たこと。
前年に高校に入って不登校になったから、まず2年連続…そして、同時に通信制の高校も通うことになったので、2回というだ。
この日僕は、神の丘学園の学園生となった。
桜がまだギリギリ満開をキープし、そのほかの花々もその綺麗な姿を見せて祝ってくれる。
春のついうたた寝しそうな温かさと、冬の面影を思わせる寒さが共存する晴れの下、僕は恐ろしく緊張をしていた。
昨年の高校の時はそれほど緊張しなかったのに、通信制の高校に至っては皆無だったのに、口から五臓六腑が吐き出そうなくらいに緊張していた。
そんなに深くない深呼吸を中々のスピードで数回するが、速くうるさくなっていく心臓の鼓動が、さらに緊張をかき立てる…深呼吸の意味ねぇじゃん!
これだけの緊張の理由は、多分期待の大きさの比例だ。
この鼓動の速さの分だけ楽しみで、鼓動のうるささの分だけ希望に満ちていて、体がガチガチなだけ嬉しいのだろう。
当然不安もある、寮生活とか、生活習慣とか、同期達、スタッフ達、先輩達とのコミュニケーションとか…色々。
それでも勝るのは期待の方だった、きっと受験以来のこの緊張は、幸先の良いという合図に違いない。
本館2階の多目的ホールで行われた式は、厳かに進む。
フリースクールなので、何か特別な儀式でもあるのかと変な不安は的中せず、割と普通の入学式だった。
ただ、学園歌を歌うとなった際に、歌詞カードを渡された時は、「え?歌うの?」と困惑しました…そして周りの同期もだいたい同じリアクションでした(笑)。
聞いてみるとやはり全く聞いたことの無い歌なので、結局何のための歌詞カードだったのか分からないまま、入学式を終えた。
入学式が行われた数時間前、寮生活をするため、寮に布団などの生活用品を、寮での自分の部屋に運ぶ必要があった。
その時、思ってもみなかった光景を見た。
寮の前に車を停め、バックドアを開けると、寮の玄関前で待ち構えていた先輩達が、率先して荷物を運んでくれたのだ。
あり得ない光景、といえばそうは思わなかったが、結局僕はほぼ荷物を運ぶ事無く、全ての荷物が運び終わったのだ。
まあ言われたからやってるんだろうな、と当時は最初に思ったが、素直に感心した。
感心したなんて言うと上から目線みたいな響きに聞こえてしまうが、とにかく良い先輩達だなと、第一印象はすごくいい印象を受けた。
そして、人それぞれではあったが、基本的に接しやすい先輩達で、結構すぐに打ち解ける事が出来た。
その夜、寮内の談話室で歓迎会が開かれた。
大量のお菓子とジュースが用意され、ほとんど全員の学園生とスタッフの皆さんが集まりパーティーが始まった。
一通りの自己紹介を終えて騒がしい、実に騒がしい中で僕たち新入生は、一気にとは言わないが先輩達との距離は縮まったと思う。
驚いた事に自己紹介の際に先輩新入生が言った好きなことがほとんどゲームということだ。
僕はほぼゲームをしないので好きなことからの共有による関係性を経て親しくなれるのかどうか一層不安になった。
しかしそれについては寮生活で自然と仲良くなれたので、ローカル通信による協力プレイなどは出来なくともだいたいの人達と楽に話せる関係性にはなれた。
スタッフの皆さんも個性的な人達が多く、学校の先生と生徒よりも近い関係性だった事に驚いたのもまた事実だ。
初日は慣れが無いのと緊張したのとで全く眠れなかったです。
家に帰ってからは家を出る時の不安は消えていた。
早く行きたくてたまらないとかワクワク感もあった訳では無いが、まずホッとした。
多分僕らを対象として裏で何らかの研究をしてる訳では無いという確信が得られ……いやいや、早くに馴染めそうだなと思ったためだ。
苦にならないなら何でもいい訳ではなかった、実際行っていた高校は授業に追いつけない以外は特に苦にならなかったが……何かが違うと思った。
もちろん授業に追いつけないという点は大きかったかもしれない、しかし周りはそれはサボっているからだと指摘するに決まっている。
実際サボっていた部分はかなりあったが、やるべきことは一応やっていた。
小学生の時は帰りの会で黒板に連絡ノートに書くべき事を書く習慣があり、そこに宿題も記していた。
しかし中学になってからそのような習慣はなくなり、宿題という存在が自身の脳内で薄れていった。
結果的に中学では締め切りギリギリだったりしなかったりも多くは無いがあった。
その悪い癖がそのまま高校でも出てしまい、僕は授業を初めて苦痛に感じた。
ここで思い知ったのは、漫画やアニメみたいに高校生活を楽しむためには、要領が良くないとダメだということ。
2つ以上の事が同時に出来なくて怠惰な生活を送っていた僕とは到底巡り会わない言葉だ。
何かのドラマで言っていたが、東大に入る奴は頭の良い奴じゃなくて一部の天才と大部分は要領の良い奴らしい。
想像力や好奇心で生きてきた自分に何が出来るのか、そもそも中学を卒業して高校に入っても高校は特に入りたい訳じゃなかった、かといって仕事をしたい訳でも無いと言っている自分に生きる価値はあるのか?と考えた。
どう考えても無かった。
社会とは嘘で形成されていると思っていた、人と人は本音を言い合ってばかりでは共存出来ないから、互いに気を遣いあって社会は出来ていると。
まあ実際そうなのだろう、だから僕は悩んだと言ったら偉そうにするなってか。
学校に来る際の服装すらも同調したがる日本人だからより色濃く耳に入るのだろうか……誰も言ってなくても、そんな風な声が聞こえたりする。
自分が生きる価値は自分で決めれば良い……これは価値あると口で言うのではなく、何かしらの行動を起こして誰かの役に立ったりそうじゃなかったりの際に強く思う事だと思っている。
全員から好かれないと誰もが口にするが全員に好かれたいから仕方ない、心もおかげで脆い。
だがこの学園に来ている人達は、少なからず同じような心の境遇にあって来ている人がいる。
全員とは言えないが多数はいるだろう。
痛みを知っているから、鋭さを知っているから、傷つける事は言わず徐々に本心が陰りを帯びたモノでも無くなっていく。
学園に入って数ヶ月経つとそんな風に思えてきた。
やがて離れると思うと寂しくなる……そんな風に思うのは小学校以来だろうか……。
この学園に入って僕は、後悔はしなかった。