~No.7~
「どうしてここに?ゴステルさんの友達ですか?」
「忘れてるぞ」
何の事か分からず「え?」と聞くと…
「盲じゃなかったのか?」
子供の前にサングラスを置くと、セヴィルは子供の目を鋭く観察するように眺めた。
「あ……」
子供は忘れていた。
ひと時の不思議な安らぎに溺れ、セヴィルの前で瞳を隠す事をすっかり忘れていたのだった。蛇に睨まれた蛙の様に子供はすっかり萎縮してしまった。
「…フッ…」
「?」
一瞬の沈黙の後、不意にセヴィルの口元が少し緩んだ。
「そう青ざめるな。お前の事はあの爺さんから聞いている。だから俺の前では盲の振りはもういい」
「爺さん?…ゴステルじいさんの事?」
厚い上着を脱ぎながらセヴィルはコックリと頷く。
子供は信じられなかった。
『僕には誰にもバラすなって言ってたくせに。どうしてゴステルさんはこの人に話したんだろう。―信頼してもいいのかな?ゴステルさんと同じくらいに』
厨房からワインを取り出すセヴィルを見ながら子供はそう考えた。ふと、ある事に気付く。
「ねぇ、セヴィル……軍隊長?」
「名前でいい。どうした?」
「どうしてゴステルさんの店の鍵を持っているの?それと…ゴステルさんはいつ帰ってくるの?」
すると、セヴィルの顔つきが変わった。手にしていたワインボトルを埃だらけのカウンターに置きシャツの胸ポケットから何かを取り出した。
それは子供が店に訪れる度ゴステルが身に付けていた漆白鳥と言われる幻鳥の尾羽の手飾りだ。艶を失わない羽が綺麗で羨ましくていつもゴステルに譲ってくれるようねだったがゴステルは断固として譲らなかった。そして子供が拗ねるといつもこう言った。
『安心せい。わしが死ぬ時はこの飾り物をお前さんにやる。じゃから、わしが死んだらこれを売ってその目を治すんじゃぞ。そうしたら、お前さんは国の中で安全に暮らせるぞ。』
『じゃあ結局は僕の物にはならないんじゃないか。』
『何を言う。こんな飾りを持ちながら命を狙われるのと、その目を治して普通に楽しく暮らすのとどっちがいい。良いか?どれだけ価値がある物を持っていても物は物。お前さんを救ってはくれんぞ』
『…分かった。でも、ゴステルじいさん。まだ死なないで。ずっと僕の側にいて』
『分かっておる。まだまだ儂は大丈夫じゃ。そうじゃのう…お前さんが可愛い嫁を連れて来るまでは頑張るつもりじゃ』
「…………」「……………」
子供は全て悟った。
「……そうか、もう……帰っては来ないんだ。もう一度…会いたかったなぁ……」
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ゴステルの危篤の知らせを聞いたのは昼間の行軍行進の直後だった。式が終わるとそのまま馬を走らせ国立病棟へ急いだ。
「買物をされていて急に倒れたみたいで…運び込まれた時にはもう手の施しようがなくて……。意識が薄くなってきているのですがあなたの名前をずっと呼んでいたので」
病室へ案内されながら看護士は早口で伝えた。部屋の入口まで来ると看護士は「私は先生を呼んできますので」と走って行ってしまった。
«ガラガラ…»「…………」
ベッドの上でゆっくりと息をするゴステルの顔は驚くほど真っ白だった。今まで何度も死体を見て来たセヴィルはもう助からない、と悟った。
『爺さんの割には綺麗な死に顔になりそうだ』
それが通じたのかゴステルが細く目を開けた。
側に座っているセヴィルを見て「フフフ…」と笑った。
「そんな死人を見る様な目をやめんか。まだ生きとるわい」
「口だけは元気そうだ。安心したよ」
セヴィルの言葉に少し笑うと毛布からゆっくりと左手をセヴィルに差し出した。その手には鳥の羽がついたブレスレットが握られていた。
「こいつを…渡してほしい」
「誰にだ?」
セヴィルの目を見据えながらゴステルはゆっくりと口を開いた。
「お前さんの……息子じゃ」
「…いつから知っていた」
「あの子が捨てられた直後からじゃ。森で狩りをしていたら衰弱した状態で倒れておった。とりあえず国へ連れて帰ろうとしたら激しく嫌がってのう。それでも無理矢理引きずって行こうとしたら……気付いたら儂は何10mも先の木へ飛ばされとった。遠くで震えているあの子の瞳は赤くなっていた。その時お前さんの話を思い出したんじゃ。お前さんが救い損ねたお前さんの子供の話をな。……思ったより驚かんかったのぅ」
ゴステルは子供が生きていた事に驚かず聞いているセヴィルの様子を不思議そうに見つめた。セヴィルは立ち上がると窓に寄りかかり座った。
「実は……さっきの行軍の時にいたんだ。あの子が、目の前に」
「ほぅ、既に会っていたか。いやはや、儂の方が驚いたわい。で、久しぶり…いや初めて会った感想は?」
「背は俺に似て高かったが、顔はどう見ても母親だった」
「最初見た時儂もそう思ったよ。あの子の泣き顔は小さい時の母親そのものじゃ。父親のキツい目に似てなくて良かった」
「それは俺も思っ……うるせぇ」
互いにひとしきり笑いあうとゴステルは一息つきながら言った。
「フゥー、何にせよ儂が出来るのはここまでじゃ。最後に…これは置き土産の情報じゃ。奴があの子を狩り出しにかかった」
「奴…モスキートか」
「早めに手を打たなければあの子は殺されてしまう。死ぬ気で守ってやれ」
「分かっている……ゴステルさん、ありがとう」
ゴステルは満足気に「うむ」と呟くとスゥーッと目を閉じ昏睡に陥った。それから30分後。ゴステルの心臓は穏やかに止まった。
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セヴィルからゴステルの形見を受け取るとゆっくりと腕に通してみた。子供の白く細い腕に垂れる羽は艶やかにきらめいた。
「似合う?」
「ああ、ぴったりだ」
子供はブレスレットを見つめ……涙を流した。口から出る泣き声を止めようと手で抑えた。しかし、声を出さないようにすればするほど涙が出てきた。
すると………
「…っ?!」
気付けばセヴィルに抱き締められていた。頭を優しく掴まれセヴィルの肩に押し付けられた。驚いている子供にセヴィルは言った。
「子供が泣いてる時父親は普通こうするんだ。…お前は1人じゃない。誰にも殺させはしない。俺が…じいさんみたいに守ってやる。約束する………約束する」
セヴィルの言葉は子供の心に深く染み渡っていく。それは涙になって出てきた。嬉しかった、安心した、怖くなくなった、温かかった…幸せだった。
大きな背中に手を回すと子供は我慢する事無く泣き始めた。泣き声が大きくなる度にセヴィルは白く美しい髪を撫でた。抱き寄せた子供の身体は思ったより細く華奢で小さなものだった。