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エピローグ:ある晴れた日に

 チチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチ

 鳥の鳴き声で目が覚めた。

 カーテンを開け、外の光を部屋に招き入れる。

「——————っ」

 眩しさに目を細める。

 空は快晴。気持ちのいい、雲一つ無い青空だった。

「さつきィ〜飯が出来たよ〜い」

 一階からおばあちゃんの声が聞こえた。

 病院で眼を覚ましてからというもの、あの人にはこちらが申し訳なくなるほど献身的に世話を焼いて貰っている。

 入院するまでは顔を見た記憶もあまりなかったから、正直、戸惑わざるをえなかった。

「ああ! おばあちゃん、お弁当まで作ってくれたの?」

 こんがり焼けた鮭と味噌汁の匂いが食欲をそそる、和風な朝食の隣に置かれたかわいらしい弁当箱を見て、思わず大きな声を出してしまった。

 そんな私を見て、丁度ご飯をよそっていたおばあちゃんは、ヒッヒといつもの様に個性的な笑い方で笑った。

「……早く目が覚めちまったんでね。ついでに作ったのさ。ま、若い娘の好みは分からんから、味は保証せんがね」

「そんな事言わないで。おいしいよ? おばあちゃんのご飯」

 私の本心からの言葉に、ありがとよ、と呟きながら、おばあちゃんは席についた。

 それを見て、私もテーブルを挟んでおばあちゃんと向き合うように座る。

「……ホントにゴメンね? 私、今日は早く起きて朝ご飯作るつもりだったんだけど」

「ヒッヒ、早起きで老人に敵うもんかね。ま、念のために一服盛っといたのがよかったんだろうがね」

「……おばあちゃん?」

 私が非難の目を向けると、おばあちゃんは冗談さ、と意地悪く笑った。

「……単に病院の硬いベッドよりは寝心地が良かったってだけだろうよ。——そら、余計な事言ってないでさっさと食べないと、せっかくの飯が冷めちまう」

「うー今まで散々寝たんだから大丈夫だと思ったんだけどなぁ。明日は私が作るからね?」

「…………あんたの自虐も中々だね、あたしが言えた義理じゃないけどさ」

 眉をしかめたおばあちゃんに、私は肩をすくめることで返した。


「いってきまーす」

「おう、がんばってきな」

 おばあちゃんからの声を受け、意気揚々と、歩道へと駆け出す。

 数ヶ月ぶりの通学通勤時間は、それでもやはり数ヶ月前と大差なかった。

 行き交う人々は、誰もがお互いに無関心で、ついこの間まで老婆が一人暮らしだったはずの家から高校生が出てきたとしても、その変化に気を止める者は一人もいない。

 まぁ、ものすごく驚かれたりしてもそれはそれで困るし、こんなことを考えること自体が、少し変なのだろうけれど。

「————あ」

 ふいに心臓が跳ね上がる。

 人混みの中に見えたのは、どこかで見たことの有る顔。

 クラスメイトの、顔だった。

(どうしよう)

 簡単な話だ。

 話しかければいい。

 あいさつをすればいい。

 明るく、にこやかに。

 クラスメイトなのだから当然だ。

 だけど————。

(忘れられていたら、どうしよう)

 イヤな汗が、顔を伝った。

 思い返してみると、高校に上がってから、あまり人と話した記憶がない。

 いや、あまりどころか、ほとんど全くなかった。

(アレ? もしかして私……)

 退院してからずっと、妙に晴れやかな気分だったので完全に忘れていた。

(私、忘れられるまでもなく覚えられてないんじゃ……)

 ドーンという衝撃が全身を叩いた。

 毎日気分が暗くなるようなことばかりだったから、と言ってしまえばそれまでだが、それでももう少し周囲と溶け込んでいれば良かったと、今更ながら後悔する。

(いやいや、こう出来るだけ自然な感じで行けば誤魔化され——無いよね、やっぱり)

 はぁ、と大きくため息をついてしまった。

 急激に気分が冷めていく。

 ああ、もうこのままUターンして家に——————。

『じゃあ…………なる………………学校来いよ』

「え?」

 誰かの声が聞こえた気がして、私は後ろを振り返った。

 もちろんというか、当然というか、急に振り返った私を怪訝に眺めるサラリーマン以外には誰も——そんな言葉をかけてくれるような人は誰もいなくて——というよりそもそも何で私にかけられた言葉だって断定できるのかっていう疑問が浮かんで来たけれど、すぐに消えた。

 だって、何故だか、とても温かい気持ちになったから。

 頑張る気力が、湧いてきたから。

 だから私は、思い切って。

 この気持ちが切れないうちに。

「お、おひゃよう」

 ちょっと舌っ足らずに、その子に話しかけたのでした。


 で、あっという間に放課後です。

 一言で言うと辛かったです、久しぶりの授業。

 だっていつの間にか全然知らない所まで内容が進んでしまっていて……授業を休むということの重みを目一杯感じさせられてしまったから。

 ただ————。

「——立川さん、大丈夫? 気分悪いの?」

「う、ううん大丈夫。ただ定期試験に対して恐怖を感じてるだけだから。ありがとう林さん」

 こうして、普通にクラスの人と話せているのはとても嬉しかった。

 特に朝、私が声を掛けた女の子——林さんは、私のことを覚えていてくれたばかりか、休み時間などにも積極的に話しかけてくれて、クラスの輪に入りやすいようにしてくれた。

 おかげで、朝に比べればだいぶ、みんなとも打ち解けられたと思う。

 感謝してもしきれないが、そのことを本人に伝えたら。

「ん〜まぁ罪滅ぼしみたいなものだし」

 と苦笑していた。

 正直、何をされた覚えも無かったので不思議に思ったけれど、それ以上追求することはしなかった。

(何か勘違いしてるのかなぁ? でもこのクラス他に立川って人いないし……)

「ふむ、元気そうで何よりだ。立川さつきさん」

「ひゃい?」

 荷物をつめていた鞄の影から、いきなりぬっと現れたのは、とても小柄な美少女だった。

 私が変な声を出したのにも気を留めずその少女は言葉を続ける。

「ん? どうした? 顔が引きつっているよ」

「……いえ気にしないで下さい。え〜っと……」

 私が目を覚ました直後、いきなり病室に押しかけてきたこの人の名前を思い出そうとするのを遮るかのように、林さんが恐怖に染まった声を上げた。

「ぶ、ぶぶぶぶ部長? な、何で一年の教室に!?」

「ああ、こんにちは林さん。何、とんだ根性無しがいたものでね。無理矢理引きずって来ることにしたんだよ」

 ほら、と言って部長さん——たしか篠山さんという名前だったと思う——が右手を挙げるとそこには。


 どこかで見たような青年が、気絶した状態で襟首を掴まれていた。


「ほら、起きなさい。高浜健吾君」

「って! 何すんだ、し、のやま?」

 その高浜というらしい男は、自分の今置かれている状況を認識したのか、急に青ざめると襟首を掴んだままの篠山さんに向かって泣きそうな声を上げた。

「ちょ、ちょっと待て篠山! まさかこんな人が多い所で!」

「何をうろたえているんだ。別に愛の告白というワケでもあるまいに」

 告白、という単語に教室がざわめく。

 大きな注目を浴びて、高浜さんは更に絶望的な表情になった。

 対する篠山さんはとても楽しそうに笑っている。

「篠山、お前わざとだろ」

「はっはっは、心配せずとも後でスケッチブックは返してあげるよ。今は思う存分その感情を楽しむと良いさ」

 覚えてろよとうめく高浜さんは、だけれど少しだけ嬉しそうに立ち上がると。

 戸惑う私の目を真っ直ぐに見つめて口を開いた。

「あ、いや、その、何をいきなりと思うかも知れないが————」






「————絵のモデルをやってみないか?」






 この出来事は、何故か私が二つ返事で了承したことを含めて、学校中の話題となるのだが、それはまた、別の話である。

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