二 交わる
朝の学活が終わるなり、みんなが押し寄せてきた。
蟹平さんは筒一が教科書をしまうなり、机へ飛び乗る。
「わぎりちゃん、いいな~。ほっそいのに胸が出まくりで。カップいくつ?」
「オレもそれは最初に気になった」
「うわ、筒一ひくわ~。麻江ちゃんにも初対面でスリーサイズ聞いて窓から落とされたのに、こりてないの?」
誰も『久備梨わぎり』という名前にはツッコミをいれない。
「というかまず、なんでチョーカーを……」
オレの声でみんなが急に静まる。
久備梨さんは自分の首筋へそっと手刀を当て、じっとりとほほえんだ。
「死ぬような、大ケガをしたの」
「ああ、それで傷を隠して。ごめん、聞いたらまずかったかな?」
もう深入りは避けよう。
みんなといっしょに笑顔で流そう。
おとなげなかった。オレはまだ社会的に抹殺されたくない。
「みんな気になっていたと思うから……久根くん、気をつかって聞いてくれたんだよね?」
湿度の高いたれ目が優しくほほえむ。
歓声が盛り上がった。
「やだあ久根っち~、首フェチだったのお?」
だまれアホカニ子。
「傷のほうじゃね? あるほうがエロかったりするよな?」
だったら席を代われ筒一。
一時限目のチャイムが鳴り、ふたたび麻江先生が入ってくる。
「久根~、わぎりちゃんに教科書を見せてやれよ? 今日は七十ページから……」
しかたなく机をくっつけた。
筒一たちの会話のせいで、つい胸に目がいく。
首や腕だけでなく胴も極細なのに、胸だけは制服に出っぱって球形を強調していた。
そしてなぜか、腕をぴったりとくっつけてくる。
教科書を見るためでも、接近しすぎだ。
女の子のやわらかな香りが漂ってくるけど、なぜか消毒液のにおいも強い。
二重のインパクトで授業に集中できない。
「……で使われた断頭台は見せしめの演出ではなく、実際は人道的な見地から苦しませない意図で開発されている。そういった大型の装置を使わず、刃物一発で安定して首を落とせる熟練者は東洋でも西洋でも職人として敬意を払われ……」
麻江先生が脱線した雑談を延々(えんえん)と続けているみたいで助かった。
久備梨さんは教科書をじっと見てほほえんでいる。
「こういうのって、興奮する?」
まさかわざと腕をくっつけていた?
「服の中の、さらに中。これを現実でやったら究極の露出プレイでしょ?」
生物学の七十ページは消化器官の解剖図だった。
冗談のつもりだろうか。
聞こえなかったふりをしたくて目をそらすと、窓の外に黒い石碑が見えた。
……考えてみれば『輪切りさん』の元になった女生徒の名前が『久備梨わぎり』なんてふざけた名前のわけがないよな?
それなりやっぱり、麻江先生がしかけた冗談か?
役者の人選がやりすぎだ。
久備梨さんは口をつぐんで上目づかいになっていた。
「ごめん……迷惑だった?」
「あ、いや、ちょっと驚いただけ。発想が斬新すぎて」
さびしそうな笑顔でうなずかれてしまい、不覚にもドキリとする。
鼻筋や輪郭もほっそりと整っている。
もっと普通の話題でのささやきだったら、素直に舞い上がっていたかもしれない。
けだるく疲れたような顔だちで、くちびるだけに淡い桜色を乗せていた。
……冗談にしては手がこみすぎか?
変わった子だから、クラスへなじませるための工夫なのかも。
『輪切りさん』に仕立てるなんて豪快すぎるけど、ここまで強烈な初対面なら、もうどんな真相が隠されていても驚きそうにない。
あのチョーカーの下に、少しくらい切り傷があっても……
チャイムが鳴る。
「よっし、今日はここまでだが……うわカニ子、変なもん見せんじゃねーよ」
教室が蒸す中、蟹平さんはただでさえ短いスカートをバタバタさせていた。
ふと横を見ると、久備梨さんもチョーカーを浮かせて風を入れていた。
リボン幅いっぱいの縫い痕がぐるり一周……カッターや包丁なんかで残せる傷痕には見えない。
「やだ久根くんっ、そんなジロジロ見たら……!?」
少しうれしそうに顔を真っ赤にした久備梨さんの声が教室に響く。
「久根ぇ、相手の合意がないと犯罪になるからな? ほれ日直、号令……」
麻江先生は無慈悲にまとめようとしたけど、久備梨さんが小さく手を挙げていた。
「あの……」
それだけつぶやき、チョーカーに手をそえている。
「ん……今日は二限以降、わぎりちゃんは欠席だ。ほかの先生にも連絡しておく」
久備梨さんが早退して、前の席は人だかりがふだんの倍以上になった。
昼休みでもないのに別クラスの生徒まで多い。
「なんで今ごろ復学なんだろ? 久根っちのおじいちゃんのころから学校をお休みしてたんでしょ?」
「兄貴からメールきた……前にも教室に出たらしいよ?」
「じゃあ伝統行事みたいなもん?」
おい待てオマエら。
「まさか……幽霊と思っていたのに話しかけていたのか? ていうか、なんでそんなに楽しそうなんだよ?」
オレが抗議したつもりだったのに、逆にカニ子と筒一が眉をひそめた。
「レアキャラじゃん? いろいろすごいこと聞けそーだし」
「顔がよくてスリムで巨乳なら、それだけで百五十点だろ? 譲ってくれるなら席を代われよ」
そう言われてしまうと……別に実害はない。
「今から代えたら気まずいだろ」
はた目には、かわいい女の子がとなりにわきでた幸運……なのか?
みんなはスマホのメールで身内の卒業生と連絡をとり、休み時間ごとに情報が増えてくる。
「事件の起きた深夜に校庭へ行くと出る……だけ? 湯出原の兄貴も? 伝統の有名オバケのわりに、尾ひれが少なくね?」
「本当にいるなら大げさにする必要がないのかも。『輪切りさん』の名前までは知ってる人も多いし」
集まった情報は筒一がまとめて、カニ子が妙な分析まで加えた。
まじめそうな咲花さんは黙って聞いていたけど、だんだんと顔が渋くなってくる。
「みんな実在の事件に気をつかって騒ぎにしないのでしょ? もうやめない?」
「首を斬られた本人が来て話しているのに?」
「その久備梨さんは……幽霊のふりをしているだけでしょ?」
「さっちゃん、容赦なく石頭だわー。いいから今度、生のわぎりちゃんを見てみなって。おおげさじゃなくて巨乳だから」
カニ子の話題のずれかたで、オレも思わず口をはさむ。
「そんな話はしてないだろ。というかオレはとなりにいても幽霊には思えなかったけど? 体臭とか体温もあったし……」
「久根くんも授業中になにをしていたの!?」
誤解ださっちゃん。オレは被害者。わいせつ物を見るような目をしないで。
「じゃあゾンビかな? 話せて体温もあるなんて、クオリティすごくない?」
カニ子の独創性のほうがすごい。
「いいよな久根ちゃん。授業中もずっと体くっつけて、露出プレイの話とかしてたんだぜ?」
筒一、オレたち友だちだったよな?
咲花さんが顔をそむけてしまい、オレは男子の総攻撃をくらう。
昼休みに教室へ入って来た三年女子は丸っこい体で、シャキシャキと近づいてきた。
「新聞部の似鳥路先輩……わざわざ来てくれたんだ? 前に『輪切りさん』のことを調べていたんですよね? 伝説ではどんな芸風のオバケなんです?」
「首探しの手伝いを頼んできて、失敗すると首をとられるとか、斬られた部分を押しつけてくるとか……頭がついてないのに器用だよね!?」
そんな楽しそうに言われても……実際の場面を想像するとエグいし。
「でもそのあたりの被害は、日時とか実名が出てこないから尾ひれっぽいかも。ほかのいろんな噂も信憑性の評価をつけて記事をまとめていたんだけど、顧問の先生に止められちゃった! なんか校長に土下座されたんだって!」
安心しかけたところへ不穏な情報を追加しないでください。
「でも事件直前にした父親との会話なんて、当時の新聞にも載ってなかったけど? どこで調べたの?」
似鳥路先輩の質問で、さっちゃんへ視線が集まる。
「知り合いから聞いて……事件被害者の同級生という……おばあさんがいるので」
「それなら勝手な尾ひれじゃなくて、生取材かあ。生前の輪切りさんは家のことをぜんぜん話さなかったらしいから、よほど親しい友だちかもね?」
「さっちゃん、髪もノーミソも古くさいと思っていたけど、友だちまでジジババかよ~」
たしかに今どき黒髪ストレートロング、黒ぶちメガネ、長いスカートの組み合わせは珍しい。
でもカニ子の髪型とノーミソのほうがよほど異常だ。
似鳥路先輩が出ていってすぐ、オレはみんなのノリに水を差す。
「咲花さんの言うとおり、あまり関わらないほうがよくない? ただでさえ生徒が減っているのに、オレたちで幽霊話まで盛り上げたんじゃ、閉校になって校長が化けて出そうだよ」
「でも麻江ちゃんは仲良くしろって言ってたよ? とゆーか、となりにいる久根っちが無視はひどくな~い?」
そういったカニ子に限らず、みんなの視線が冷たい。
「元は人間なんだし。なにかの事情で幽霊やゾンビになったなら、それこそ優しくしてあげるのがまともな人間性だよな?」
筒一の常識感覚が汚染されている。
「久根っちはホラー映画とか真に受けすぎ~。常識感覚うたがう~」
カニ子に常識を説かれた!?
「いや別に、幽霊だからって無視したいわけではなくて……騒がないで、そっとしておいてあげようよ。ただの『学校好き』で教室に居たいだけなんだろ?」
「久根っち……ごめん。そんなガチでわぎりちゃんを気づかっていたんだ?」
注目が生暖かく息苦しさを増した。
「わたしも、あの……少し変わった子の学校生活を助けてあげるのは、いいことだと思うけど……」
さっちゃんまで照れ顔でうなずかないで。