~No.13~
「四界議、お疲れ様でした。今回は意外に早く終わったんですね……セヴィルさん」
『右腕』ヒュート・ナビルは尋常ではない上司の顔つきの悪さに一瞬言葉を詰まらせた。まるで悪い物を食べたかのように青白く生気が薄い。
「……大丈夫ですか?顔色が悪いですよ」
覗き込むように顔を近づけた。
そこでようやくセヴィルも気付いたようだ。我に返ると心配そうに見つめるヒュートに微笑みかける。
「悪い。色々と意見がこじれてな、結局問題点が増えただけで終わったよ」
暑いコートを脱ぐと重かった気分が少しだけ晴れた気がした。ヒュートが持ってきてくれた程よい温かさのお茶をセヴィルは旨そうに飲んだ。
「無理もないですよ、国がこれだけ不安定なんですから。四界の方達は前よりも休む暇なくなるでしょうね。ここからが勝負時です」
「頼りにしてるぞ。……話は変わるが」
真面目になる上司の口調にヒュートはゴクリと唾を飲み込み言葉を待った。その話とは―――
「ヒュート、貴様…また職務中に菓子を食ったな」
思っていたより些細なお咎めにヒュートは面食らうも、「へへっ」と笑って舌を出し悪戯がばれた子供の様に「すみません」と言った。
この男は大の菓子好きで休憩まで待ちきれず仕事中に密かに食べる癖があった。何度セヴィルが注意しても直らず次第に自制がきかない男なのだと気付いた。そんなお茶目な彼ではあるものの、実は狙撃の天才で軍の中ではトップクラスに入る実力者でもあるのだ。
柔らかな栗色の巻き髪と淡褐色の瞳、笑うとできる笑窪のせいで、セヴィルはついこの男を甘やかしてしまうのだ。
「……気をつけろよ」
溜息混じりのセヴィルにヒュートは笑顔で「はいっ!」と答え敬礼すると退室しようと背を向けた。その背中をセヴィルは呼び止めた。
「ヒュート、悪いが馬を中庭まで出してくれ」
「巡回ですか?それなら俺も…」
「違う、少しだけ家の様子を見てくる。最近忙しくて帰ってなかったからな。あいつの顔を見て、そうだな……明日の昼までには戻る。それまでに何かあったら早馬で知らせろ」
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ファルの家へ着いた子供は目の前の光景に唖然とした。咳出す者や担架に乗せられている者で部屋中溢れかえっていたのだ。
床で寝ている人を避けて奥に入っていくとマスクをして1人1人を世話するファルを見つけた。その表情は前の時よりも真面目で厳しかった。
「あら」
入口に立つ子供にファルは気付いた。
そしてスタスタと歩いてくると「水、運んで」と当たり前の様に空の桶を突き出した。子供は訳も分からないまま受け取るととりあえず言われた通りに動き始めた。
「お腹減った」
結局あれから何時間も井戸と治療室を行き来し汗を垂らしながら水を運び続けた。他にも嘔吐が止まらない者をさすってやったり、熱で苦しむ小さな子を不器用なりに抱いて寝かせたりした。
知らぬ間に昼が過ぎていた。
「ファルー?どこー?」
さっきまで隣にいたファルがいなくなった。病人で一杯のベッドの様子が落ち着いているのを確認すると子供はファルを探して階段を登った。2階には両側にドアがずらりと並んでいる。
«ガチャッ»「ファルー?」
«ガチャッ»「ファルー?」
«ガチャッ»「ファ………」「…………」
「ギャアァァァァ!!」
「ギャアァァァァ!!」
一糸纏わぬファルとそれを見てしまった子供の甲高い悲鳴はそれまで安らかに寝ていた患者達を瞬時に叩き起してしまった。
「どうしてノックもせずに開けるのよ!」
かんかんに怒るファルに子供は身を縮めて怯えた。同時にさっき見てしまったあの艶かしい姿を記憶から消去しようと必死に頭を振り続けた。
「だって、だって……あの部屋がお風呂とは知らなかったんだ。悪かったよ」
反省モード丸出しのその泣きっ面に眉間に皺を寄せていたファルも「ふー…」と息つくと目の前で垂れている白髪の頭を優しく撫でた。
「まぁ、いいわ。別にあんたに見られて減るもんじゃないし」
「減るって?お腹?」
「………減ったの?」
「減った。ご飯ください」
屈託のない素直な白髪男にファルはさっきの怒りも忘れ首を振り笑った。
「あなたって、面白いわね」
「そう?」
「南村で疫病?じゃあ、この人達は皆その村の人達なの?」
出来たてのサンドイッチはふわふわもっちり、歯応えのよいレタスをシャキシャキと味わいながら紅茶を飲んだ。最高の組み合わせだ、と子供は心底思いファルの料理の腕に改めて感動する。
「そう。今では感染が広まって最近では西村の人達も同じ症状でやって来るの。ハァー…早く医学界の人達が治療法を見つけてくれなきゃ。それまでに私が過労死しそう」
熱いカモミールティーを一口飲むとファルはハムと卵のサンドイッチに目をつけた。義手である左腕を片手で掴む様に支えると目当てのサンドイッチまで運びゆっくりとその指を動かす。僅かな神経しか届いていない指先は錆びたロボットの様に鈍動だ。
手伝おうかと手を伸ばした子供は直ぐにその手を引っ込めた。邪魔をしてはいけない気がしたのだ。代わりに質問を投げかけた。
「医学界って何?」
初めて聞く言葉だったのだ。
「国で発生した疾病の原因を突き止め治療法を見つけ出す機関の事よ。他にも、貧しい人達への無料診療とか親がいない子供達を保護する活動も行っているわ。ティナーさんの方針は【平等で温かい医療】…なんだって。かっこいいでしょ」
「ティナー?」
誰それ……
「ティナー・カルマン。医学界最高権力者。私の憧れの医者よ」
「あっ!!いけないっ!」
昼食を食べ終え2人で片付けをしているとファルが突然声をあげた。
「どうしたの?」
テーブルを拭く手を止めた。皿を洗っていたファルもこちらへ振り向く。苦いものを食べたような顔だ。
「…どうしたの?」
「あー、私とした事が……今日は医療訪問で抜糸の患者さんがいたのを忘れてたのよ。これだけ病人がいればここを空ける訳にはいかないし……困ったな」
悩むその顔に子供はサラリと言った。
「僕が代わりに行くよ」
「―え?」
「その人の抜糸をしてくればいいんでしょ。ファルはここにいて、皆を見ててあげて」
この男は突然何を言い出すのか……
「ちょっと待ってよ、簡単に言うけど抜糸なんてした事ないでしょ。確かに簡単な処置だけど、間違えたらまた傷口が開いちゃうのよ」
反対するファルに白髪男はくるりと背を向けコートを羽織った。
「僕に任せて。今ここにいる人達にはファルが必要だ。でしょ?」
有無を言わせない笑顔にファルは深く息を吐くと厩の鍵を取るため部屋に向かった。
「ここから2㎞ぐらい走ると小さな川が流れているの。その横の大きな家が患者さんの家よ。この道なりには私とその人の家しかないから間違える事はないわ……本当に大丈夫?」
白馬はいつもとは違う主人に緊張しているのか興奮気味に鼻を鳴らした。しかし白髪男が首元を優しく撫でてやると徐々に落ち着き静かになった。
鐙に足をかけ跨る白髪男はいつの日か読んだおとぎ話に出てきた王子の様に気品があり美しく見えた。
(なんて素敵な……)
そんな事を考えるファルは自分の頬が赤く染め上がっているのに気づかなかった。
「大丈夫、…?ファル?顔、赤いよ」
「……え?」
「まるで熱があるみたいだ」
「っ?!だ、大丈夫!!何でもないわ、へ、平気よ」
「そう?ならいいけど」
慌てて取り繕うファルに白髪男は軽く微笑むと手馴れた様子で馬を走らせ行ってしまった。その背中を見送りながらファルは1人呟く。
「……はぁ。いつかは自分も経験するものだとは思っていたけど。本の中と現実は違いすぎるわ」
生まれて初めてのこの感情をどう整理したら良いのか…
老人の様に一息つくと患者が待つ住まいへと歩き出した。




