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異変(後)

そして何故だが俺は美術室の外であぐらを掻いていた。

 篠山大先生は、あの衝撃的な告白の後、俺に退去命令を出したのである。

 曰く、『君は聞くべきじゃない』とのこと。

 正直、言いたいことは多々あるが、情報を持っている奴の言うことだから従うしかない。

「でもな〜」

 気になる。滅茶苦茶気になる。

 というか、ここまで来て蚊帳の外ってどういうことだ。

 …………ちょっと位、覗いても良いよな。

「よいしょ、っと」

 立ち上がり、はめ込まれたガラスから中を覗く。

 見えるのは、絵の具で汚れた長机の列と、窓際に置かれた、絵筆が大量に差し込まれた水桶達。そして、奥の方に鎮座している数台の電動糸鋸である。

 二人の姿はどれだけ体をずらしても、見ることが出来なかった。

「————篠山の野郎」

 この部屋を熟知している奴のことだ、絶対に見えない位置にまで移動しているに違いない。ならば、と扉に耳をつけるが、僅かな音すら拾えない。

「くそっ。こうなったら戸を少し開いてでも——」

「…………何してんだ? 高浜」

 突然後ろから声を掛けられ、意識を失いそうになった。

 何とか落ち着いて、声の主へと振り返る。

 校務員の原田が、怪訝な表情で見つめていた。

「ど、どうしたんだ? こんな所に?」

「仕事だよ。一年八組の電灯が切れたらしい。……それより、美術室に何かあんのか?」

「あーいや、別に」

 答え辛い。簡単に説明できる事じゃないし、信じてもらえるかも分からない。

 説明に失敗したら、篠山も一緒に病院行きかもしれないのだ。安易に話すのは難しい。

「……おいおい、中で妙な事してるんじゃないだろうな? 喫煙とか」

「イヤ、中に居るのは篠山だ。何か作業が残ってるとかで」

「? コンクールの出品は終わってるはずだがな……まさか」

 にやり、とあまり上品でない感じで、原田は笑った。

 あ、と思うまもなく、背中をバンバン叩かれる。

「いや〜いいじゃねぇの。がんばれ若人。青春青春。男ならしっかり受け止めてやれ」

「…………何勘違いしてるか知らないが、とりあえず背中が痛い」

「あ、すまんすまん……まぁ今のは冗談として、同年代の友達ってのはいいもんだ。大切にしろよ?」

「ああ、まぁ………………」

 短く同意する。それは別に良い。友人を大切にしたい、という気持ちは俺でも持っている。原田でも、篠山でも、そして多分立川でも、困っているならば、手を貸すことはやぶさかではない。

 そう、それは別に良いんだが。

「……ホントに痛い。やっぱり力強いな、あんた」

「そうか? まぁ、多少格闘技もやってたしな」

 はっはっはと大笑する原田。この男は本当に多才だ。

 まぁ、様々な技能が求められる校務員を、この学校では一人で受け持っているのだから、その能力は妥当なのかもしれないが。

「おっといけね。それじゃ、そろそろ仕事に戻るわ。いつまでも遊んじゃいられねぇしな」

「……ああ、それじゃあ、また」

 笑いあって別れる。

 別れようとした次の瞬間、絹を裂くような悲鳴が廊下に響いた。


「——おい、今の」

「篠山!!?」

 原田と顔を見合わせ、思い切りドアを開く。

 視界が広がる。

 教室全体を見渡すと、見たくもない物を見てしまった。

 体が硬直して、動かない。

 原田には、あれが見えていないのか、篠山を助け起こそうと駆け寄っている。当然だろう、あれが見えなけりゃ、ただ篠山が床に倒れて苦しんでいるようにしか見えないだろうし。

 俺には、見えていた。

 化け物——ああそりゃ消去法で立川だって分かるけど今現在その面影はない。振り乱された髪の毛。筋の浮き出た二の腕。形相は般若の面か。何より印象的なのはその瞳。あの瞳。ゲテモノの目。黒目が異常に大きい。否、黒目しかない。形も楕円ではなく真円。光沢のないビー玉でもはめ込んだような、恐怖を呼び起こす目。

 そんな化け物が篠山にのし掛かっている。首を絞めている。ギリギリとイヤな音が届く。

 万力でも使っているようだ。あれでは窒息の前に首の骨が砕ける。原田のうめき声が聞こえる。保健室に連れて行くつもりなのか抱き上げようとして四苦八苦している。

 まず近づけていない。見えない壁、実際は体に阻まれ上方向からのアプローチが難しくなっているのか。見えていれば避けられるが見えなければ諦めるしかない。

 今度は体のしたに手を差し込む。お姫様だっこの要領で持ち上げるつもりなのだろう。だが原田の顔は驚愕に歪んだ。

 表情が語る。

 『重すぎる』と。

 何かの憎念で縫いつけられているのか篠山の体はピクリとも動かなかった。

「おい高浜!! お前も手伝え!!!」

 発見より二十秒弱。事ここに至り原田の怒声が俺を叩く。

 手伝うべき。そんなこと分かっている。イヤ、本当に分かっているか? 

 情報は五感を通して脳に届いている。だがその先には進んでいない。認識が追いつかない。認識しようとしていない。

 認識すれば感情が溢れる。俺の意識を奪うのには十分な量だ。

 だからダメだ。見るな聞くな感じるな————。

「は————ッ————————」

 聞こえたのは弱々しい音。聞いたこともない聞きたくもない篠山の、既に声ですらない音。静かすぎる断末魔。断末、魔………………?

 篠山が、死。

「あ」

 エラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラー。

 テールランプが真っ赤どころか吹っ飛んだ。

 悲観諦念挫折後悔驚愕憤怒哀惜自責絶望。

 色んな感情が混ざり合って増幅されて、混濁した激流となって意識を粉々にぶっ壊す。

 教室の風景が、白い世界に塗りつぶされる。

 脳味噌のスイッチが切れる。

 体が倒れる、その一瞬前に。

『それでいいのか?』

 夢の中の、鏡の中の、紛れもない自分の声(・・・・)を聞いた。

 そんなもの、良いワケ無いだろう。

 篠山は苦手ではあるが友達だ。

 友達が困っている、死に瀕しているのに倒れてなどいられるか。

『だったら、どうする?』

 ……失神に抗うのは容易ではない。だが不可能でもない。

 母という前例がある。

 母は姉が轢かれた後、まだ僅かに息のあった彼女を励ますため、助けを呼ぶため、神に祈るため、意識を確と保ち続けた。

 願いが届かず姉が亡くなった後も、残された俺に現実を受け入れさせるため、後事を託すため、一睡もせずに立ち続けた。

 ——その後どうなったかは、今重要ではない。

 重要なのは抗うことが出来るということ。襲い来る理不尽に対抗できるということだ。

『……本当にいいのか? 代償はでかいかもしれないぞ?』

 最後に確認するように、声は言った。けしかけておいてそれはないだろうと思う。

 夢の全てが俺の一部ならば、これは俺の迷いの現れか? 

 違う。答えは決まっているからこそ、だ。

 一人芝居だって、格好くらいつけておきたいじゃないか。

「————あったり前だ。今やらなくて、一体いつやるってんだよ!!」

 真っ直ぐ走り出す。既に視界は晴れていた。美術室を見て、その床を踏み、化け物へと肉薄する。

 間に合うかは分からない。篠山の顔は真っ赤に染まっている。

 それでも、たった今閃いた策を試すことにためらいはない。

「どいてくれ! 原田!!」

「は? 何言ってる? お前一人じゃ——」

 こちらを振り向くと、原田は言いかけた口をつぐんだ。

 俺の顔に自信を見たのか、無言で脇によける。

 それを見ると同時に俺は原田の反対側に回り、化け物の側面から腕を入れ化け物の脇の下と腰をホールドした。

 と言っても大して力は入れない。

 化け物になったとはいっても立川の体に触れている罪悪感は在ったし、元より原田に無理だったのだから俺にはがせるワケもない。

 だから、目的はマーキング。

 見えない標的を可視化する、目印を付けることだ。

「原田! 俺の両腕の間の空間を、思いっきり殴れ!!」

「は!? そしたらお前に……」

「いいから! 早く!!!」

 普段からは考えられない程強い語調に、一瞬原田は呆気にとられたが。

「ッ——らああああああああ!!!!」

 すぐに立ち直り、次の瞬間には渾身のアッパーカットを化け物の脇腹に見舞っていた。

 重たい衝撃が、俺にまで響く。

「!? 何だ? こりゃあ?」

 何も無い空間に、確かな手応えを感じることに今更違和感を覚えたらしい。

 だが俺はそちらには気をやらない。

 おかげで、化け物が首を絞める力が僅かだけゆるんだことを見逃さずにすんだ。

「原田! もう一発! 今度は蹴りだ!!」

「あ、ああ、分かった!!」

 二発目の攻撃。直接食らっていないのに体が吹き飛びそうな衝撃を感じる。

 相当に鍛えているらしい、常人が食らえば骨も折れるだろう一撃を受けて、今度は明らかに首を絞める力が弱くなった。

 もう一息だと直感的に感じる。

「原田!!!!」

「うおおおおおおおおおりゃあああああああ!!!!!」

 俺が叫ぶよりも早く、原田は攻撃姿勢に入っていた。先ほどを上回る威力の蹴撃が化け物の脇腹に炸裂する!!

「——え——————」

 奇妙な感覚。それが浮遊感だと分かるのに、時間はかからなかった。

 なぜなら直後に腰を床に強打する羽目になったからである。

「づあッ」

 間抜けな声を上げ、慣性で体が後ろに倒れた。

 ……まずかったのはその際、腕に抱えていた化け物をそのまま投げてしまったことだろう。

 原田の蹴りの衝撃に俺の投げの加速が加わった化け物の体は、凄い勢いで教室後方の壁、及び電動糸鋸二つに突っ込みその周辺を惨状に変えてしまった。

 ……ああ、この場合、誰が弁償するんだろうアレ。

「おい、大丈夫か高浜!?」

 慌てた様子の原田の声に、視線を後方から天井へと移す。

 心配そうな原田と目があった。大の字に倒れている俺にさらに言葉を投げかける。

「……すまん。加減できなかった」

「いや。そう頼んだのは俺だしな。それより、篠山は?」

「——心配してくれて有り難う。なんとか無事だよ、高浜健吾君」

 遠くから弱々しくも確かな声が聞こえた。

 腰をしこたま打ち付けたので腕を支えにしながら上半身を起こす。

 向こうも体を起こした所だったらしい。

 目が合うと、篠山は弱々しく笑った。

「生きてるようで何よりだ。死んだかと思ったぞ篠山優花」

「あと少しで意識を失うところだったけどね。イヤ、その前に首の骨が砕けてたかな?」

 篠山は、首をさすりながらため息をつく。そこには、痛々しい手形がついていた。

 それを見て、原田が声を荒げる。

「おい、説明してもらうぞ。今此処で何が起こって、今此処に何が居たんだ?」

「ああ、俺にも頼むよ。何でアレがああなったのか聞きたい」

 原田に追従するように言って後ろの壁を指さす。

 恐らくは篠山の言葉に全ての理由があるのだろう。

 立川をあそこまで変貌させた理由がなんなのか、聞いておきたかった。

「……そうだね。それじゃあ、今までの経緯から話そうか」

 ゆっくりと、篠山は口を開いた。

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