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「はっはっは。ご老公様は大げさでござる。いくら数が多かろうと所詮ゾンビはゾンビ。町方の者にでもまかせておけばよろしいではないですか」


 開府から八十有余年、すでにご政道は腐り果てていた。重役たちは保身と蓄財に余念がなく、ただ心を持たぬ官僚機構のみが、南蛮のからくり時計のように事態を処理してゆく。


「旗本八万騎はどうしたのでござる!譜代の皆様方も、有事への備えは怠らぬようにとの、神君さまのご遺訓ではござらぬのか!」


 光圀の怒声は今回も空しく響くばかりであった。


「いやいやいや、この美作守感服つかまつりましてござりまする。さすがは天下の水戸さま!これは心せねばなりませぬのう」


 まったく話にならぬ老中どもの背後に、目を光らせる一人の男がいた。切れ者として知られる側用人、柳沢吉保である。


「ご老公様。お話が」 


 肩を落として退出する光圀にとって、廊下で待ち構えていた吉保に声をかけられたのは予想外のことであった。吉保といえば事務方のトップであり、いわば官僚たちの親玉なのだ。光圀のような武断派とは水と油と言ってよい。


「何じゃ。労働ゾンビとて目こぼしはせんぞ」


すげなく扱う光圀の耳に、吉保は驚くべきことを告げた。


「八王子同心と火消しどもに用意をさせてございます。ご老公さまの与力として、存分にお使いください」


 大所領持ちの役付きとは違い、テクノクラートたちは事態の深刻さをある程度正確に把握していたのである。自己保存の機能は、硬直化した組織においてもかろうじて生きていた。


 これは光圀にとっては船を夜っぴて急がせた甲斐もあったというものだった。一万人程度のゾンビであるなら、それだけいれば対処できるだろう。


 こうなるとまずは介さんの仕事である。既存の組織編成にあまり手を加えず、スムーズな意思疎通を可能とする命令系統を確立せねばならない。それと平行して、戦略兵器と言える光圀の印籠の威力を最大限生かすために、玉川を防衛ラインとした遅滞戦術を、泥縄でもよいので実行する必要があった。


「まずは同心を急行させます。近場なので補給もなんとかなるでしょう。河原に足場を組みますので、高い位置から印籠を用いれば相当削れるはずです」


 残敵掃討の際には白兵戦の楽しみもあろうという目論見が光圀を笑ませる。

 

 九兵衛は木場の親分衆に話をつけに行き、介さんとお吟は予備兵力である火消したちと共に江戸に残った。光圀は賀来さんをお供に玉川に向かう。


「この期に及んで飛び道具が使えないというのは何とも痛い。火縄銃か、せめて弓があればな」


 同心たちは水際での戦いを優位に進めてはいたが、使用を許された武器は槍が限界であり、極めて効率の悪い処理を強いられていた。


 賀来さんが近在の若い衆に命じて作らせた足場が一基完成したようだった。


「ご老公。まずは軽く一当て参りましょう」


 うながされた光圀がハシゴを登ると、対岸は見渡す限りの亡者だった。


「喝!」


 口上を省略し、手早く印籠の力を解放すると、きれいな扇形の有効射程がゾンビの群れをくり抜いた。


 あとはこれを繰り返せばよかった。同心たちは歓声を挙げている。


「賀来さん、馬にわしの得物、あるんじゃろ」


「介さんには内緒ですよ」


 葵の御紋の入った斧を受け取った光圀は、まるで子供のように駆けだしていく。


「印籠にパワーが溜まるまでには帰ってきてくださいよ!」


「わかっておるわ!わしを誰だとおもっておるのだ!」


こういう光圀が賀来さんは好きであった。


 ご老公がちょうど20体目のゾンビの頭蓋を割るのを見物していた賀来さんは、矢七が側に来ているのに気付かなかった。


「お伝えしたいことが……」


 賀来さんはこの密偵があまり好きではない。伊賀者なのかなんなのか、前歴も明かさぬ得体の知れない忍者には不穏なものをいつも感じている。


「申せ。ご老公をわずらわせるなよ」


「甲州街道、日光街道、中山道からもゾンビどもが押し寄せてきております。火消しどもでは到底……」


「数は」


「見当もつきませぬが、同心のいない八王子がまず抜かれ、甲州街道はひどいありさまで……」


 作戦は破綻した。近隣の諸藩が動くまでは、おそらく江戸城か寛永寺での籠城戦となるだろう。光圀と印籠だけは守らなくてはならない。


「矢七、ご老公の先駆けをせい」


 大将を後ろに下がらせれば同心どももまともに働くまいが、この場は自分が受け持つしかないと賀来さんは覚悟を決める。ここが死に場所かもしれなかった。


 光圀もすぐに状況を理解し、顔色一つ変えずに馬に乗った。そして一度だけ賀来さんの方を振り返り、愛用の斧を渡し、去った。

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