~No.5~
「……朝だ」
窓から差し込む日差しは子供を起こすように降り注いでいた。子供は眩しさに耐えられず毛布代わりのマントを顔まで被った。
「あなた、誰?」
「!?」
突然の人の声に子供は飛び起きた。
「はぇ?!」
「はぇ?じゃないわよ。勝手に人の家で何寝てんだって聞いてるの。乞食?」
「いや…僕は……」
起きたばかりの頭と人に見つかった焦りで上手く言葉が出てこない。その様子を察したのか少女は呆れて息を吐きその場にしゃがんだ。目線を合わされ子供はますます硬直してしまった。
「朝飯…食べる?」
「……はぁ……」
少女の住まいは子供が拝借した家の地下にあった。
部屋の壁には様々な義手や義足が飾られていて机の上には分厚い医学書が積み木の様に重ねられていた。キョロキョロと拝見している子供の側で少女は手際よく朝食の準備を始めた。
「あなた、虹彩異色症?」
聞いたこともない長い言葉に子供は「え?」と聞き返した。
「さっきから互いの目の色が違うわよ。色素が安定していないのね。生活に支障はないの?」
そう言うと子供が手にしている杖が少女の目に留まった。
「ああ…やっぱり杖はいるのね」
「…………」
少女が何を言っているのか子供には半分も理解出来ていなかったが、どうやら目の事は不審がっていない様なのでそのまま話を合わせる事にした。
朝食は、ハムとレタスのサンドウィッチ、玉葱とベーコンのコンソメスープ、ブルーベリージャムを乗っけたヨーグルトだった。こんなに美味しい朝食を食べるのは子供にとって初めての体験だった。2つのカップにミルクティーを注ぎながら少女は聞いた。
「あなたの名前は?」
「…名前?」
「そう。私はファル、15歳よ。こう見えて医者なのよ。あと、生まれつき手足がない人に義手や義足を作って売ってるの」
「へぇー、…あの壁にあるものもそうなの?」
子供がそう聞くと少女はニンマリしながら自分の左手を肩関節からガチャリと外した。子供は唖然としてそれを見た。
「キャハハ…びっくりした?あれは私の手と足よ。予備でもう1つずつ作ったの」
「…足もないの?」
「うん、ない。両方産まれた時から付いてなかったんだって。親は手に負えないと思ったのか私が産まれるとすぐ施設に預けたんだって。だから私、両親の顔知らないの」
「僕も…知らない」
朝食後、ファルの片付けを手伝うとすぐに帰り支度を始めた。
「朝食ご馳走様でした、とても美味しかったよ。それと、黙って部屋を借りてごめん」
「いいのよ、上はほぼ倉庫みたいなものだし。もしまたこっちに来る時は使えばいいから」
「うん、ありがとう。じゃあ」
マントを被り杖を片手に歩き出すと後ろからファルに呼び止められた。振り向けばファルが片手に何かを持ってやってくる。
「はい、これ」
それはサングラスだった。
「視覚障害の人はこれを付けると人目を気にせず顔を上げて歩けるのよ。あなた、いつも首を垂らして歩いているんでしょ」
「えっ?何で分かるの?」
「既に首が前に垂れてるわ。まぁ、背が高い人はそうなりがちなんだけどね。やっぱり男は堂々と前を見て歩かなきゃ」
はい、と差し出されたが見るのも初めてな子供はどう使えばよいのか分からなかった。見かねたファルは子供の手からサングラスを取ると「腰をさげて」と言った。子供は言う通りに中腰になった。
「はい、目を開けて」
言われる通りに目を開けた。辺りの色は暗くなったが、歩き回るのには充分だった。
「僕の目、気にならない?」
「うん!全然見えないよ」
ファルに見送られつつ言われた通り前を向いて歩いた。いつもは耳でしか感じ取れない街の様子を実際に見られるのは子供にとって嬉しい事だった。
大通りに近づくと人々の歓声や指笛などで騒がしくなってきた。人混みを避けた所で眺めていると、向こうから馬に乗った兵士達が列を乱さず並足を揃えてやって来た。国旗を携えている兵士もいれば重々しい武器を片手に民衆にアピールする兵士もいた。
しばらくするとある人物の登場で民衆の歓声は更に激しくなった。
「ん?何だ?」
人々の向く方へ顔を覗かせてみると……
「セヴィル軍隊長ー!」「セヴィルさーん!」
「セヴィル・スグナ!!」
青鹿毛の馬に乗ったセヴィル・スグナが颯爽と現れた。左右の民衆に対し優しい表情を送っている。セヴィルの偉観に子供も思わず息をのんだ。もっと近くで見ようと近づいた時。
「……っ!!!」
セヴィルが乗る馬の前に小さな子供が飛び出した。
その子供に驚いた馬が前足を高く上げ、キョトンとしている子供に向かって足を振りおろした。
「危ないっ!!」
一瞬の静寂の後。民衆の驚く視線の先には黒マントの男が腕の中で大事に子供を抱えていた。すぐに子供の母親が走ってきた。
「ニーチェ!!あなた何やっているの!怪我は?…ああ、良かった。…息子が御迷惑を。ありがとうございます、ありがとうございます」
男は子供の頭に手を置くと「お母さんと一緒にいるんだよ」と優しく声を掛けた。子供は無邪気に笑って頷いた。
「…………」
セヴィルは馬を降り、座り込んだまま親子を見送る男に声を掛けた。
「君、大丈夫か?怪我は………」
男はゆっくりとセヴィルの方へ振り返った。その拍子に深々と被っていたフードが突然吹いた風で取れた。
「…ッ!?」
セヴィルの時が止まった。
男の瞳は血のように赤くなっていた。しかし、セヴィルと目が合い緊張しているのか両目とも赤と緑を交互に繰り返していた。男はハッとして目を瞑ると傍に落ちていた杖を手に取りゆっくりと立ち上がった。
「はい…大丈夫です。道を遮ってしまってごめんなさい」
身長の割には声はまだ子供そのものだった。男はフードを被りセヴィルに軽く頭を下げると盲の様に杖で道を叩きながら人混みの中へ入っていった。
「なんだ?アイツ目が見えないのによく子供を助けられたな」
「目が見えない分、人より勘が冴えているんじゃねぇのか」
「なるほど、大したもんだ」
人々は男の常人ならぬ瞳色には気付かなかったようだ。
「…………」
男が去って行くのをセヴィルは黙って見ることしか出来なかった。同時にその目から一筋の涙が流れたのに気付く者は誰もいなかった。
再び馬に乗ろうとした時、セヴィルは足元に落ちていた物を拾った。
「………サングラス?」
それが誰の物なのか把握するとそのサングラスを壊さないよう大事に胸ポケットに掛けた。