わか子だった~平成~
わか子の日常を描いたギャグエッセイです。
読んでくださった方がクスッとなったり、面白いと思ってくれたら嬉しいなという気持ちを込めて書きました。
はじめまして、わか子と言います。昭和57年生まれの36歳、事務の仕事をしています。顔が輪っかみたいに丸いので「わか子」です。
今年は「令和元年」を迎えましたね。新しい時代に期待で胸を膨らませたり、「平成」の終わりにほんの少し切なさを感じたり。
なんだか例年より過去を思い返す事が多いのです。
皆さんはどうでしょう?
平成31年間、多くの人と同様「平凡」に生きてきました。
思い起こせば、平凡でありながら特別だったあの日々...な~んてしんみりする位なら、何度でも思い出して笑いましょ!
という訳で「平成わか子年表」を書きました。色んな人が色んな平成を過ごされたと思いますが、わか子はこんな感じです。皆さんとどれだけ想い出が重なるかな? 一緒に楽しんで頂ければ嬉しいです。
平成以前、昭和。わか子はわんぱくな女の子。2つ下の妹がいる。東京都にある多摩動物公園のライオンバスが大好き。
ライオンバスとは、肉をぶら下げながらライオン舎内を巡る素敵なバス。車内から肉に喰らいつくライオン達の見学が出来て大興奮間違いなし!得意技は「迷子」。
平成元年、小学1年生。弟が生まれる。将来の夢は、ドラえもんとDr.スランプ アラレちゃんの影響により「科学者」。
平成2年、「ちびまる子ちゃん」放送開始。
昭和時代を描いたアニメだったけれど平成時代のわか子にメガフィット!!
ありとあらゆる所作が、姉妹でまる子化。ピーヒャラ歌い、二言目には「あたしゃもう、疲れたよ」。他にもスカートの色、駄々のこね方、姉妹喧嘩の模様、生き物係だってまる子と同じ。
今でもわか子の中にまる子がいる。そんな作品との出会い。
将来の夢はなぜか「肉屋」に。
平成3年、小学生と言えば夏休み。夏休みと言えば「自由研究」。
わか子は自由研究の「ロボ美ちゃん(牛乳パック製)」を製作に明け暮れていた。ロボ美ちゃんは全長60センチ程にもなる、小学生にとっては大型のロボットだ。そして頭部は貯金箱、銅部はティッシュケース、足はゴミ入れ(左右で分別可)と超便利。
二足立ちを保つのには苦戦した。中々上手くいかず何日間も唸ったり悩んだりしたが、上半身の軽量化と、つま先と踵に粘土を詰める事で重心を安定し何とか完成。記憶にはないが、親が手伝ってくれたのだと思う。
二足立ちに成功したロボ美ちゃんはわか子にとって大変誇らしく、アラレちゃんを完成させた則巻千兵衛になったかの様な気分になり、こう確信した。
「この渾身の発明品でクラスの人気者間違いなし‼‼‼」
そして意気揚々と登校した新学期であったが、クラスメイトの反応は予想に反して冷たいものであった。
「なにこれ?ロボット?ふーん。」
傷つくわか子。
先生なんか、困ってた。自由研究の作品は暫くの間、教室の後ろのランドセル置き場の上に展示される。しかしロボ美は大きすぎてコルクボードの一部を隠してしまうので置き場に困り、わざわざ低めの机を持ってきて、一番隅っこにそっと立て掛けられた。
その上、ロボ美は自身の重さに耐えられなくなっていき、日毎にバランスを崩して傾いていく。ロボ美の傾きを直す度に、心も傾いていくのだった。
自由研究作品を持ち帰る日、わか子は放課後そそくさとロボ美を抱きかかえて教室を飛び出した。そして新学期初日の登校時の自分を思い出しつつ、勝手に浮かんでくる涙を堪えながら帰路に着いたのだった。
平成4年、わか子は中学受験組。そして勉強と遊びの間で葛藤する反抗期。
学校では交換日記ならぬ交換漫画が流行り、わか子は一話完結のギャグ漫画「おやじき らい子ちゃん」を生みだした。
内容は、主人公「らい子ちゃん」と仲間達が愉快に暴れるお話だ。
髪を自在に伸ばせるバーコード親父を火山口に投げ飛ばしたり、ビル屋上から親父めがけて煉瓦を落とす「親父狩り」をしたり、親父顔の人面毛虫を踏み潰したり。子供って残酷だよね。
なぜ色んな親父が描けるのかって?
歴史の教科書の偉人達のおかげです。
全ての偉人に鼻毛増し増し。
そしてこの漫画、小学生ならではの容赦ない発想と3等身イラストで、予想外の大評判となりA4ノート7冊の長期連載となる。今でも家族の昔話ネタとして話題に上がるのだが、この時父は必ず黙って俯いている。
平成5年、「ジュラシックパーク」公開。
母に連れられたのは定員1000席規模の大きな映画館。横いっぱいに広がる大きなスクリーンの中で生き生きと暴れまわる太古の恐竜達に、妹は震え弟は泣いていた。そしてわか子も感動に震え涙を流していた。
素晴らしいのは恐竜達だけではない。近い未来に現実となるだろう科学技術、生命の逞しさに胸を打たれたのだ。将来の夢は「考古学者」。
平成6年、妹の誕生日に桜文鳥の雛がやってくる。
まるちゃんが飼いたがっていた話があったので、妹も欲しくなったのだろう。
実際に文鳥の雛は最高に可愛かった。そして恐竜の子孫。頼まれてもないのにお世話をしまくり、妹が修学旅行に行く時に強引に鳥籠を預かったきり返さなかった。
親に何度説得されても脈絡なしに「同情するなら鳥をくれ!」と叫び押し切った。
桜文鳥は7年間、わか子が在宅中は屋内放し飼い状態だった為、行きたい部屋のドアノブに留まっては鳴きまくりドアを開けて貰う。そして好きな部屋で過ごすという贅沢な生活をしていた。
桜文鳥が一番好きだったのは結局、妹の肩。
平成7年、中高一貫の女子校へ入学。放課後は図書館で過ごす物静かな乙女に...な訳はなく、フルカラーの動物図鑑を読みふけるオタ女に。(オタク女と書いてオタメと読みます。)好きな科目は「生物」。
平成8年、安室奈美恵がアムラー旋風を巻き起こす!
放課後、クラスメイトはルーズソックスに履き替えて渋谷にGO!電車でGO!
わか子はギャルに憧れてルーズソックスを買うも、部屋の中でしか履けない地味なニキビメガネになっていた。
平成11年、「1999年7の月に恐怖の大王が来るだろう」。
ノストラダムスの大予言の特集が巷で溢れ、くだらないことにわか子は本気で脅えていた。
大王が現れたら自分は死んでしまうのか?
勉強のふりしてコソコソ書いていたお絵描きノートが見つかってしまうのか?
イラストは鼻毛親父から、妄想たっぷりの魔法が使えちゃうヒロインに変わっており、とても人に見せられない。不安と恐怖に追い込まれたわか子は遂に、予言日より前にノート一式を捨ててしまう。そしてその中には「おやじき らい子ちゃん」も含まれていた。
しかし大予言は当たらない。
大切だったはずの「おやじき らい子ちゃん」、何で捨ててしまったのだろう。
今でも後悔している。
平成11年8の月以後、「モーニング娘。」が大ブームとなる。
大予言に振り回され落ち込んだわか子を元気にしたのは、めちゃくちゃ可愛いアイドル達だった。弾ける笑顔と明るい歌。なにこれすっごいかわいい!!
わか子は、皆が寝静まった頃にテレビの前に現れ、夜な夜な「モー娘。」を見ながらヘンテコダンスを踊るパジャマ怪人と化す。
ところが、コソコソ活動していたつもりがドスドス響いていた様で、度々父が何事かと居間にやってきた。その度に華麗な動きでササッとソファーに腰かけビデオを消し、汗だくで涼しげな顔をしていたが、今考えるとバレバレだったと思われる。
後日談だが、パジャマ怪人は度々目撃されてしまい夜中は大人しくせざるをえず、「ポッキーポッキーポッキー♪でぇとほっぽりだしてポッキッキッキ~♪」と叫びながらポッキーを食べまくるスタイルに変更となった。あ、叫んでいたのは心の中なのでご心配なく。
将来の夢は「獣医」。
平成13年、受験に失敗し、浪人生へ。勉強していなかったから...。
自分に甘いわか子は、夢の代わりに学歴コンプレックスを手に入れた。
平成14年、大学で生物系の学部を専攻。獣医学部...ではない。
動物学者もいいな。しかし考えはここでも甘い。動植物生態学系の先生方の研究は、想像よりタフさが必要だった。統計ありき、現地調査が基本のキ。一にコツコツ2にコツコツ、34が講義で5にコツコツ。これはしんどいぞ!
しかし研究について語る先生方の目はいつもキラキラしていた。天職とは、こういう事なのかな。
平成16年、わか子はタフの壁を越えられず、無難に成績の良かった研究室に所属する。卒業論文テーマはある生物の染色体とDNAの研究。ジュラシックパークの遺伝子実験みたいでカッコいいでしょ?と言うのは大きな見栄で、研究の為に解剖を繰り返さねばならず、時々夢でうなされた。何かの専門になるという事は、犠牲を受け止める心構えがいる事を学ぶ。
因みに、研究には「手先の器用さ」という素質が極めて重要だった。わか子はサンプルが上手く採れず、実験のやり直しもしばしばあってそれがまた大変だったのだが、アクセサリー作りが趣味の友人は難しい実験も得意で羨ましく感じていた。
しかし受験で痛い目を見ているわか子。根性で研究結果を出し、何とか学会でポスター発表参加させて貰った。だが大雑把なわか子に研究職は向いていない。今更、小さい頃から手先をつかう癖付けていればよかったと後悔しても遅いのだ。
就職直前、将来の夢は「分からない」。
平成18年、メーカーに入社。職種は販売職。子供の頃言ってた将来の夢って何だっけ?夢見てた仕事と違うけど、社員として与えられた仕事を頑張るよ。何とか見つける「やりがい」と「責任感」。「結果」も出せばいいんでしょ。いつの間にか、何となく流されていたが、周りの人も同じだった。
夢は「あやふや」、趣味は「自分磨き」。何かとスイーツ&カフェを巡り、年1回は海外旅行。時には美術館や博物館でうんうん分かったように頷いてみたり。流され迷子。
平成20年、営業職への希望が通る。仕事は一生懸命だったが、色々挑戦して失敗するタイプだった。上司への進言も常日頃だったが、ある日遂に怒鳴られる。
「そんなに言うなら自分が社長になってから言え!」
これもある意味リーマン・ショック?
平成22年、わか子もアラサー。周りが「結婚したい!」と焦りだす。わか子も同調して焦りだす。その上、料理教室へ通いだす。夜な夜な合コンへ繰り出し自己紹介で「お料理教室に通ってます☆」。
理想の人なんていないのかしら。そんな諦めを感じていた頃、一人の男性と出会い、わか子の脳内に雷が落ちた。「この人だ!」。
合コン恒例の女子トイレ品評会で、幹事に「大当たり大当たり!」と感謝の気持ちを述べ、ごり押しアタック交際スタート。
ここで生まれる一寸先の夢、「結婚!」。
余談だが、わか子の言う「お料理教室通ってます☆」の後には「お料理全然できないからです☆」という下の句が続く。言ったことないけどね。
平成23年、仕事も交際も順調だったが一つ問題があった。なんと彼は歴史好きの文系だった。どうやら生物への興味は全く無いらしい。
旅行先は海外から国内へ、観光場所は自然公園から文化遺産へ。旅先でわか子が目にしたものは、懐かしの......鼻毛の生えていない歴史の偉人達であった。こんな形で再会するとは。
平成24年、財形貯蓄がそこそこ貯まっていた30歳、派手婚をする。
この時わか子は人生最高潮に舞い上がり、完成直後のスカイツリーを飛び越えた。
平成26年、わか子夫妻は子供なし。両家の親から、夫が席をはずしている隙に文句を言われる様になる。
べ、別に、気にしてなんかいないんだからね!!
平成29年、ある日父から頼み事を受ける。
「弟が折角会社に入ったのに、喧嘩になって出て行ってしまった。戻ってくる様、説得してくれ」。
わか子は「町工場の娘」であった。弟の意思も聞いていたわか子は説得を試みる。
弟ではなく夫に。
平成30年、夫と共に町工場で働きたいと申し出る。仰天する父。だが認めてくれた。有り難いことに職場の方達も同様だった。
新生活は毎日が慌ただしく、課題は山積みだが前向きだ。(というか、前向きにやらざるを得ない)
「やりがい」と「責任感」は勝手に沸いてくる。言いたい事も言えるよ。(というか、言わないといけないし解決しないといけない)
わか子は今、大学の先生方と同じ目をしている。(と思う事にしている)
素敵な出会いもあった。6月頃、自転車走行中に鴉のつがいが頭上後方から羽をかすめて飛んでくるという威嚇を受けたのだ。どうやら近くに巣と雛が居たらしい。生まれて初めて野生生物に絡まれた。しかも恐竜の子孫に。
嬉しさのあまり興奮が収まらず、鴉の営巣ルートを毎日通り、悦んで威嚇を受けたり、図書館で鴉の生態について調べたり、色々あって挨拶する程度の顔見知りとなった。長くなるので詳細は割愛。
平成31年、令和元年。わか子はいくつかの夢を持っている。
「科学に携わり、恐竜の子孫を観察し、エッセイを執筆をしていくこと」
改めて平成を振り返る。わか子の夢は変わったかな?
不思議なもので、一周回って変わってない。
夢は期待で胸がいっぱいですか?
いいえ不安が9割です。でも「不安」の無い夢は、夢とは言わないのでしょう。
平成わか子は31年間で失敗も成功も学びました。
これからの令和時代、迷子になる時も失敗する時も「平成わか子」と寄り添って乗り越えていくことを誓います。皆さんも一緒にどうですか?目指せメガフィット!!
「わか子だった~平成~」を読んでくださりありがとうございます。
少しでも笑っていただけたら幸いです。笑うって大切です。
初投稿の為、未熟な点も多々ありますが、エッセイに挑戦したくて投稿に踏み切りました。
きっかけは、昨年のさくらももこさんのご逝去の報を知ったことでした。
私はさくらももこさんの作品が面白くて大好きで、沢山の影響を受けた子供時代を過ごしました。
彼女の影響を受けた内の一人が、彼女の足元に及ばないと分かっていても、彼女と同じように「誰かに笑って貰いたい」という想いを持ってエッセイを書いたんだよ、と伝えたかったのです。
子供の頃、ちびまる子ちゃんの真似事ばかりしていました。本作品だって自分らしさを出したいと思いつつもレベルの低い真似事です。
エッセイのコンセプトすら絞れず、31年分一通り書いてしまったのですから。
次回からはもっと的を絞って書く事に挑戦したいと思っています。
あとがきを最後まで読んでいただき、ありがとうございました。