異世界
「良介、起きてよ!」
気がつくと、アリスは俺の体をガクガク揺さぶりながら、容赦なく頬を往復ビンタしていた。
「アリス! 痛い! 止めろ! 止めっ! 止めろって言ってんだろ! 泣かすぞ!!」
「だって良介が転移の影響で気絶したから起こしてあげたんじゃない」
ったく。起こしかたってものがあるだろう。ジンジンする頬をさすりながら周囲を見渡す。すると、遠くにうっすらと町らしきものが見えた。
「とりあえず、遠くに見えているあの町を目指すんだろ?」
「その通りよ。でも良介は異世界に来たのにあんまり騒がないのね」
「まぁ、こういう風景はある意味アニメで見慣れているからな」
町を目指しなら歩いていると、騎士風の男からローブを羽織った魔法使い風の女等、色々な人間とすれ違う。どうやら地球に住む人間と外見は変わりはないようだ。だが、少し気がかりなことがある。
「なぁ、さっきからすれ違いざまに俺を見ている奴が多いんだけど?」
そんな俺の言葉に、アリスはさも当然のように俺を指さすと。
「そりゃそうよ。良介の服装を見れば当然でしょう」
アリスに指摘され自分の恰好を確認すると……ごく普通のビジネススーツだった。なるほど。確かに異世界ファンタジーにビジネススーツはないわ。
アリスに関しては白と紺を基調とした丈の短いビスチェ風ドレスだから、異世界でも特に違和感はない。が、それよりも……。
「どうしたの? 私に見とれているの?」
「アホか! ……アリス、背中の翼はどうした?」
白い扉に入る前『どう? これが自慢の私の翼よ!』と言わんばかりに広げていた翼が、今やどこにも見当たらない。
「そうね、これから色々案内するけれど先に教えておくわ」
「お願いしゃす!」
「この世界では地球とは違い、天使は実在するものとして認識されている。そんな私が神々しい翼を見せてごらんなさい。あっという間に握手攻め、サイン攻めに襲われるでしょう? だから、わざわざ不可視の魔法を使って翼を見えなくしているのよ」
アリスはここぞとばかりにドヤ顔で語った。しかし、天使であれば普通、畏怖の念を抱かせたり、敬われる対象であるはずだが。
握手攻めやサイン攻めって……アイドルかよ。まぁ、本人が納得しているなら、あえて大人として黙っていよう。
「さて良介。では初めに異世界ツアーの最終目的を伝えます」
「へっ? そんなものがあるの?」
驚く俺を尻目に、アリスは呆れたように言った。
「当たり前でしょう? 観光に来たとでも思っているの?」
「いや、だって異世界ツアーって……」
「はぁー。これだから素人童貞は」
「いっとくが、玄人童貞でもないぞ!」
「まぁ、何でもいいわ。」
俺をゴミのような目で見るアリス。いい加減、天使であってもグーで殴っていい頃合いではなかろうか。
「いい? しっかり聞いてね。私たちの最終目的は……パンパカパーン! なんと魔王を倒す事でしたーー。ウフッ」
アリスは無邪気な笑顔で、わけのわからないことを言いだしやがった。何が『パンパカパーン!』だ。無駄に効果音つけてんじゃねえよ。
「おい!」
「何よ!」
「百歩譲ってこの異世界ファンタジー。魔王の一人や二人いても不思議ではなかろう」
「魔王なんて一人しかいないわよ」
「黙って最後まで聞け! ……何で俺が魔王を倒さなければいけない? 理由を教えろ」
意味もなく魔王とバトルさせられてたまるか!
「もう……ほんとに困ったりょうすけちゃんでちゅねぇー」
まるで子供をあやすかのような目で見るアリスに、己の中に殺意の波動が宿るのを感じる。
「……わかったわ。良介には充分に納得するだけのお話を聞かせてあげる」
「おう。しっかり聞かせてくれ」
納得できる理由があるとは思えないが、とりあえず聞いてやる。アリスはゆっくりと息を吸うと静かに語り始めた。
「昔々、アレフガルドという地にロトの勇者の子孫を名乗るものがおったそうな」
「おい、ちょっと待て! ……お前、アニメだけじゃなくゲームも好きなのか?」
実は意外と話が合うのかも。
「黙って最後まで話を聞きなさい! ……そのロトの勇者の子孫はたった一人で魔物と戦いながら、稼いだお金で武器や防具を買ったり、魔法の鍵を購入して泥棒の真似事をしてみたり。町の娘にぱふぱふしてもらったり、助けても助けなくともいいようなお姫様を助けてみたり、そんな苦労の末、最後には竜王と恐れられたボスを倒して、再び世界を平和に導いたのよ」
全てを語り終えたアリスは、なぜか目を潤ませながら俺を見つめていた。
「なぁ……そこのどこに俺が魔王と戦う理由がある?」
「バカね、まだわからないの?」
さらに目を潤ませながら、アリスは俺をじっと見つめる。
「その勇者の名前が……りょうすけという名だったの」
アリスの目から一筋の涙がスッとこぼれ落ちた。
「……どうでもいいがファミコンのドラクエは容量の関係上、ひらがな四文字までしか名前入力できないはずだが?」
真剣に話を聞いた俺がバカだった。実はこいつ、いわゆる残念系ではないだろうか?
「ちっ、若いくせにそんな細かいことを知っているなんて」
アリスは一瞬間を置くも、すばやく俺の疑問に反論する。
「私のドラクエはスーファミ版なのよ」
『だから文字制限もクリアよ』と言わんばかりの笑顔を見せた。
「結論を述べよう。俺に魔王退治をする理由が今まさに完璧になくなった!」
全く何なんだ、この天使は。早くも日本に帰りたくなってきたのだが……まぁ、帰れないだろうな。どうせ俺の存在は抹消されているし。
正直疲れると思いながらアリスを見ると、目を再び潤ませながら訴えてきた。
「お願い! 若いだけで顔も大したことないくせに、そこそこのイケメンと勘違いしている哀れな童貞君が、必ず魔王を討ち滅ぼすとほかの天使たちに言ってしまったのよーー」
フム。
実は自分が思っているほど他人は俺のことをイケメンと思っていない。そんな笑えない事実を突きつけられ、正直同様を禁じえない。しかし、ここで怒っては、ある意味認めることになってしまう。落ち着いて冷静に反論すべきだ。
「ま、まぁ、いい。確かに天使であられる外見完璧超人のアリスさんから見たら、俺の顔など大したことがないと思うのも当然だ。それは認めるよ。うん」
「ふ、ふーん。外見完璧超人だなんて……面と向かって褒められるとなんだか恥ずかしいですね。良介さんはかなりの審美眼を持っているわね」
「でもさ、人類の目から見ればやはり俺はそこそこのイ――――」
「人類の目から見て中の中といったところかしら? まぁ、可もなく不可もなくってところね」
「……上の下ではなく?」
「中の下よ」
なぜか評価が一段階下がっているが……。
「ま、まぁ、そんなことはどうでもいい。魔王討伐なんて無理っす。ダメっす。できないっす。どんな罰ゲームだよ。そんな無理ゲー金輪際無理!」
俺は【NO】と言える日本人。そこだけは譲れないと、断固たる意志をアリスに伝えた。
「ふん、まぁいいわ。どのみちいきなり魔王と戦うのは、今のよわっちぃ良介には無理ですしね」
そう言いながら、アリスは『さっさとついてきなさい』と目で訴える。しかし、先程からの砕けた口調といい、俺に対する態度が高飛車になってきてはいないだろうか? そんなことを考えながらしばらく歩いていると、ようやく町に到着した。
「さあ良介! ここが始まりの町ルシカよ」
アリスを見ると、いつの間にか観光案内の旗を持っている。それをフリフリと振りながら町の中を案内し始めた。
「えー、ここが町の中央広場。ここが武器・防具屋。そして、あちらに見えますのが、何と魔法が使えるようになる本が売っている魔本屋でーす」
嬉々として説明するアリスを横目で見ながら町の中を見渡すと、石畳の路地やオレンジ色の屋根をした家。行き交う馬車や大きな時計塔が目に飛び込んでくる。
「本当に異世界にやって来たんだな」
そんな感傷に浸っていると。
「良介? 何ぼさっとしているの! 早速、武器と防具を買いに行くわよ」
「へっ?」
「へっ? じゃないわよ。日が暮れる前にモンスターを倒さないとお金が手に入らないでしょう? 今夜の宿代どうするのよ! まさか私に野宿をしろとでも? ひょっとして、何もしないで夜まで待って、満天の星の下、私にエッチなことを……」
「何をバカなことを……そんな気持ち、少しはあるに決まっているだろう!」
「!?」
アリスは俺をジッと見ると、無言で胸を隠しながら後ずさりした。あれっ? お茶目なジョークなのだが、アリスには通じないらしい。
「いや、アリスが戦えばいいじゃないか。天使だからさぞかしお強いんだろ? 大体、異世界ツアーなんだから危険を排除するのも仕事じゃないのか?」
正論を言った俺に対し、アリスはフッと鼻で笑った。
「これだから平和ボケした二十歳のチェリッ子は」
「おい! 俺の童貞をどこかのアイドルグループばりの呼びかたで呼ぶのはやめてもらおう!」
「いい? 最初に断っておくけど。私は戦いには一切加わらない。なぜなら最高神によって戦闘介入行為は禁止されているから。あくまでも私の仕事はあなたの水先案内人。それに、ここは危険な魔物が闊歩している世界。ある日突然、道を歩いていたら魔物に襲われあっけなく死亡。何てことも当たり前の光景です。そうならないために、魔物を倒し、レベルを上げ、少しでも強くなり、最終的に魔王を倒さなければならないのです」
なるほど……お前はそんなデンジャラス・ゾーンの世界に俺を放り込んだのか。何ともはた迷惑な。
だが、こいつの言うことにも一理ある。確かに甘い考えでは生きてはいけない。最後の魔王を倒す話はどうでもいいが、まずは己を鍛えなければいけないことはわかった。
「まぁ、話は理解したよ。なら早速武器を調達しに行こうぜ。金はあるのか?」
「最低限の装備を買うお金はあるわ。では行きましょう!」
割と素直に説得に応じた俺にアリスは気をよくしたらしい。鼻歌を歌いながら俺の手を握ると、足取りも軽やかに武器・防具屋に向かった。
『カラン・コロン』
扉を開けると、備え付けの小さな鐘から涼やかな音色が店内に響き渡る。
「いらっしゃい」
見ると、厳つい人物がロングソードの手入れをしている。所狭しに武器や防具が飾られ雑多としているが、ホコリなどはなく清潔さを保っている。きっと顔に似ず綺麗好きなのだろう。店主に話かけようとカウンターに向かうが、ふと重大な事に気づきアリスに尋ねた。
「なぁ、ここは異世界だから当然日本語なんて通じないと思われるのだが?」
「あぁ、そんなこと心配したの。大丈夫よ、良介が寝ている間に脳をちょっといじっておいたから。良介が話した言葉は異世界の言葉に。相手が話した言葉は勝手に日本語に変換されるから問題ないわよ? ちなみに文字も問題なく読めるから安心して」
『そんな不安、問題ないわよ』と言わんばかりの笑顔で答えるアリス。ほう。俺の脳をいじくって……知らない間に改造人間と言う新たな属性を身につけたらしい。まぁ、いいだろう。どっちみち会話が成り立たなければ、この先不便極まりないからな。
俺は再びカウンターに向かった。
「よう兄ちゃん、見ない顔だな。この町は始めてか?」
「あぁ、今日着いたばかりなんだよ」
「しかし、妙にヘンテコリンな服を着ているな?」
「ちょっと遠いところから来たからな。それよりも適当に武器と防具を見繕ってくれよ」
「予算はどのくらいだ?」
「おい、アリス!」
店の奥で商品を見ているアリスを呼ぶ。
「何よ?」
「予算はどれくらいあるんだ?」
「千ルピスよ」
この世界の通貨は、ルピスって言うのか……。
「おっちゃん。千ルピスだ」
「うーん。千ルピスかー」
大した金額ではないのか、しばらく店主は考えていたが。
「それならショートソード、冒険者の服にマントってところかな。少し心もとないが、近場のスライムあたりなら問題ないだろう」
なるほど。始まりの町なので、敵も最弱のスライムか。それなら今回の装備でも問題ないだろう。俺はゲームの知識と合わせ納得した。
「じゃあ、それで頼むよ」
「毎度有り!」
早速、店の試着室で着替えてアリスに確認してもらう。
「どう? いけてる?」
「ふーん。割と様になっているじゃない。まぁ、恰好だけ! だけど」
こいつはいちいち難癖つけないと気が済まないのか。店主に礼を言い、店を出ようとすると。
「そう言えば、兄ちゃんと同じような恰好をした女性が以前来たな……」
「えっ?」
「いや、何でもない」
「スライム狩りするなら言葉をしゃべる奴には気をつけろよ!」
しゃべるスライム? 最後にそんなよくわからないアドバイスをくれた。