八 眠る
深夜デートは月明かりが差しこむ体育館へ場所を移した。
鍵や警報装置はどうしたのかと思ったけど、久備梨さんは校長の孫だっけ。
「石碑はおじいちゃんが建てたの。でもパパを心配して『輪切りさん』の写真は回収して焼いちゃったけど」
オレは舞台の上で、演台に縛りつけられた……といっても、足から腰を固定しているだけ。
久備梨さんは舞台袖の操作盤をいじって、照明装置の上下動作を確かめる。
よく見れば工業用の切断機のような、大きな刃物がとりつけられていた。
落下すれば演台の縁を刃先が通る仕掛けになっている。
このままお辞儀の姿勢で上半身も固定すれば完成らしい。
大変そうな準備をながめていると、少しだけ冷静さがもどってきた。
遺書もなにも用意していない。
というか別に、死にたいわけではない。
でも楽しそうな久備梨さんを見ていると、逃げたいとも思えない。
「久根くん。本当にいいの? その縄、まだ簡単にほどけるよ?」
「この縄は、下手に動いて狙いを外さないようにだろ?」
わぎりちゃんはうれしそうにうなずいて、いそいそと自分の足腰も固定する。
「わたしだけでも『輪切りさん』を完成させるつもりだったけど、久根くんもいっしょなら……何倍もステキ」
はじめて普通の女の子みたいな照れ笑いを見せた。
「でもなんで今夜なの? 明日は……」
わぎりちゃんは意味深に目を細める。
「……明日が歓迎会だから?」
ほほえみの湿度が増した。
「ひどいな?」
喜んでいるオレもかなりの人でなしだ。
ここまで手のこんだ式場で結ばれないなんて、損な気もしてしまう。
ふたりで縄を渡し合って、上半身も固定した。
縛りかたは指示を受けたけど、体と頭の位置はわかっている。
手だけ装置の始動ロープへ届くようにして、両腕も固定した。
演台の縁の上で、肩と肩がくっついた。
「わたしが首斬り事件の女生徒とは別人だって、わかっている?」
互いに相手のほうを向くだけで、息まで感じられる近さになる。
「わぎりちゃんは……実在した被害者の身代わりではなくて、みんなが望む『輪切りさん』になりたいんだよね?」
久備梨さんがまた別の表情を見せた。
おびえたように眉をしかめて、涙をあふれさせる。
「パパよりもわたしのことをわかってくれていたんだ……久根くんに会えてよかった」
くちびるの柔らかい感触が重なる。
息も熱い。
不意打ちだったので、ロープを引くタイミングがわからなかった。
「初代『輪切りさん』のお父様は、時代を先取りしすぎた芸能プロデューサーだったと思うの。旧家の美人娘というだけのありがち素材でも、青春の園で首斬りという鮮烈すぎるデビュー演出によってロングランヒットを樹立なさって……」
いろいろと誤解がある気はしたけど、うっとりと頬を染めるわぎりちゃんに野暮を言う気にはなれない。
でもカタリと、どこかで小さな音が聞こえた気もする。
「じゃあ次の……くっつけてから『一、二、三』でいっしょに引く?」
「久根くんは『三』で足りるの?」
「なんか物音がしたし……百とか千だとタイミングが合わなくなっちゃうよ」
早くもう一度、そのくちびるを……
足音? 近づいてくる!?
「そうね。ではいよいよ、ご当地アイドルの二代目を数十年ぶりに襲名しまして、さらに何百年、何千年と……」
急いで!?
「皆様の脳裏にこびりつく伝説を今こそ…………がはっ!?」
すさまじい勢いでなにかに突撃されて、オレたちは演台ごと舞台下まで転げ落ちる。
続いてガゴッと、巨大な刃物が落ちた音。
「うっわ!? あぶね!?」
麻江先生の声。
気絶から覚めると宿直室で、オレは厳重に縛られていた。
となりにはなぜか校長が正座している。
麻江先生に、いきなり腹を殴られた。
「親にあやまれ」
跡が残らない腹を殴り続けるってことは、親切にも生かして隠蔽する気らしい。
「わたしにあやまれ。筒一にあやまれ。カニ子にあやまれ……」
麻江先生のほうがつらそうな泣き顔になっていたから、黙って耐えた。
ふたたび気絶からさめると、校長に深々と頭を下げられる。
「なんとおわびすればよいやら。私があんな慰霊碑を建てたばかりに」
麻江先生は大きく舌打ちした。
「まったくだ……そもそもなんで、被害者の顔写真なんかを派手に飾りやがった!?」
「だって、あんまり好みの美少女だったから」
麻江先生は無言で校長を宿直室から連れ出す。
翌朝、オレのとなりの席は無くなっていた。
「さっさと席につけ……うるせえ」
麻江先生が静かに言うと、騒ぎは二秒で静まる。
「さて、ここ数日は当校伝統の『輪切りさん』という幽霊が『どこかの』教室に通い続けたなどという楽しい『噂』もあったようですが、もうすぐ試験も近いことですし、気持ちをしっかり切りかえていきましょう……わかったな?」
麻江先生は笑ってなかったけど、困ったような顔をしていた。
みんなは心配そうな顔で沈黙を守った。
いいクラスだった。
「ただし今日は……親睦会の予定があったな? ひとりは欠員が出たはずだから、わたしを入れろ」
最前列のカニ子がビシリと親指を立てて見せる。
「あとついでに、校長は事故で退職したが気にすんな」
麻江先生は放課後までずっと、職場の調整で忙しそうだった。
カラオケ屋にも少し遅れて、来るなりマイクを奪って一曲だけ熱唱すると、オレのとなりへわりこんで座る。
筒一たちは気づかって離れた。というか逃げた。
「親はなにも気がついてないみたいです」
「それはなにより。誤解のないように言っておくが、校長は……」
「昨日は変わった夢を見た気もしますが、なにもおぼえていません」
オレは朝からずっと、のっぺりとした無表情になっていた。
「いや、本当に事故で……まあいいか。しかし数年前なみにありえない偶然というか、たたられっぷりだが」
「正直まだ……気持ちの整理はできていません」
死ななくてよかったとは思う。
でもあのままふたりで生首になりたかった気持ちも、本当は捨てきれない。
どうしても捨てたくない。
「軽い気の迷いであんなことをやらかしたなら、迷わず施設へたたきこんでいる。ゆっくり考えてから結論を聞かせろ。それまでは久備梨の状態や居場所は教えてやらん」
あんなことをやらかしたのに、まだオレや久備梨さんを信じる気らしい。
なぜか麻江先生から、オレのスマホを返される。
「今朝、教室に落ちていた」
「昨日の眠っていた時に落としたかな…………ん?」
開くと先生からの着信が数件と、その前に先生への発信が一件……昨夜の十一時? 誰が操作した?
「さっちゃんて誰だ?」
親睦会には来てなかった。
「貴重なツッコミ役がいなくてカニ子も大よわり~」
いやな胸騒ぎがする。
「筒一、さっちゃんのクラスは?」
「久根ちゃんの知り合いじゃなかったの?」
誰も知らなかった。
どのクラスの出席簿にも、さっちゃんの名前は無かった。
『なんでそういうことをしたがるの? 本当にあった事件で、関わった人だってまだ生きているのに』
それが最初に聞いた言葉。
『化けて出るほど学校に未練があるのに、斬られたかったわけがないでしょう?』
それが最後に聞いた言葉。
「久根を校庭で見かけたって連絡してきたから、名前を聞いたら『さっちゃんです』って。あと……」
麻江先生に託された言葉もあった。
『未練があっても、楽しくても、生きていない人間が長居すべきではありません』
古風な黒髪ストレートロングの堅物女子は、それから二度と教室に現れることはなかった。
首斬り事件の女生徒の名前や写真は調べないでおく。
代わりに慰霊碑の献花台へ、白い子犬のタンバリンを供えておいた。
(おわり)