五 捕らえる
「そんな名前をつけるなんて、どんな親だよ?」
「パパは本気で『輪切りさん』を愛していたから、わたしのためなの」
どろりと暗いほほえみが、急に腹立たしくなってきた。
「パパは毎日ここで思いを募らせて、みんなが『輪切りさん』を忘れていくことに耐えられなくて……お給料も勤務外時間も捧げつくした愛の結晶がわたし」
その首の傷……誰がどうやってつけたんだ?
さっきまで病院に行っていたのか?
漂う消毒臭が強くなっていた。
「そんな顔をしないで。パパはわたしのことをとても大事にしてくれたから。だからわたしも『輪切りさん』を受け入れて育った……もう『輪切りさん』はわたしの一部なの」
「でもそれは、押しつけられた人格だろ? そもそも首斬り事件の被害者は実在しても、首なし女生徒の幽霊は……事件を知っている人たちが作り上げた妄想とかだろ? とにかく、そんなクソ親父はすぐ警察に……」
わぎりちゃんのねばつくようなほほえみは変わらない。
「麻江ちゃんも、今の久根くんみたいに怒ってくれたの。だからいろいろ証拠を集めて……でも『輪切りさん』のほうが早かった。パパは首をねじ切られて、わたしにはこの傷が……」
となりのクラスの湯出原は『何年か前にも人死にが出た』とか言っていた。
「この傷を抱えてこの学校に通えることは、わたしにとってしあわせなことなの。パパとわたし自身の、長年の望みだったから」
細長い指がチョーカーに触れる。
「だから心配しなくていいの……」
頬を紅潮させながら、ゆっくりとずらして下ろす。
「……受け入れてくれたら……うれしい」
首輪のように大きな縫い痕が、みるみる露にされてしまう。
背後から不意に、別の声がわりこんだ。
「野暮は言いたくありませんがっ、場所はわきまえてください!」
黒ぶちメガネ女子が肩をいからせ、両拳を握って立っていた。
さっちゃん……いつから、いつの間に?
「それと久備梨さんは、麻江先生が探していました」
三階の教室から筒一たちがわいわいと見物していた。
ふり向くと久備梨さんはすでにチョーカーをもどし、校舎へ向かっている。
「あの、さっちゃん……」
咲花さんは石碑をじっとにらんでいた。
「なんでわざわざ、こんなものを……?」
性格どおりにまじめそうな顔だちで、怒ると近よりがたい。
帰り道、そして家に帰ってからも、授業中と同じ妄想がまとわり続けた。
わぎりちゃんの父親も、こんな『輪切りさん』の妄想に苦しんでいたのか?
だからって、わぎりちゃんにしたことは許されない。
……でも本人は『しあわせ』だと言っていた。
そう思う以外に選択肢のない環境で育ったから?
あの非常識さは治せるのか?
治していいのか?
麻江先生もそれで悩んでいたのか?
などと考えている間にも、体のあちこちで接していた、わぎりちゃんのいろいろな感触を思い出してしまう。
細い声や甘い香りまで部屋に漂っている気もした。
消毒液のにおいまで好きになりはじめている。
悶々(もんもん)ともがいた翌朝。
少し早く家を出て、小さな花を買ってみた。
早朝の学校はまだ校門が開けられたばかりで、人は少ない。
石碑へ寄って側面も見てみたけど、何十年か前の建立日時しか彫られていない。
事件の内容が内容だけに、配慮されているのか?
手前の献花台へ一輪だけの白い花を置くと、黒い石によく映えていた。
墓ではなくて事件現場だから、ここに遺骨が埋まっているわけではないけど。
……あらためてながめると、妙な石碑だった。
目立って大きく、人影に似すぎている。
建てたやつは、霊を眠らせる気があるのか?
わぎりちゃんが言ったとおり、高い部分の四角いくぼみに顔写真がはまっていたなら……かなり怖くないか?
被害者の女生徒がどれだけ美人だったとしても、わぎりパパはやっぱり深刻なヘンタイだ。
石碑の前でもあれこれ考えていたら、よりにもよって咲花さんに見られていた。
「雨百合……」
「と、とりあえず白い花を選んだだけで、名前までは見てなかったけど。さっちゃんは花とかくわしいの?」
「名前が名前なので」
咲花さんは苦笑する。
ついあせってしまったけど、オレはやましいことなどしてなかった。今回は。
「この花、失礼にならないかな? 花言葉とか……」
くっきりとした眉が少しだけゆがむ。
「知らないで選んだのなら、そんなに気にしなくても」
調べないでおこう。
さっちゃんは石碑を見つめたまま、不安そうな顔をしていた。
「事件の被害者が、そんなに気になりますか?」
「となりの席にすごい人が来たから。でも実在した女生徒はどんな人だったのか、いろいろ考えてみたら、もうしわけない気がしてきて」
さっちゃんは長いため息をつく。
「こんな事件をおもしろがるなんて、みんなどうかしています」
「そもそも事件の被害者なのに、バケモノあつかいして怖がるなんて変だよね?」
「悲惨な話題を見世物みたいに楽しんでいるだけでしょう?」
「それもあるだろうけど……うしろめたさもあるんじゃないかな? 地元の名家がそんな事件を起こすまで追いつめられていたなら、地元の人は知っていても知らなくても気まずいだろうし。好きな場所を聞かれて『学校』と答えるような子の同級生なら、事件を防げなかったことを後悔する」
「事件が起きるまでは、生活に困っていたことを誰も知らなかったみたいだけど……」
「それでも後悔する。もし筒一やさっちゃんが同じような目にあったら、オレは犯人と同じくらい自分を許せなくなる。それで夜の校庭に、幽霊が見えるようになるのかも……みんなが怖がる『輪切りさん』の本当の姿は、みんなに好かれて、もう会えないことを深く後悔させるような人だった気がする」
さっちゃんが静かなのでふり向いてみると、驚いた表情で真っ赤になっていた。
「久根くんは、まさかその……『輪切りさん』のことを……」
「いや、顔すら見たことないし。いい子らしい、というくらいだよ!?」
わぎりパパを超える高度なヘンタイと誤解された!?
「でも久根くんは……久備梨さんにも、その幽霊を重ねて見ているのでは?」
まだ疑われているらしい。恥ずかしそうに顔がそれていく。
「この『輪切りさん』と同級生の『わぎりちゃん』は別人だよ。それはわかっている。でも……学校が好きなのに学校に行けなくなったのは同じだから」
さっちゃんの目が厳しい。
「本当にわかっていますか? もっと気をつけたほうがいいのでは? 久備梨さんは『学校好き』だけでくくれるような子でもないでしょう?」
このまじめさでわぎりパパのヘンタイぶりを知ったら、殺意に発展しそうだ。
横から間のびした声が邪魔してきた。
「はよーす。修羅場? 三途の川をはさんだ三角関係とかレアじゃね?」
カニ子はなんで今日に限って遅刻ぎりぎりじゃないんだ。
「だっ、誰が三角関係ですか……!?」
「え。さっちゃん、マジで脈あり? 久根っちのくせにやるじゃん」
咲花さんがうろたえているのは、ただ恋愛に関わった経験が少ないから……だよな? 確認するわけにもいかないけど。
カニ子は自分の通学カバンをあさっていた。
スナック菓子らしきガサガサ、ゲーム機らしきピコピコ、アクセサリーらしきジャラジャラといった音をまきちらし、朝の静けさをぶち壊す。
「そんな怒るな、さっちゃん。あいさつがわりのギャグだし。ほらこれ、カニ以外ならあげるよ?」
鈴だけの小さなタンバリンをいくつかさしだす。
プラスチック製で、カラオケの盛り上げ用だった。
飾りのデザインはなぜかリアルなカニとウサギとサルとハチ……?
「いりません……でも、よくできていますね? ……さるかに合戦?」
「下見に行ったカラオケでもらえたの。でもさっちゃんはイヌ好きか」
「なっ、なんで知っているのですか!?」
「いや、なんとなく。桃太郎と花咲かじいさんを兼ねた白い子犬もかわいかったよ? 親睦会はほかのクラスの子も呼んでいるから、さっちゃんもイヌもらいに来なよ。イヌ」
「本来は久備梨さんの歓迎会でしょう? 遠慮しておきます……」
と言いつつ、カニ子の振るタンバリンは目で追っている。
下駄箱にはすでに筒一たちもいた。
隠れてニヤニヤ顔で見ていやがった。
「さっちゃんが一番、わぎりちゃんをたたいてるじゃん。どうせならちゃんと話してから嫌おうよ」
蟹平さんもたまにはいいことを言う。
「そんで、貧乳のひがみをぶつけまくりの本格修羅場!」
前言撤回。
「ま、わぎりちゃんも頭がくっついたままで縫い目しかないのに『首なし』ってツッコミどころだよね? ……あれ? でも火葬場でじゃんじゃん焼いているのに粉末状のオバケってあまり聞いたことないから、化けて出る時の体型って気合とかで盛れるのかな?」
カニ子の頭はツッコミどころしかない。
そのせいか、ふりむくと咲花さんは姿を消していた。
そして数センチの距離で久備梨さんの笑顔と目が合ってしまう。
……どこから聞かれていた?