第三話 常識、価値観、正義、それから
それから僕は、交流体験のある日は必ず赴いた。
それだけ僕の心に響いたんだなと、無意識に思った。
もう僕の中では、ここへの入学は決まったも同然だった、家族も誰も反対しない。
ただ一つ、高校に行くという条件付きだったが。
神の丘学園は、県内の通信制高校と提携し、学園のプログラムの一部は、その高校の単位になるというものだった。
僕はそれについて、別に抵抗はなかった。
学校に行くのは月に2回くらいだし、誰かと友達になったりグループに入ったりしなくてもいい、ドライでいられると思ったからだ。
そして実際それでいる。
最低限の人間とのコミュニケーションで成立するその感覚が、ものすごく居心地がよかった。
しかし笑い声を聞くとどうしても気になってしまうが。
しかし、ここに辿り着くまでの道のりは、まあまあ険しかった。
きっかけは食事中に僕がなんかマナーの悪いことをしたから、叔父が注意した、ということからだ。
僕は、絶対これ解決しても僕の将来的な話が勝手に始まるな…と、適当に返事をしながら思っていた。
そして実際そうなった。
食事と全く関係無いのに、ちょうど良い機会だから話そう、みたいなノリは嫌いだ。
何よりも僕はこの叔父が苦手だ…いや、断言しよう、嫌いだ…おそらく今まで出会った人達の中で断トツ…というか、唯一かもしれない…。
働いて家を支えているため、感謝はあるが、だからといって好きとは言わない。
深夜3時まで、僕と叔父、そして母と祖母の話し合いが続いた。
何故叔父がここまで僕に言ってくるのか、聞けば、叔父も高校の時に不登校になったらしい。
だから誰よりも心配してるんだよ、と言われた…普通ならここで、そうか、同じだからこんなに心配してくれてるんだ…という思考に辿り着くものなのだろうか。
僕は特に何とも思わなかった。
僕に言ってくる言葉の内容は、不登校になってない人達と大して変わらないからだ。
大人になったら苦労するから…僕は大人になった事が無いので、よく分からない。
人がタラレバで後悔するのは、都合良く未来を見通す目を持たないからだ。
「激辛ラーメン」は、見たり聞いたりすればだいたいすごく辛そう、と思うが、「大人になったら苦労する」は、聞いてもピンと来ないし、見られない。
通信制の高校に行くということで話はついたが、今回の件でより嫌いになった。
これだけ自分を心配してくれている、ではなく、いつまでもいつまでもうるさい、の方がはるかに勝っていた…僕はかなり単純だ。
お前のために厳しく言ってる、なんて言われても、僕のためなら厳しくするな、僕が望んで無いので、それは僕のためになってない、と言っても、きっと通じない。
世間的な正論で、複雑さに熾烈を極めた思春期の心をボコボコに殴り倒してくるんだから、逆らえない、逆らいたくない、痛いし。
叔父と真剣な会話をしていると、そんな風な事ばかり考えている。
それから、10回近くは行っただろうか…しかし僕はそのどれも、午前中は全てスポーツを選び続けた。
体育館はあの1回きりで、それからは芝生広場、通称緑の広場で、サッカーやキャッチボールなんかをした。
午後は、学園敷地内にある農園で野菜を収穫したり、何だかよく分からないモノを作ったり、年が明けた頃にはもう、自分の庭くらいに思っていた。
しかし動物は苦手なので、本当の意味で庭にはしたくない…。
スタッフの皆さんとも関係は築けてきているし、居心地もだいぶよくなった、アイスブレイクしなくても緊張は皆無に等しくなった。
そうして年が明けた冬、面接などの一次試験を突破し(失敗する確率はほぼ0)、寮での一泊二日の二次試験の日となった。
2月、自然に囲まれているためか、町とかよりも寒さを余計に感じる気がする。
僕も当然だが、おそらくほぼ全員が緊張しているはずだ。
ここでは、交流体験で顔見知りになった人達も結構いたので、孤立する事は無いだろうとは思っていた。
そして二次試験では、同じく受ける人達との距離感が、分かる人と分からない人との差が大きく開いた。
趣味が合う人、話してて面白い人もいれば、1人でポツンと座っている人、滑舌が悪くて話が聞き取れない人など、コミュニケーションにやや困る人もいた。
というか、僕がそこまでアクティビティに話しかけるタイプではないので、話しかけられてようやくコミュニケーションが成立するのが毎度の事。
相手の滑舌うんぬんより、人とのコミュニケーション不足により、音を聞く能力、聴覚は長けていても、言葉が基本的に聞き取りづらいのだ。
僕はそれが確執の原因にならないか、と考えると、少し不安になった。
昼食を食べ、午後は農園で収穫や種まきをし、動物たちと触れ合ったり(僕は触れてない)して、あっという間に時間は過ぎ、ついにこの時が来た。
寮での自由時間。
これが結構気まずい…かと思いきや、話は弾み、そこまで気まずい空気にはならなかった。
てっきり他の人と触れ合わずに過ごす人の方が多いのかと思ったが、半々くらいだった。
夕飯も食堂で食べ…ていうか、食事をあっさり流しているが、ここの食事、無茶苦茶美味い。
定食スタイルで、ごはんや汁物もあるだけならおかわり自由、おかずも残ればおかわりOK、農園で収穫した野菜なんかも調理されて出てくる。
ドリンクは水のほか、緑茶、ウーロン茶を始め、牛乳、豆乳、麦芽コーヒーなどがあり、ドレッシングも、青じそ、ゴマ、シーザーサラダ、マヨネーズと種類も割と豊富。
何より美味い!苦手で無ければ、余裕で全部食べられる!
栄養バランスも取れているそうだし、これは正式に入学すれば、食事は楽しみの一つになると確信した。
夜、就寝時間は11時なので、食事が完了する7時からの、まあまあ長い自由時間が始まる。
男子寮での娯楽といえば、寮の2階にある、談話室に設置されたテレビと、その談話室のそばにある本棚にある、大量の週刊少年ジャンプと、1階玄関前のラックにある、ファミ通だろう。
ジャンプはまあよく分からない、知ってる作品が4、5作くらいしかなく、途中なのでよく分からず、新連載のモノと、あとワンピースを読んだりした。
ジャンプはかなり置いてあり、去年分全てと、今年分の当時刊行分、合わせて60冊はあるはずだ。
ファミ通は、僕はゲームはあまりしないので、見ることはなかった。
こちらも何十冊と置いてあった、聞くと、毎週寮のお金で買っているそうだ。
これなら、正式に入学しても退屈はしないだろうと思った。
しかしその後、もっと退屈しないだろうと強く思った、懐かしさすらも感じる出来事が起きた。
同じく試験を受ける人達との会話だ。
趣味が合う、面白いくらいに合う、内容が若干分からなくても、面白いから気にならない。
とんでもない出来事だ、僕にとってそれは、とてつもなく大きな出来事だった。
たくさん笑った、たくさん話した、廊下、風呂、脱衣所、談話室、どこでも。
多分僕が思うよりかは話して無いとしても、めちゃくちゃ話した感覚が今も記憶と共に在る…人とのコミュニケーションが、楽しい事だと思い出させてくれる。
決定打となった。
入ると決めたとはいえ、人間関係が上手くいかないなら、また家にこもる事を繰り返すだろう。
だから、入学したい、から、入学するへ…入学する、から、入学したくてたまらないへ、約半年ほどで僕の心の状態は、目まぐるしく変化する。
その時、今こうして自分が思える状況に、導いてくれた全ての人に、心からの感謝を思った。
しかし緊張はあるので、夜はほぼ眠れず、朝は起きるのがまあまあつらかったが、慣れるだろうと未来の自分に託した。
託された身として一言申す、慣れてません。
こう言ってはあれだが、僕は不登校になって、よかったと思っている。
おそらくあのまま我慢して高校を通いつづけたなら、僕の心はどうなっていたか分からない。
周囲の誰もがその考えを否定しても、僕はそんな現実から逃げた、なりふり構う事無く逃げた、逃げられた…逃げるという選択肢を、選べた。
越えられない高い壁は、ぶっ壊してまで進まなくてもいい、振り返って別の道を探すという選択肢もあるのだと知れた。
これもひとつの、強さだと思える。
甘えだとか、言い訳だとか、何と言われても否定はしない、事実だからだ。
けど同時に、心が壊れるのを未然に防げた、周囲の人々の期待を裏切ってまでも、自分可愛さで逃げられた、と僕は思う…これも事実だ。
落ちたハンカチを拾って持ち主に届ける行為を、優しさ故の善と捉えるか、優しさを見せた自分に酔いしれる偽善と捉えるか、もしくはその両方を捉えるか。
価値観の相違が生み出す、人の選択肢を狭める強奪行為。
日本人とは特に、筋は一本通す、みたいな厄介な美徳があるから、当たり前だとか、正義だとかの色が、個々強い。
もっと選択肢はある、間違いだと切り捨てる前に見直してほしい、自分の常識を、1度疑ってほしい。
人はもっと柔軟で、想像力を広げ続けることができると思う、そのための理性だとも思っている。
という訳で、二次試験は突破、そして4月、ついに僕は、正式に神の丘学園生となる。