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二階を素通りし、一階まで階段を駆け下りて。そして昇降口の方へ向かう――かと思いきや、ハリーはまるで別方向に向けて廊下を駆け出した。
彼に手を引かれるまま、和葉が彼と共に辿り着いたのは旧校舎一階の端にある物理室だった。
「どうして、こんな所へ?」後ろ手に物理室の引き戸を閉めながら、肩で息をしつつ和葉が問いかける。
「表は確実に抑えられてると見て良いだろう。それに、裏に回るならこっちの方が近道だ」
ハリーはそう言いながら、一番奥の窓の鍵を開く。
「ほんと、今日はあんまりよ。完全に厄日だわ……」
扉に寄りかかったまま、ずるずると床にぺたんと尻餅を突き。そうしながら、和葉が小さな溜息をついた。
「……ハリー?」
すると、和葉が唐突に神妙な顔で呼びかける。「なんだ?」と振り向かないままでハリーが訊き返せば、
「誰か、近づいてる……。急いだ方が良いかも」
と、深刻な顔で言った和葉が扉の傍を離れようとした時だった。
――――突然、ギィィィンという高音と共に、扉が向こう側から喰い破られたのは。
「きゃぁっ!?!?」
頭上で火花と共に飛び出してきた謎の鉄板に、思わず和葉が悲鳴と共にそこから飛び退く。
「チェーンソー……!?」
突然の高音と和葉の悲鳴に反応したハリーが振り返れば、和葉が見たその鉄板――――まるで扉を突き刺すように飛び出したそれは、紛れもなくチェーンソーの類だった。よく耳を凝らせばチェーンソーのエンジン音も聞こえるし、扉の向こうに物凄く大きな人影が立っているのが見える。
「離れろ、和葉っ! 早くこっちへ来い、来るんだ!!」
「う、うんっ!」
焦燥するハリーの叫びに、和葉が覚束ない足取りながら必死に彼の方へと駆け出してくる。ハリーはQBZ-97を肩付けで構え、躊躇無く扉の向こうへ向けて撃ちまくった。
しかし、ハリーの応戦虚しくチェーンソーの動きが止まることなく。そのまま扉は切り裂かれてしまい、崩れ落ちた扉の向こうから現れたのは、とても人間とは思えないほどの姿をした敵だった。
「おいおい……」
最後の弾倉へと交換しながら、その敵の姿を見てハリーが冷や汗を掻く。
現れた敵――――チェーンソー男は、190センチ以上ある巨体を物凄く分厚い防護服で覆っていた。頭には全体を覆うヘルメットを着けていて人相は分からず、風貌はそれこそ爆弾処理班の耐爆スーツかと思うほど。加えて、確かに扉を貫通したはずの5.56mm弾を三十発喰らってもピンピンしている辺り、あの分厚い防護服は全体が強力な防弾装備なのだろうとハリーは推測した。
恐らくは、ケブラーなどの特殊な防弾化学繊維と、セラミックなどのトラウマ・プレート、そして衝撃吸収用のトラウマ・パッドなどが組み合わされている。5.56mm弾をアレだけ喰らって平気な顔をしている辺り、トラウマ・プレートの厚みもかなりある。
「……びっくり人間の展示会でもあったのか? こんなことなら、.50口径持ってくるんだった」
口先ではそんな軽口を叩きながら、しかしハリーの表情はかなり苦い。
「和葉、そこらに離れてろ!」
「う、うん……!」
和葉を物理室の隅へ逃がしつつ、じりじりとにじり寄ってくるチェーンソー男とハリーが相対する。
先に仕掛けたのは、ハリーの方だった。物理室の大きな机を飛び越えながら、チェーンソー男の背後へ回り込むようにしつつQBZ-97を撃つ。
だが、効果は無いに等しかった。関節部分なんかの構造上弱いところを狙ったはずなのに、撃ち放った5.56mm弾は一発たりとて貫通しない。
「どんだけ分厚く着込んでんだ、エスキモーかお前は……!?」
焦燥しながら、ハリーは奴の背後へと回り込む。そして尚もQBZ-97を連射するが……。
「っ……!?」
――――チェーンソー男が、その鈍重な見た目からは想像できないほどの俊敏さでハリーの方に振り向く。
振るわれるチェーンソーに本能的な危機感を感じ、ハリーは咄嗟に飛び退いた。QBZ-97を両手で横倒しに握り締め、盾にするかのように。
しかし、チェーンソー男の動きの方が一段速かった。ハリーは致命傷を喰らうことこそ免れたが、盾にしていたQBZ-97を掠めたチェーンソーの回転する鋸にスパッと真ん中から両断されてしまう。
「畜生っ!」
これでは、使いものにならない。ハリーは真っ二つになったQBZ-97を投げ捨てながら尚も大きく飛び退き、奴から距離を取る。
「コイツを倒すにゃ、冗談じゃなくマジで.50口径の対物ライフルが要る……!」
無意識の内に口に出ていたそんな独り言は、紛れもなくハリーの本心だった。
こんな奴が相手では、残っている拳銃三挺も役には立たないだろう。9mmパラベラムみたいな豆鉄砲でどうにか出来る相手じゃないことは、今までの手合わせで既に分かっていることだ。手榴弾も同様に恐らくは役立たずな上、こんな閉所で起爆すれば自分や和葉にまで危険が及ぶかも知れない。
ともすれば、奴は素手で相手をするしかないのだ。下手に銃を使うより、まだ勝算はある。
「なんてこった……」
小さく溜息をつきながら、ハリーは左手でとっておきのナイフを展開し、逆手に握り締めた。ベンチメイド・9050AFO。どんな窮地も、これ一本で凌ぎきってきた。最後に命を託すなら、やはりこのナイフがいい。
逆手にナイフを握り締めた格好で構えを取るハリーと、手に持つ巨大な回転鋸を唸らせる巨大なチェーンソー男が睨み合い、じりじりとその距離を詰め合う。
「――――!」
今度は、チェーンソー男の方から仕掛けて来た。振り上げたチェーンソーを縦一文字に振り下ろし、ハリーの身体を文字通り両断しようとする。
ハリーはそれを俊敏なサイドステップで回避し、一気にチェーンソー男の懐に潜り込めば、その肘関節を破壊しようと試みた。どうせ刃が通らないのは分かっているから、左手のナイフは関節を極める補助具に徹させる。
男の右手首をナイフの峰で押さえ付けながら、右手で肘に強烈な一撃を叩き込む。取った、とハリーは確信した。
「嘘だろ……!?」
しかし、男の関節は砕けない。分厚い防弾装備が、ハリーの得意とする関節破壊を妨害していたのだ。
「やべ……っ!」
一瞬の動揺を突かれ、ハリーがチェーンソー男の左腕に思い切り吹き飛ばされる。大きく吹っ飛んだハリーの身体は実験器具の収まる棚に背中から激突し、尻餅を突いて項垂れるハリーへ、壊れた棚から大量の実験器具が降り注ぐ。割れたガラスの雨がハリーの身体に降り注ぎ、そして床に散らばる。
背中を強打した衝撃で、ハリーの意識が一瞬だけ薄れていく……。




