【父になる】
陣痛が始まったのはまだまだ暗闇の残る夜更けだった。
「痛いよ……痛い。助けて、ヴィル」
経験した事のない劇痛にファルの目からは涙がこぼれた。胎児がもがく度に体中の骨が音を立て軋む。
叫ぶのを我慢する代わりにヴィルの手を力一杯握った。
「ファル……ごめんね、頑張って」
見た事のないファルの苦しむ顔にヴィルの不安は絶頂だ。せめてもの助けと、ファルの腰をさすり続ける。それでも状態は悪くなる一方だ。
「……うっ…」
ファルの顔つきが変わった。
もう声を出す余裕もない位苦しそうな表情をしている。「どうしたら…」と1人オロオロしていると、勢いよく部屋の扉が開いた。
「医者が来たぞ」
「父さん…」
近くの産婆を呼びに行っていたセヴィルが帰ってきた。ファルの陣痛に驚いたヴィルが隣の両親の部屋に駆け込むと、眠っていたセヴィルは即座に馬に乗って産婆を連れて来てくれたのだ。
「おやおや、予定よりちょっと早いお産だね」
少し遅れて入って来た産婆は呑気な口調でそう言うと、クルクルと手早く白髪を結い上げた。
「どれ、どこまで産む準備が整っているか身体を見せてもらおうか。お前達は外に出てお行き」
「え?でも、僕も何か手伝える事があるんじゃ…」
「男がいても何の役にも立たないよ。せいぜい元気な赤ん坊が産まれるよう部屋の外で祈っておきな」
「さぁ、早く」と産婆に急かされ、ヴィルとセヴィルは渋々部屋から出た。扉を閉めてもファルの喘ぎ声は聞こえてくる。姿が見えない分、不安も倍になる。
「大丈夫かなぁ…。僕、赤ちゃんが出てくる前に心配でぶっ倒れそうだよ」
「何弱音を吐いているんだ、お前は」
その言葉にムッとし、セヴィルを横目で睨んだ。
「父さんだって母さんがお産する時になれば分かるさ。その時には父さんにも同じ事言ってやる」
ムキになっているヴィルにセヴィルはふんと鼻で笑った。
「残念だが俺は2人目の子だ、もう慣れてる」
「あ……そっか」
「……いや、でも、やっぱり初めてか」
「?どゆこと?」
セヴィルが口を開く前に隣の部屋のドアが鈍い音を立て開いた。そこには眠たい目を擦りながら、大きなお腹を抱えて立つシャイナがいた。バタバタとした騒音に目覚めたらしい。
「ふわぁー……2人とも、こんな時間にどうしたの?まだ夜更けよ」
母の能天気な姿にヴィルは失笑し、セヴィルの首は項垂れた。
「ファルの陣痛が始まったんだよ。どうやらお前より先に産まれそうだ」
「え?嘘、陣痛?!」
ようやく完全に目覚めたシャイナは瞳を丸くさせた。お腹に手を添えながら2人の元へ駆け寄る。
「いつから?ねぇ、なんで起こしてくれなかったの?」
「口開けて間抜けな顔して寝てるんだ。起こしちゃ悪いと思ってな」
「ま!失礼な!!」
セヴィルをバシバシ叩く母親にヴィルは引き笑いだ。その直後、部屋からファルの絶叫が聞こえてきた。3人の身体はビクッと震えた。
「……あぁ〜、大丈夫かなぁ。陣痛っていつまで続くの?」
「人によって違うわ。数時間で産まれる人もいれば2、3日続く人もいるし」
「そんなに?!」
ヴィルの頭はクラクラした。ファルの苦しんでいる姿をそれ程長い時間見守る自信などなかった。倒れそうになる身体をセヴィルにぐいっと持ち上げられた。
「しっかりしろ。これから父親になるんだぞ」
「……グスッ」
泣きべそのヴィルをシャイナは「よしよし」と優しく撫でた。
「大丈夫よ、ヴィル。女は強いの、これくらいじゃ死なないわ」
「グス……母さんは、怖くないの?」
「怖いに決まってるわよ。でもね、ヴィル。考えてみて。ファルに赤ちゃんができた時、あなたはどう感じた?」
「………」
『私、赤ちゃんが出来たの』
嬉しそうに顔を赤らめるファルの言葉に、最初異国の言葉を聞いてるようで理解できなかった。自分の赤ちゃん?……赤ちゃんとはなんぞや?と不抜けた事を考えたのもつかの間。こみ上げてくる喜びで身体中が満たされ、大はしゃぎしたのだ。あの時の感動を忘れる事はないだろう。
「ファルから聞かされた時、今すぐに会いたいって思ったんじゃなくて?」
「――そう。会いたかった。僕の、僕達の子に会って抱きしめたいって思ったんだ」
素直なヴィルの気持ちにシャイナは満足げに微笑んだ。
「ね。あなたがそう思うように、今死ぬ程苦しんでるファルはもっと赤ちゃんに会いたがってるわ。大丈夫よ、あと何時間もすれば元気な赤ちゃんとファルに会えるわ」
頼もしい母の励ましに心の不安がすっかり消えた気がした。自分に言い聞かせるように何度も頷き、最後には傍にいる両親に微笑んでみせた。セヴィルとシャイナも息子に微笑み頷いた。
「じゃ、俺達は起きていても仕方ないし寝るか」
「そーね、まだ眠いし……明日は貴方お休みでしょ。久々に2人で朝寝しましょーよ」
「いや、朝は7:00起床と決めてる。独りで寝てろ」
「なによ、それ」と、ふてくされながらもシャイナがセヴィルの後を追いかける様はおかしくて笑いが吹き出た。2人が部屋に入ると同時にファルのいる部屋の扉が開いた。
ドキッとして中を覗こうとすると、産婆が急に出てきて「ぎゃっ!」と驚いた。
「もうすぐで産まれるよ。せっかくだから、あの子の側にいておやり。さっきからあんたの名前ばかり呼んで静かにならないんだ」
少しキレ気味?の産婆に引きずり込まれ中へ入ると、ファルが体勢をこちら側に向けて苦しそうに息をしていた。汗まみれの顔は今までの死闘を物語っていた。
「ファル、ファル。大丈夫?」
「………ヴィル」
ファルはきっと僕を必要として呼んだんだ――ヴィルはそう確信していた………が、
「…の」
「……え?」
聞き取れなかった声に耳を近づけた。
途端にガッ!と胸倉を捕まれ鬼の形相と化したファルの顔が目の前にあった。
「全部お前のせいだ!!!」
「?!?!はぁっ?!」
思いもよらない言葉をかけられ頭は思考停止状態だ。ロボットの様に首を傾げながらひきつりながらでも笑って聞いてみた。
「何の、事?」
とぼけた顔に腹が立ったのだろう。
ファルの顔は苛付きで更に歪む。ヴィルは「ひっ…」と怯え、掴まれた服を何とか引き剥がそうとするも、出産の時の女程、力のある者はいない。ファルの手は全く動かなかった。
「私の中に子供作ったのは、誰?!!」
「……僕、です」
「最初に子供が欲しいって言ったの誰?!!」
「……僕、です」
「私が出産は怖いって反対したのに『大丈夫だから』って無責任な事言ったのは、どこの誰?!!」
「………僕…です…グスッ」
「いちいち泣くな!!!」
それからもファルの猛烈な怒りを一身に受け止めながらヴィルは泣きつつ耐えた。隣で産婆はただクックと笑ってるだけで助けてはくれなかった。
産婆の顔つきが変わったのはファルの罵詈雑言の嵐が落ち着き始めた、その時だ。
「赤ちゃんが見えてきたよ!」
同時にファルの陣痛もMAXになった。
息を吸っては吐いてを繰り返す。掴んでいた服を離すと代わりにヴィルの手をきつく握った。それに応えるようにヴィルも握り返した。
「…グス、頑張れ!!」
最後の踏ん張り時だ。
ファルは力一杯いきんだ。そして……
腰をかがめていた産婆が何かを取り出した。
「女の子だよ!」
部屋中に甲高い泣き声が響きだす。
その声を聞いたファルは糸が切れた様に脱力しベッドに突っ伏した。
「産まれた〜…良かった」
わが子を無事出産した達成感でファルは天井を仰ぎつつガッツポーズを決めた。先程までの痛みが嘘の様に消えている。乗り越えた試練にまた一つ強くなったように思えた。
「さぁ、初対面だ。抱いておやり」
白い布に包まれた小さな赤ちゃんを産婆に手渡される。その身体は信じられない位に暖かかった。赤ちゃんは力なく手を動かしていたが、大きなあくびをすると心地よい眠りについた。
「可愛い、ねぇヴィル見て!あくびしたよ。…れ?ヴィル?」
隣にいたヴィルの姿がない。キョロキョロと探していると、産婆が呆れた顔で床を指さした。
「?……まぁ」
そこには口から泡を吹いて気絶しているヴィルが身を伸ばしきって倒れていた。




