~No.14~
馬を走らせているとファルの言う通りすぐに川らしきものが見えてきた。その横には大きな屋敷が建っている。
馬を降りて門に近づいていくと、玄関からきちんとした身なりの背の低い老婆が出てきた。白髪男が一礼すると老婆は優しい笑顔で頭を下げた。
「こんにちは。どちら様でございますか?」
「ファルの代理人です。彼女は急患で来られなくなったので」
「そうでしたか、それはそれはご苦労様です。私はこの家の召使いディナでございます。シャイナ様もお待ちかねですよ。さぁ、どうぞ」
老婆は疑う顔も見せず屋敷の庭へ招き入れてくれた。白馬を引いて中へ入るとディナはすぐに鉄門を閉めた。
「さぁ、どうぞ」
そのまま屋敷へ上がらせてくれようとするディナを引き止めた。
「あ、ありがとうございます。でも…先に馬を納屋に繋いで来ます」
「あらあら、そうでした。申し訳ありません。気が効かないのは昔から直らないものでして。じゃあ、厩の一番手前の場所をお使い下さい。私は先にシャイナ様に先生が来たことを伝えてきます」
再びお辞儀をするとディナは屋敷の中に入って行った。ディナが屋敷の中へと消えると白髪男は屋敷の隣に建てられた縦長の厩舎へ向かった。
厩舎には何頭もの馬がいた。どの馬も精悍な顔つきをしており筋肉の締まりからして農耕馬ではなく戦馬の様だ。
(一体どんな金持ちが住んでいるんだろう…)
ディナに言われた通り手前の馬庫に白馬を入れ飼葉と水を与えた。美味しそうに水を飲む白馬に白髪男は首筋を軽く叩き労ってやった。
「待ってな、すぐに戻ってくるから――?この歌…」
«♪。.:*・゜♪。.:*・゜…»
どこからか美しい女性の声が聞こえてくる。白髪男が唯一知っている歌。
【月夜の子唄】だ。
(誰だろう…)
その声の主は馬屋の裏にゆったりと座っていた。
心地良さげに目を瞑りそよ風にあたる姿は女神の様に美しかった。長い白髪は陽で艶やかに光り、その身体は触ると壊れてしまいそうな程華奢で弱々しそうだ。
(綺麗な人だ)
吸い込まれるような女性の美しさに白髪男は口を開けて見とれてしまった。その視線を察した女性は馬屋の壁に傾けていた頭を上げ白髪男の方を向いた。白髪男は「しまった」と顔を歪めるも女性は優しく微笑んでくれた。
「こんにちは」
全く警戒していないようだ。白髪男は胸をなでおろす。
「こ、こんにちは」
少しどもった。それが可笑しかったのか女性は軽く笑った。
「可愛いお客様ね。ディナが出迎えなかった?」
「いえ、来てくれました。僕は今日来られなかった医者の代わりに来た者です。抜糸をしなければいけない患者がいると聞きまして」
そう言うと女性の表情は一瞬「は?」と固まったのだが、直ぐに勢いよく立ち上がった。
「やだっ、私ったら。ファルが来る事忘れて呑気に日向ぼっこしちゃってた!まだ部屋片付けてない!」
「大丈夫ですよ」と白髪男は言ったのだが、その声は慌てて屋敷へと駆け出す女性の耳には全く聞こえてなどいなかった。
「散らかっててごめんなさいね。適当に好きな場所へ……あ、ちょっと待ってね」
日当たりの良い広い部屋には様々な本や書類が床に散らばっていて、机や戸棚には所狭しと酒瓶が並べられていた。既に空き瓶と化した物のほとんどはウィスキーやウォッカなど本当の酒好きしか呑めないものばかりだ。
(こんな人が……こんなに呑むの?)
白髪女性の趣味の一端に白髪男の顔はひきつる。お世辞にも綺麗とは言えない部屋を凝視していると戸棚の一角にある数本のワインに目が留まる。
(セヴィルさんが飲んでいたのと同じワインだ)
「そうねぇ……この辺なら座れるかな」
白髪男の為、白髪女性は簡易椅子を持ってきてくれた。部屋の中では一番散らかってない場所に置くと「どうぞ」と差し出した。
「どうも」と椅子に腰掛けていると、白髪女性は太い本を重ねて椅子を作り白髪男の側まで引いてきて座った。
「挨拶が遅れたわ私はシャイナ・ベルへルク・スグナ。ファルの患者よ」
白髪男は目を丸くした。
「あなたがですか?」
ベッドに寝ていて体が動けないような重症人かと想像していたからだ。それを察したのかシャイナはケラケラと笑った。
「もっと弱々しい人だと思ってた?これでも数年前までは起き上がる事も無理だったのよ。まぁ、私の傷は服で見えないし口は元気だからそう見えて可笑しくないわ」
「傷って?」
そう聞くとシャイナはニヤリと笑い「男の子だけどいっか」と立ち上がり、着ていたワンピースを一気に脱ぎ捨てた。大胆なシャイナの行動に白髪男は急いで目を固く瞑った。するとシャイナの笑い声が聞こえてきた。
「大丈夫、私ももう若くないんだから。ちゃんと見なきゃ抜糸出来ないでしょ」
確かにそうだ、白髪男はゆっくりと目を開けた。
そこにはシャイナが下着姿でこちらを見ていた。
(ファルと……違う)
一番の感想はこれだ。
白く透明感がある肌、膨らんだ胸、すらりとした長い手足……白髪男は生まれて初めて大人の女性の体を見た。そしてそれがとても美しいことを知った。
「………?」
ふと目についたのはその腹だ。大きく横に掻き裂かれたその傷は白い肌ゆえに余計に目立っていた。
「すごいでしょ、この傷。長くかかったけどよく塞がってくれたわ」
下腹部の傷をシャイナは長い指でなぞった。
「どうしたんですか?その傷」
「この傷?……大きな事故に遭ったの。その時にね。……お腹にいた子供も……多分」
(…子供?)
シャイナの顔は辛そうだった。しかしすぐに顔を上げ「お願いします」と白髪男に目礼した。
「では、はじめますよ」
シャイナをベッドに寝かせるとファルに持たされた治療器具の中から抜糸用ハサミを取り出した。
「シャイナさん、少しだけ目を瞑っててください」
「どうして?」
「僕、見られてると緊張して手が震えちゃうんです。お願いします」
白髪男の頼みにシャイナは「本当に可愛いわね」と目を瞑ってくれた。こちらが見えない事を確認すると取り出していたハサミを器具入れに戻した。目を閉じ神経を集中させる。
開いた白髪男の瞳は美しい緑色に変化していた。
シャイナの下腹部に手を置き傷跡をなぞるように優しく撫でた。ゆっくり…ゆっくりと。
「…ふふ…くすぐったい」
「まだ目を開けちゃダメですよ。あと少しですから」
傷の最後まで撫で終わると白い肌には跡も何も残っていなかった。
(これでよし……あれ?)
瞳が黒に戻ると途端に足の力が抜けた。まだ上手く能力を使いこなせていない証拠だ。
「どうしたの?!あなた、大丈夫?」
様子に気付いたシャイナは飛び起きると、床に座り込む白髪男の肩を掴んだ。白髪男は笑おうとしたが
疲れ切った神経は言うことを聞いてくれない。
「…だ、大丈夫ですよ。お、終わりました」
そう伝えるのがやっとだった。
「もう済んだの?……傷がない。治ってるわ…早くセヴィルに伝えなきゃ――」
(セ、セヴィル?……)
白髪男の限界はそこまでだった。
遠ざかる意識の中、最後に覚えているのは床に倒れた自分に駆け寄るシャイナの顔だった。




