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第一話 僕は不登校になりました

 高1の9月1日、僕は、登校を拒んだ。








 ───中3の秋、そろそろどこの高校に行きたいのか決めなければいけない頃、僕は高校に興味が無かった。


 成績中の上か中、夢は無い、正直高校なんてどこでも良いだなんて思ったりもした。


 だけどマラソン大会などの嫌なイベントがあったり、家から遠かったり、そういうのは嫌だなぁって感覚はあった。こういうのは良いってのも無かったのに。


 親からは公立に行け、祖父母からは公立の方が良い、勉強しろとは言わなかったが、無意識にプレッシャーを感じていたのか、ちょっと病んだ。


 塾では反抗、家でも愚痴をこぼすようになった。そして気に障ったのか、たまにその愚痴でいちいちけんか腰で話しかけてくる母が面倒くさくて仕方なかった。


 学校は友達がいたので暗い気分は紛れたが、受験の日が近付くにつれて、嫌な気持ちは増していった。




 とりあえず滑り止めの私立は半ば適当に選んだが、公立はとりあえず、マシな所に行こうと思っていた。

 高校という世界に、希望も期待も何も抱いていなかった。


 学力的に偏差値の近い2校のオープンハイスクールに赴き、その内の一つがかなりアクティビティで、楽しそうだなと思えた高校だったので、マシだと思い受験を決めた。


 それからは必死で勉強…したわけではなく、今までと変わらず、特別な事は何もしなかった。




 ───合格発表当日、近所の神社に祖母に連れられ何度も手を合わし、お守りをたくさん持ち、周りの人達の期待を背負って臨んだ。


 というか、周りの人達の期待を背負って、自分は絶対に受かってほしい的には思っていなかった。


 高校は行かなくていいなら行きたくない、けど労働よりはマシだと思っていた。

 内心ニート志望だった僕だが、自分がどうしたいか分からないままこの日を迎えた事に、もっと早く気付くべきだった。


 結果は合格、嬉しくない訳では無く、〝とりあえず〟が報われて嬉しいと素直に思った。母は泣いて喜んでいたが、泣いて喜ばれても困った…僕は、何の思いも持っていないのに。


 手続きを終えたあと、学校や塾、親戚達に報告、それからあっという間に春を迎え、僕は高校生になった。




 同じ中学の人は何人かいたが、よく話してた人や、友達は1人としていなかった。入学式は睡魔との戦い、学力は僕に合っているものだろうと思い勉強については特に悩まなかった。


 だがここで、僕は躓いた。僕は特進クラスという、より勉強をするクラスの中にいた。


 そういえば入学説明会で、特進か普通かを選ぶ書類があったのを思い出した。

 僕は正直どっちもそんなに変わらないと思い、母の強い推しで特進クラスになった。


 その認識が甘かった。授業スピードが滅茶苦茶速い、授業が多い、毎日小テスト、それが普通だとしても、僕は着いていけなかった。


 要領の悪い僕は、誰よりも自習しないと追いつけないのだが、家に帰れば即勉強はほったらかし、毎日深夜までテレビやネット、とにかく僕は、勉強の時間よりも僕の時間の方が大事だと思っていた。それは今でも思っている。


 宿題もおろそかになり、先生からちょくちょく注意も受けた。僕自身のペースより何倍もの速さで学校生活が進むので、知らず知らず、学校が嫌になっていた。




 そして6月に入る頃には、もう何もかもが嫌になっていたのだろう。


 それでも休む訳にはいかない、いじめられている訳でも無く、日々のストレスが溜まりに溜まったから学校を休みたいだなんて言えば、母は当然怒ると思った。


 この辺りから僕は、将来のためや、青春を謳歌するためとかではなく、怒られないために学校に行っていた。


 もちろん母や他の親族達は、怒ることより遙かに多く優しさや愛情を僕に注いでくれてはいるのであろうが、僕にとって、愛情を注ぐ行為は、当然なものだと思い、その一つが怒ったり叱ったりとは思えなかった。


 ごちそうさまが言えてなかった、後片付けをしなかった、親の言うことを聞かなかった…おそらくただの注意で、怒っていないはずなのに、自分の行動を否定されている、自分のやり方を否定されている、自分を否定されていると、たった一言でも思ってしまい、それは怒りではなく、怯えに近いものだ。


 例えば1年で、364日怒られない日々を暮らしても、1日怒られたなら、その1年は幸せではなかったと思うほど、極端な考え方をしていた、今も大して変わらない。


 そんな中迎えた期末テスト、僕は人生で初めて、0点を取った。


 全て空白で出したのだから当然だ、問題が分からない事よりも、今の自分にとってこのテストが本当に必要なものなのか、そんな疑問を抱いてしまう程に、僕の心は荒んでいた。


 他にも、3点や12点などもあった、どれもほぼ空白、先生たちからは説教ではなく、心配された…せめて先生たちには、親より学校での僕を知ってくれている先生たちには、僕の気持ちを理解してほしかった…だが…


 「ちゃんと家でも自習しましょう」


 別に冷たい先生たちでは無い、むしろ今まで出会ってきた先生たちの中で、最も生徒思いで、信頼出来る先生たちだった…だからこそ、勝手に甘えて、勝手に見放された気分になって、勝手に落ち込んだ。


 どの漫画やアニメでも言っていた、教えてくれたはずだ…魔法や異能力でも無い限り、口で言って、言葉にしないと、他人に自分の考えは伝わらないと…。




 夏休みに入って、夏期講習も終えた8月、学校から離れた事でようやく理解した…ああ、学校行きたくないと。


 きっと今の僕は誰も理解してくれない、1人、孤独…誰にも相談は出来なかった…言えば怒られると思ったから。


 高校で月に一度、カウンセラーの方とカウンセリングはしていたのだが、それっぽい事を言っても、僕が何かと遠慮をするおかげで、自分の思いを伝えきれずにいた。


 一応中学の先輩もいた科学部に入っていたので、夏休みに子供たちのための市の会館で科学のイベントに行ったり、オープンキャンパスで大学に行ったり、高校の行事に参加していたが、8月の中頃に入ると、それすらも嫌になり、行かなくなった。


 夏休みはあっという間に過ぎ、夏休みの宿題は1ミリも手を付けなかったまま、9月となった。




 その日、僕は登校を拒んだ。


 当然、怒られた、僕から見た母は、激しく怒り狂って見えた、怖くてたまらなかった。


 同時に失望もした、母がこんなに必死なのは、僕が将来どうなっているかというイメージ図があり、そこから外れようとする僕を何としても引き戻そうとした、自慢の息子にならなくなるのが嫌で仕方ない、と考えてるんじゃないか、と思った。


 どうしても子供を自分の思い通りにしたいんだな、かわいそうな人だな、僕が反抗する事でそんなのは夢幻に過ぎないんだよと教えてあげよう、なんて思い、大声で怒鳴る母に、大声で対抗した。


 その時の事を思い出すと、今でも鮮明に、その際に抱いた感覚を全身で思い出す…




 ───死にたい。


 休み明けは、学生の自殺率が高いとニュースで何度も聞いた、もしかしたらこれが原因なのかもしれない、もしそうなら、そうなのだとしたら…自殺に踏み切った人々の気持ちは、僕はよく分かる。


 ただ僕は、死ぬのが怖いと、同時に強く思い、行動に移す事はしなかった。


 このまま不登校になっても、多分自分はまた死にたくなるかもしれない。

 いじめや体罰など、いわゆる世間様が「仕方ない」と頷けるような理由を携えずに、暗闇を歩くのだと思ったからだ。


 だから次の日は、高校にちゃんと行った、先生たちの説得もあったし、行かないと悪いと思って行った。

 これがそもそもの問題だ、何故なら、僕は行きたくなかったからだ。


 結果、行っても何も感じなかった…先生は、僕が夏休みの宿題をしていないから、気まずくて行けないものだと思っていたのか、宿題は待つ、としか言ってくれず、欲しい言葉は少しもくれなかった。


 その次の日から、高校へは完全に行かなくなった。


 とにかく何もかもが絶望でしかなかった9月だった、学校に行かないなら持ってても意味は無いとスマホは没収、ゲームは没収されなかったが、ゲームはせず、携帯型ゲーム機でネットを見ていた。


 ビートルズの〝レット イット ビー〟など、辛い時に聞いてほしい歌、的なのを延々と聞き、付け焼き刃でも自分を慰めた。高校に行かない僕は、存在する価値は無いみたいな雰囲気の家だったから、イヤホンをしないと心は穏やかにならなかった。


 ずっと「早く死ね」と言われ続けているみたいで、高校へ行っていた頃よりストレスは増した。僕のこうなるかもしれない、という予想はものの見事に的中、当然、だからといっていい気はしなかった。




 9月の中頃、カウンセリングのために高校に行った。カウンセラーの方は、とても良いことを言ってくれたと思うが、覚えていない。そこまで自分に刺さらなかったんだろう。


 同じ頃に、母は先生たちから話を聞いていた…何の話かは今でも知らないが、それから母は急に、僕が高校に行かない事はとやかく言わなくなった。


 そこで先生たちから、こういうのに行ってみないか?と渡されたパンフレットに、これから僕の人生を大きく変える場所のパンフレットがあった。


 〝神の丘学園(かんのおかがくえん)〟、そこは、全国初で、唯一の、公立のフリースクールらしい。


 そこが行っている、一日交流体験、なるものに行ってみないか?という話だった。


 県内から、ひきこもりになったり、不登校になった青少年少女達が集うそこへ、是非とかなり薦めてくれた。


 担任の先生も、過去に受け持ったクラスの生徒が2人、そこへ行ったらしい…信頼出来る先生なので、僕は行ってみることにした。


 この決断は、先生に薦められて仕方なく、ではなく、僕が自分から行ってみたいと心から思ったものだった。


 月に何度か、毎週金曜日に行われているそうなので、10月の中頃で開かれる交流体験に申し込んだ。




 その交流体験に行く前に、もう一度高校へ足を運んだ。3月までは毎月、カウンセリングのために行く事にしていた、交流体験の感想なども言うためだ。


 その日は進路の話は一切せず、カウンセリングの後も、先生たちとは自分の好きなアニメの話で、2時間近く話し込んだ。


 どうやら僕は、好きなものの話になると止まらず、延々と続けてしまう癖があったらしい、今まで知らなかった。


 先生たちはきっと半分も理解は出来ていなかったかもしれないが、真摯に聞いてくれた。

 副主任の先生は途中からさっぱりだったらしいが、アニメに理解のある担任の先生で、本当によかった。


 ストレスは一切感じなかった、当たり前だろう、好きなものに、精神的な負荷がかかっては意味が無いと思っている、ネバーギブアップ精神は皆無なのだし。


 高校に行けなくなってから、この時ほど充実した日はなかった。

 久しぶりに、楽しいという感じに心が満たされた。


 僕はこのおかげで、交流体験にも希望が持てた、いざ行ってみたいとは言ったものの、全くの未知の世界なので、本当に大丈夫なのだろうかと不安でたまらなかった。


 相変わらずスマホは没収状態だが、好きで書いてた小説はPCで書いてたし、勉強の類からは一切解放され、好きな事を好きなだけする期間が続いた。


 こんな日々が、永遠に続けばいいのにと、生まれて初めて思った。


 パンフレットを見る限り、そこは自然豊かな場所で、丘の上に西洋風な建物があり、そこではヒツジやウサギなどの動物も飼育していると書いてあった。


 だが僕は動物は嫌いなのでそこにはそこまで興味は湧かなかった。


 他にも、たくさんの野菜を育てる農園、芝生広場や体育館では多種多様なスポーツも出来、学園内外でのイベントもあり、1年を通じて飽きないだろうな、とは思った。


 ここは学校では無いため授業は無く、先生ではなくスタッフと称し、呼ぶ際は~さんと言う決まりもある。


 そして、ここでは基本、3泊4日の寮生活をするとのこと。


 その辺りはまだ考えていなかったので、とにかく交流体験をわくわくして日々を過ごした僕でした。




 そして10月中頃、僕は不登校となって初めて、行った事の無い場所へと赴いた。

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