一 見つめる
校庭を不自然にせばめる配置で石碑が立っていた。
三階の教室、窓際の一番後ろにあるオレの席から見ると、校庭をはさんでこっちを向いている。
黒くて長細くて、梅雨空の薄暗さでは人影に似て見えた。
入学してから二ヶ月が経つ。
オレの前の席に座っている天然パーマ男子の筒一は人だかりの中心にいることが多い。
いつも不意にふりかえっては軽いノリで話をふってくる。
「あれが『輪切りさん』の墓って本当かよ? 久根ちゃんも身内に卒業生いたろ?」
「おじいちゃんが通っていたらしいけど、あの石碑は首斬り事件の現場だから近づくなって言われた」
筒一の周りに群がっていたやつらが楽しげに騒ぎだす。
「ほらあ。カニ子のママが言ってたこと本当じゃん」
蟹平さんは赤い髪をあちこち短く結んでいて、スカートが短いのに机であぐらをかいていた。
「蟹平ちゃんがギャグみたいに話すから本気で悩んだ」
筒一が笑うと蟹平さんは身を乗り出す。
「落書きとかすると首をちょん切られるのかな? 今度、バツゲームで賭けない?」
でも黒ぶちメガネ女子は口をとがらせてにらんでいた。
ストレートロングの黒髪で、スカートもかなり長い。
「なんでそういうことをしたがるの? 本当にあった事件で、関わった人だってまだ生きているのに」
「ごめんよイシアタマガンコちゃん。ここの女子を狙った猟奇殺人とかあったの?」
「咲花という名前がありましてよ蟹平カニ子さん。あの場所で……父親に斬られたの。地元の旧家だったけど、家計が苦しくなって『この家はもう居づらいだろ。好きな場所は?』と聞かれて『学校』と答えたら……」
「さっちゃんてば変なこと勉強熱心ね~? てゆうか思ったより気まずい事件だね?」
「気まずくない首斬り事件なんてあるの?」
チャイムが鳴る。
いつの間にか、背の高い女教師がすぐそばに立っていた。
「ほれ、聞こえんのかオマエら」
若くてスタイルもいいけど、にっこり笑う目は威圧感にあふれている。
「うっわ。麻江先生、おはようございま~っす」
蟹平さんたちが自分の席へ走り、咲花さんたちもあわてて教室を出て行く。
麻江先生はおおざっぱに教室を見渡すだけで出席簿を閉じると、意味深な笑顔を見せた。
「もうみんな『輪切りさん』の噂は聞いたか? 首なし女生徒の幽霊だ。わたしも生徒だったころに担任から聞かされたという、我が校の由緒正しき有名人だな。もし会えたら礼儀正しくいたわるよーに。ハイではここで、新しいお友達のご紹介」
少し背の高い女の子が教室に入ってくる。
セーラー服のスカートが短いほかは全体に飾り気がない。
青っぽい色白肌で、脚も腕も細く長く、大きい胸が余計に目立っている。
短いおかっぱ黒髪に、くまの濃い大きなたれ目。
ほほえんでいてもどこか困っているような表情で、ドロリとした暗さがにじんでいた。
声は細くかすれている。
「はじめまして。久備梨わぎりです」
首も細く長く、幅広の黒リボンを巻いていた。
麻江先生は黒板に大きく『久備梨わぎり』と書いて、その倍以上も大きく『くびなし』とふりがなをふる。
みんなは機先を制されて息をのんだ。
「わぎりちゃんとは特に仲良くしてあげるように」
先生、なんでそんなにうれしそうなんですか。
女子がヒソヒソ声を出しはじめる。
「避難訓練あったっけ?」
「心霊現象って訓練で防げるの?」
言葉を交わしたふたりの肩へ、不意に先生の手がのっていた。
「なに? わたしが新卒だから? たった二ヶ月で学級崩壊かな? 新任だけに、加減がわからないふりでいろいろやっちゃうぞ?」
ふたたび訪れた静寂の中、麻江先生は笑顔でうなずく。
「もうみんな察してくれたかもしれないけど、わぎりちゃんはちょっとした事情があって、こんな時期に復学することになりました。ぶっちゃけみんなより少し年上です。ほかになにか質問があれば遠慮なくどうぞ。ただしわぎりちゃんの気持ちはよ~く思いやり、教室の外では余計なことを言わないように…………後悔しますので」
目が笑ってない。
長い間のあと、麻江先生はみんながちらちら見ていた黒リボンのチョーカーを指す。
制服にも合う地味なデザインだった。
「これは特別に許可をもらっていますが、校則違反なので真似しないように……でも、このスカートもちょっと短すぎるな~あ?」
麻江先生がスカートをつまむと、久備梨さんは恥じらってうつむく。
「は、はい。すみません。麻江先生……」
「そんな堅苦しい呼びかたじゃなくて、麻江ちゃんでいいから。オマエらも密告っていいことはないから、見て見ぬふりをするように。わぎりちゃんはひさしぶりの学校でみんなになじもうとがんばっているんだ。わかるよな?」
最前列の女子が手を上げる。
「よろしいでしょうか麻江ちゃん!?」
「なんだアホの蟹平!?」
「わたしもちゃんづけでお願いします! あと、新しいお友だちの呼びかたはワギリンとワギーのどちらでしょうか!?」
「せめて『年上ならさんづけしたほうがよろしいでしょうか? それとも……』という前ふりがあれば見なおしたんだが。まあ、カニ子にしては目のつけどころがいい。本人としてはどうだ? さんづけはさすがに他人行儀だろ?『わぎちゃん』とかだとみんなも呼びやすいか?」
久備梨さんは小さくうなずき、さわさわと手をもんだ。
「ワギーもかっこいいですけど、英語は苦手なので。好きな名前だし、このまま『わぎりちゃん』でお願いします」
好きなのかよ。呼びづらいよ。
「ほかに成績評価を棒にふってでも質問したいやつは? いない? じゃあ……久根ちゃん、オマエ、名前が似ているし、見た目だけは人がよさそうだから面倒を見てやれ」
オレは窓際の一番後ろの席で、となりが空いていた。
ほかの理由は冗談だと思いたい。
教室にあふれる拍手がいたたまれない。
久備梨さんはこっちを向いて、じっとほほえむ。
視線をはずさないままスルスルと近づいてきて、オレの真横に立って見下ろす。
「久根くんは本性だとなにをしたくなっちゃう男の子?」
教室中の視線が集まっているのに、ささやくようにつぶやかれて、オレはかろうじて笑顔を保つ。
「今すぐ教室から逃げ出したいかな?」
久備梨さんは視線を下げて頬を赤らめた。
「初対面で逃避行のお誘い……思ったよりも大胆」
ちがう。みんなも拍手するな。なぜ先生まで。
「さすが久根だが、わぎりちゃんは復学したばかりなんだから、少しは自制しろ。ん……? まだ机が来てないのか? 言っておいたのに」
ちょうど教室の後ろの戸が開いて、机とイスが運びこまれる。
高級スーツの老人がふるえる手で引きずっていた。
「校長先生!? なんで……!?」
オレが駆けつけて受けとる。
白髪しわだらけの顔は汗だくで、息もぜえぜえと荒い。
「す、すまないね……はうっ」
麻江先生と目が合うと、へこへこと頭を下げて逃げ去った。
「久根~、そこまでしてわぎりちゃんの気を引きたいかあ? これからは毎日となりの席なんだから、そんなにがっつくなよ~?」
教室は明るい笑いに包まれ、オレの笑顔は限界に近づく。