夕暮れ亭
日がすっかり暮れる頃。
ようやくルシカの町に帰ってきた俺たちは、早速宿屋に向かった。
始まりの町ということで、レベルが高い冒険者や大商人が泊まるような高級宿屋は存在しない。それでも小奇麗な宿屋は何件か見つけた。。
「アリス、この宿で大丈夫か?」
屋号は【夕暮れ亭】料理も上手く、値段も良心的だと評判がいいらしい。魔物狩りに行く前、事前の聞き込みにより判明している。
「ふーん。中々良さそうね」
色々あったが、最終的に目標の十倍のお金を手に入れたアリスはご機嫌だ。扉を開けると、正面中央の奥まったカウンターが目につく。さらにその奥に厨房。残りのスペースは食堂らしい。
俺たちはカウンターに向かい、厨房の従業員にあれこれ指示しているおじさんに話しかけた。
「すいません。一泊お願いします」
すると、おじさんは申し訳なさそうな顔をしながら言った。
「旅の人すみません。あいにく今日は混んでおりまして、一部屋しか空いてないのですが……」
一部屋しか空いていないのは予想外だが、そういうことなら仕様がない。アリスは【夕暮れ亭】に泊まってもらい、俺は他の宿屋を探すしかないな。
「じゃあ――――」
「構いません。二人で泊まるので」
俺の言葉を遮ると、アリスがこともなげに言った。えっ? この子何言っているの? 馬鹿なの? 死ぬの?
「ご夫婦でしたか。それは大変失礼いたしました。奥様があまりにもお美しいので、お連れの方はお供のかたと勘違いしておりました」
フム。
それは俺に対して大変失礼ではないのか?
「ええ、皆さん良く勘違いされますわ」
『フフフッ』と笑いながら、アリスは平然と嘘をつく。
「では夕食を準備いたしますので少々お待ちください」
そう言うと、おじさんは厨房に向かって大声で『二名追加』と伝えた。俺たちは空いているテーブルに座るとアリスに真意を聞いてみた。
「おい、一体どういうことなんだ?」
「どうもこうもないわよ。お互いが部屋を借りたら単純に料金が二倍でしょう? 今日はたまたま稼ぎが多かった。それでも十日程でしょう? 節約しないとすぐに泣きを見るわよ」
どうやらこの天使は、しっかりとした経済観念をお持ちのようだ。
「まぁ……でも一緒の部屋はいいとしても、ベッドも一つしかないんだぜ?」
「良介が床で寝ればいいじゃない」
こいつ……よし決めた。不可視している翼の羽を全て毟ってやろう。
「冗談よ。別に一緒に寝ればいいじゃない?」
『スピィィィ!』
「鼻から息が漏れているわよ……あっ! ひょっとしてチェリッ子だから、一緒に寝るだけでも緊張する?」
こいつ、ニヤニヤと小馬鹿にしたように俺を見やがって。
「フッ、アリスさんよ。どうやらお前さんは一つ考え違いをしているな」
「……聞いてあげるから言ってみなさい」
「確かに俺はチェリッ子だ。だがそんじょそこらのチェリッ子とはレベルが違う。いいか? おそらく普通のチェリッ子は、女が隣に寝ていたら、その状態に筋肉は硬直し、頭の中は真っ白、一睡もできず、悶々としながら朝を迎えるであろう」
「ふーん。それで?」
「だが俺は違う! たとえ知らない女であろうとも、体は常にリラックス。頭の中は超クール。何なら知らない女なのに、そっと腕まくらをしてしまう。そして、目覚めの朝はやさしい微笑で『おはよう。昨日はよく眠れた?』と爽やかに言ってやる自身がある!」
ふふん。アリスもこれでちょっとは俺のことを見直すだろう。
「ふーん。それはそれで気持ち悪いわね」
「ぐはっ!」
そんな下らない会話をしていると、料理が次々と運ばれてきた。料理の味は評判通りでどれも美味しい。アリスを見ると、凄まじい速さで口の中に料理が放り込まれ、あっという間に完食してしまった。
見ると、俺の料理も半分ほど消えている。こいつ……一体、何と戦っているんだ?
「結構美味しかったわね」
食後の紅茶を優雅に飲みながら微笑むアリス。どうやら、天使の味覚は人間と変わらないらしい。
「そういえば、今日スライムを倒したけれど俺のレベルは上がってないのか?」
「あっ! そうそう、すっかり渡すの忘れていたわ」
アリスはペロッと舌を出すと、懐から銅色のカードを取り出し、ポイッと俺に放り投げた。
「何これ?」
「良介が魔物狩りに行く前に宿屋の情報収集をしていたでしょう? その間に私はギルド商会に行ってあんたの冒険者カードを作っておいたのよ」
「そりゃどうも……」
渡されたカードを見ると、右上に俺の名前が刻印され、左上を見ると大きくレベル四との記載がある。
「えっ! 俺こんなにレベルが上がっているの?」
「まぁ、ゲームと一緒よ。最初は上がりやすいでしょう? 今回は大物も仕留めているしね。レベルが上がればカードが震えて知らせてくれる仕組みだから、懐にでも入れておきなさい」
「携帯のバイブ機能みたいなものか」
機械でもないのにどういう原理だ。魔法がかかっているのだろうか。
「それと、今渡したのは銅色のカードだけど、レベルが10上がるごとに銀、金、プラチナとカードのランクも上がっていくわ」
「それっていいことでもあるのか?」
「もちろんあるわ! ランクが上がれば宿屋が優待価格で泊まれるし、武器、防具等も割引で買えるわよ。ほかにも色々とメリットはあるわ。だから早くレベルアップしてね! ウフッ」
「へーい、了解」
「最後にカードは失くさないようにね。死んだら身分証明書の変わりだから」
……最後になんて不吉なことを言いやがるんだ。
夕食を食べ終えた俺たちは、明日に備え早々と部屋に引き上げた。部屋の鍵を使い扉を開けると、中は思っていたよりも広かった。およそ八畳くらいだろうか。部屋の端にベッドが有り、向かい側に衣装ダンス。隣に文机が置いてある。
「じゃあ先に寝るわよ」
そう言うと、アリスは早くもベッドにもぐりこんだ。
「えっ! 着替えないの?」
「何言っているの? 着替えなんてどこにあるのよ」
確かにそれはそうだが……。
「それにね、私の着ている服はこれでも最高神の加護がかかっているの。だから汚れ等は一切付着しないし、魔物から多少の攻撃を受けても跳ね返すわ」
そりゃまた便利な服をお持ちで……。
俺は上着とマントを脱ぎ、衣装ダンスに入れる。剣は適当な場所に立てかけた。
「それでは失礼しまーーす」
俺は臆することなく、半分空いているベッドに体を滑らせる。無論、お互いに背を向けている状態だ。
「……念のため言っておくけど」
「へいへい。エロ行為に走ったら滅殺ですよね?」
「ウフッ、わかっていればよろしい」
そう言うと、それから五分も立たないうちにアリスの寝息が聞こえてくる。寝つきいいなー。しかし、食事の席で大見得を切ったが正直なところ、自分でもどのような心理状態になるのかわからなかった。実際一緒に寝てみれば、何の感情も抱かない。所詮、女と一緒に寝たところでどうってことなかったな。俺は自分の考えが間違っていないことに安堵する。
「さて、明日も忙しいだろうから俺も早く寝よ」
独り言をつぶやき、本格的に寝に入ろうとした瞬間、ハッと気づいてしまった。女は女でも天使じゃん! 気づいてしまったら最早手遅れ。だんだんと緊張による嫌な汗が出てくる。ただの寝息のはずなのに、甘い吐息に感じてしまう。
そしてこともあろうに、甘い良い香りが漂ってくることに気づいてしまった。
何てことだ。ちょっと考えればすぐ分かることのはずなのに。俺はギリギリと歯噛みをする。世界中のどんな男だろうと、天使と同じベッドで寝るイベントなど発生するはずもない。まして、中身に難ありだが外見はまさしく完璧超人。
「おのれアリス、俺を謀ったな!」
だが、俺が何らかのアクションを起こせば、おそらく今日を生きる資格を無くすだろう。しかし、この状況ではいつまでたっても眠れない……仕方ない。古来より伝えられる伝説の魔法を唱えるか。
俺は頭の中で羊が一匹、羊が二匹……と、唱え始めた。
そして空が白み始める頃。俺の羊が5千匹を超えたあたりでようやく意識が途絶えた。