四 震える
保健室に長く居すぎた気がして、時計を見るともうチャイムの数分前だった。
ドアがノックされる。
背の高い天然パーマ……筒一らしき人影が見えた。
開けたら十人近くがたむろしていた。
「なんでこんなぞろぞろ……湯出原や咲花さんまで」
まだチャイム前だし、馬面ノッポ男子と堅物メガネ女子は同じクラスですらない。
「後始末の協力が必要かと思って」
筒一のニヤつき顔がしらじらしい。
「必要ない……気持ちだけ感謝しておく」
持って来てくれた服はありがたく受け取る。
「シーツをグショグショにしちゃった……」
わぎりちゃんが毛布を水着の胸元まで引き上げて真っ赤になっていた。
「プールの水分だけだから!?」
オレはついあわてて弁解したけど、さっちゃんは眉をしかめて棚のひとつをぴしりと指す。
「タオルはそこに入っているでしょう? シーツを干すハンガーラックは机との間」
黒ぶちメガネの眼光が厳しい。
「あ、ありがとう。さっちゃん……」
「ふたりともずっとそんな格好でいたの?」
「いや別に、変なことはしてないよ!? ただふざけて……」
オレは弁解したつもりだったのに、さっちゃんは一歩あとずさって取り乱す。
「わたしは風邪ひく心配をしたの! そんな格好でふざけて変ではないことってなんですか!?」
しまった。
筒一は力強くうなずく。
「久根ちゃん、くわしく教えてやれ」
「けっこうです!」
咲花さんはせかせかと立ち去ってしまう。
待ってくれ誤解……でもないか。問いつめられたら困っていた。
チャイムが鳴る直前には麻江先生も駆けつけてきた。
「久根、次の授業は少し遅れてもいいから、ちゃんとシャワーを浴びてこい」
オレはタオルを巻いて廊下を走るはめになった。
ひとりでシャワーを浴びて髪をふいていると、更衣室をノックして麻江先生がのぞきこんでくる。
「今、だいじょうぶか? よし、誰もいないな」
「オレが着替えていますよ!?」
勝手に入ってきてドアを閉めてしまう。
「ケチケチすんな。そんなことより、久備梨のやつはどうなんだ?」
「ど、どうって!?」
「いろいろとなじみようがないのはわかっている。だがクラスのやつらとは、それなりに仲良くやっていけそうか?」
意外とまじめに心配していた。
「それはだいじょうぶだと思います。むしろ筒一たちが柔軟すぎて怖いです」
「だよなあ? そういう連中を集めたんだ……だが久備梨を教室に入れて、本当によかったのか……」
集めたって、わぎりちゃんのために?
「本人は楽しんでいるみたいですし……」
やや過剰に。
「……学校に来たい子が来て、悪いってことはないんじゃないですか?」
「うん……おまえならそう言うよな……」
オレの席も、中学での欠席事情から決められていたのか?
「先生はわぎりちゃんと前にも会っていたんですか?」
「ん……くわしい事情はいずれ、本人から言わせたい。うまくいっているとは思うんだが、ちょっとはしゃぎすぎている気もしてなあ?」
ちょっとではない。
「久根、おまえはどうなんだよ? 変なもんたまっているなら、遠慮なく言えよ?」
「ここは男子更衣室で、次のクラスがもうじき集まってくるので、早く出ていってください」
遠慮なく言ったら不満そうな顔をされた。
二時限目の開始チャイムと同時に教室へ入ると、久備梨さんはいなかった。
今日も一限で早退らしい。
授業時間がやけに長く感じられる。
どうしてもとなりの席を意識してしまう。
白い首筋、甘い体臭、意外と高い体温、セーラー服のふくらみ……今となっては、その下まで思い出せてしまう。
あの細い腕がまだオレの首にからんでいて、あの細い首がまだオレの手にあるような余韻を感じる。
短い黒髪おかっぱ頭を抱きしめる妄想がつきまとう。
まるで、とりつかれているみたいな……
ふと、外の石碑と目が合った。
黒い石は細長い山型で、高さも幅も女生徒くらい。
とりつかれている……のか?
オレも『久備梨わぎり』も。
授業が終わって筒一に話してみる。
「たしかに幽霊やゾンビよりは『とりつき』のほうが近そうだな? 聞いてみろよ」
「本人に?」
「オレが聞いてもいいけど?『輪切りさんにとりつかれていますか? それとも本人ですか?』って」
そんな軽く聞いて、素直に答えると思っているのか?
「あれ? でも首斬り事件の被害者の本名が『輪切りさん』のわけないよな?」
「今さらそこかよ」
短い休み時間なのに、となりのクラスの湯出原まで入ってきた。
筒一と同じバスケ部で、背と顔がひょろ長い。
「ゆでちゃんは『輪切りさん』の本名とか知らない?」
「いや、それなんだけど、オレもう関わるのやめとくわ」
苦笑がこわばっている。
「さっきはじめて本人を見たけど、兄貴の言ってた外見にそっくりで……何年か前にも人死にが出たとかで、校長といっしょにやばそうなやつらが一軒ずつ押しかけて、ガチな口止めをしてまわったらしい」
「やばそうな……カルト宗教とか?」
「さあ? でも兄貴にくわしく聞こうとして、わぎりちゃんが来たことまで言ったら『とにかく関わるな。頼む』って……」
湯出原がそそくさと立ち去ってしまい、筒一は目をぱちくりさせた。
蟹平さんは気にせず次の話題をあさる。
「さっちゃんは? なんか犯行日時まで知ってそう」
「カニ子さんはわたしをなんだと思っているのですか?」
「メガネの黒ぶちが太すぎて、かわいいのに損している子?」
蟹平さんまわりの女子群はメールのやりとりで情報収集を続けていて、咲花さんだけが呆れ顔で見ていた。
「新聞部の似鳥路先輩、また昼休みに来てくれるって。別にメールでいいのに」
「おまえら、よくめげないな?」
オレも気にはなるけど。
「なに言ってんだよ。これから事件が起きるなら、第一犠牲者は久根ちゃんだろ?」
「筒一くん、冗談でも言ってはいけないことが……」
咲花さんの目はきれ長で、言われてみるとメガネはないほうがいいかも?
「でも久根ちゃんはすでに、いろいろ抜き取られたような顔をしているし」
さっちゃんが眉をしかめて、なぜかオレをにらむ。
「久備梨さんは少し性格が変わっているだけでしょ? もし幽霊ならそれこそ、そんなものにふり回されるほうがどうかしている。麻江先生にもはっきり確認したほうがよくない?」
先生もまだ言えない事情がある様子だった。
というか久備梨さんに特別な事情など、ないわけがない。
「まあいちおう同級生だし。それに幽霊だとしても、化けて出るほど学校が好きなら、いっしょに学校生活を楽しめたほうが成仏しやすいかも」
さっちゃんはなぜか顔を赤らめて、困ったような表情になる。
オレの返事がまたなにか誤解されている?
「久根ちゃん、学校生活の楽しみは不純異性交遊がすべてじゃないからな?」
「筒一に言われたくない! さっちゃんも変な誤解しないで!?」
そう即答したのに、それから昼休みまでは授業が頭に入らなくて、わぎりちゃんの不純な妄想ばかりにつきまとわれた。
重症かもしれない。
新聞部の三年女子は昼休みになった直後に入ってきて、手を合わせて頭を下げる。
「ごめん。伯母が卒業生だって聞いたから電話したら、ものすごい勢いで怒られた。ガチで入試に影響あるらしいから、ちょっと今は……」
昨日とはテンションの落差が激しい。
「な、なんかすみません似鳥路先輩。お気をつけて」
新聞部の後輩女子も頭を下げて見送る。
思い返せば教員側も最初から不穏というか……
「校長があの様子だと、成績表をどういじられても不思議はないか。怪奇現象かどうかはともかく、近い地域だと話題だけで風評被害が大きいのかもね?」
そう言って横目に見た空席は、異様な存在感があった。
「じゃあ今度、わぎりちゃんをカラオケに誘ってみる? あの首だと歌えるかわからないから、マラカスとかタンバリンも充実してるとこ~」
「カニ子さん、オレの話をどう聞けばその発想になるの?」
「だってさびしいじゃ~ん。カニ子が死んじゃって、それでもがんばって起き上がったのに、みんなにどんびきされたらガチへこむわ~」
「あー、それちょっとわかるー」
「そういえば、いきなりすぎて歓迎会とかやってないよね?」
「今日とか下見に行く?」
そんなおまえらの自由さを少しだけ尊敬する。
オレ以外では咲花さんだけが会話の飛躍にがくぜんとしていた。
「二ヶ月だけの遅れなら、その子だけ特別あつかいをしなくても……?」
「さっちゃん、二ヶ月は馬鹿にならないよ~? 八週もあればテレビドラマなんか異次元に突入しているし」
「それにわたしたちもまだ二ヶ月だから、便乗して親睦会ね? さっちゃんも今日どう?」
「わたしは……用事があるので。お誘いはありがとう」
さっちゃんが残念そうに苦笑して、カニ子たち女子陣はブーブーとくいさがる。
「オレも今日はなんか体調がよくないから」
頭のもやもやがとれそうにない。でもつきあいが悪いと思われるかな?
先月はじめていっしょに行った時は、それなりに楽しかったけど。
「久根ちゃんは無理すんな。肉でも食っとけ」
筒一、オレはそんなに顔色が悪いのか?
帰りに石碑へ寄ってみた。
校舎から正門まで、少しだけ遠回りすれば通る位置に建っている。
光沢のある黒い石で、高さや幅だけでなく、厚みまで人間に近い。
表に刻まれた文字は『慰霊碑』だけ。
ちょうど頭のあたりに四角いくぼみがあった。
「顔写真がはめこまれていたところ」
背後から細くかすれた声にささやかれる。
ふり返ると数センチの距離で久備梨さんと目が合った。
「建てられてしばらくはみんながこっちを通って、手を合わせて行き来していたの」
夕闇を早めるほほえみ。
急いで抵抗しないとまずい気がして、オレも作り笑いになる。
「久備梨さんは……『輪切りさん』にとりつかれているの?」
「うん。麻江ちゃんに聞いた?」
けだるそうな笑顔は少しもゆるがない。
「いや、さっきなんとなく、そんな気がして……あれ? でもとりつかれているだけで『輪切りさん』本人ではないなら、本名も別にあるの?」
「戸籍でも『久備梨わぎり』が本名だよ?」
大きなたれ目が底なし沼のように視線をとらえ続ける。
「本当に、なにも聞いてないんだ? それなのにわたしの中の『輪切りさん』に気がつくなんて……久根くんもとりつかれているのかな? それでとなりにしてくれたのかな?」
えたいの知れない恐怖と期待でこわばったオレの頬に、細長く青白い指がそえられる。
「パパと同じ笑いかた」
急に頭が冷えてくる。
人間なら……戸籍にある本名が『久備梨わぎり』だとしたら……